イエスはどんな人間だったのか⑩ そしてキリスト教が誕生する

歴史

イエスの生涯に迫る連載の10回目、最終回です。

今回はイエスの「復活」によってキリスト教が誕生した経緯をとりあげます。

キリスト教の根幹は、今も昔も、2つだけです。

  • イエスの復活を信じること
  • イエスを救世主(キリスト)だと認めること

この2つを最初に信じるようになったのが、イエスの弟子たちでした。

その意味で、イエスの弟子たちは歴史上最初のキリスト教徒であるといえます。

いったい、復活は本当だったのか?

その後、弟子たちの内面に何が起こったのか?

そしてそこから、どのようにしてキリスト教が生まれたのか?

 

人間イエスに迫る連載の最終回として、こうした疑問に迫っていきます。

どうぞ最後までおつきあいください。


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「イエス復活」の可能性を検討してみる

まず、イエス「復活」の真偽を検討してみましょう。

前回の記事でみたように、イエスはゴルゴダの丘で処刑され、埋葬されました。

その後の聖書の記述から最大公約数的なところをぬきだすと、以下のようになります。

イエスの死から数日後、女たちがイエスの墓に行くと、墓石が転がしてあった。

墓に入ると、イエスの遺体はなく、代わりに白衣を着た者が座っていた。

その者が言った、「イエスはよみがえって、ここにはいない」。

いったい、何が起こったのでしょうか?

 

可能性① 遺体の盗難

まず考えられるのは、遺体が墓から盗まれたのだという可能性です。

この場合、イエスは復活したのではなく、ただ遺体がなくなっただけということになります。

伝統的ユダヤ教もこの立場をとっています。

 

この説を採るなら、残る疑問は、誰が、なんのために遺体を盗んだのかですが、これはもうわかりようがありません。

金目当てだったのか、あるいはイエス信者のひとりが半ば狂乱して盗んだのか。

「マグダラのマリアを悲しませないために、弟子のひとりが隠した」という説も面白いですね。

この説は、安彦良和が『イエス』で描いています。

安彦氏は「ガンダム」のキャラデザインをした人です。

 

可能性② 死んでなかった

第2の可能性は、イエスは実は死んでなかったというもの。

つまり気絶または昏睡していただけという可能性です。

 

生きたまま埋葬されるという事例は古今東西、たくさんあります。

有名どころだと、中世の神学者ヨハネス=ドゥンス=スコトゥスさん。

彼は死亡と判断されて埋葬されたものの、棺桶のなかで息をふきかえしたらしく、必死で出ようともがいて傷だらけになった手が、のちに発見されています。

また1800年代のイギリスで、埋葬された後に墓泥棒によって助け出されたという報告もあります。

死亡判定が厳密じゃない時代、まだ生きてるのに「死んだ」と判断されることも多かったでしょう。

ヨハネス=ドゥンス=スコトゥス

 

イエスの場合、衆人環視のもと十字架刑に処されたので、「死んでなかった」という可能性は低いです。

ただそれでも万が一、イエスが虫の息で生きていたとしたなら、その後自力で墓から出た可能性はあります。

イエスの遺体に巻かれたアロエ(沈香)には、殺菌・治癒効果があるからです。

また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。 

彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。
新約聖書「ヨハネによる福音書」19.39-40 

 

息をふきかえしたイエスは、傷だらけの身体をひきずって墓から出た。

彼は十字架上で経験した絶望により、それまでの信念をすべて捨てた。

そして弟子たちを置き去りにして、ひとりエルサレムを後にした。

それからどこか辺鄙な村の片隅で、だれにも素性を明かすことなく、静かに一生を終えた…。

こんな想像もできますね。


可能性③ 本当に復活した

第3の可能性は、イエスが本当に復活したというものです。

「そんなことありえない」と、現代科学の洗礼を受けているわれわれは考えますが、「説明がつかない」からといって「絶対に起こらない」とはかぎりません。

いちど死んで、生き返る。

何百億という人間のなかで、ひとりぐらいそんな奇跡があるかもしれない。

それがイエスだったのかもしれないのです。

あなたは確信をもって「復活」を否定できますか?

あなたの否定の根拠こそ、常識という迷信ではないですか?

とまあ、宗教の勧誘みたいにやらなくてもいいんですが、とにかく宗教を考えるときにはいちどその宗教の信じていることを盲目的に信じ込んでみるという姿勢も大切です。

「イエスは復活したんだ」と、とにかく信じてみる。

すると次は、イエスの復活にはどんな意味があるのかと考えたくなる。

イエスの弟子たちに起こった内面のドラマは、まさにここからはじまるわけです。


何かが起こったのは事実

以上、イエス復活の真偽を3つ検討してきました。

4つめの可能性として、何も起こらなかったというのもありますが、これは考えにくい。

なぜなら、この後イエスの弟子たちは明らかに変容するからです。

金魚のフンにすぎなかった弟子たちが、その後、迫害を恐れず、エルサレムで声高に「イエスの復活」を主張し、やがて次々と信仰に身をささげ殉教していくのです。

このように人を変えてしまう出来事が、ただ「イエスの死」だけだとは思えません。

だからやはり、イエスの処刑後、イエスに関わる何かがあったのです。

レンブラント・ファン・レイン「聖ステバノの殉教」

個人的には可能性①「遺体の盗難」がいちばんあり得ると思ってます。

ただこう思うのは、ジュウゴが2000年後に生きている他人だから。

イエスの弟子たちはちがいました。

かれらはイエスと2年間寝食をともにし、イエスの壮絶な最後もリアルタイムで経験した人々です。

しかもかれらは「合理的説明」なんて近代の産物に、毒されていません。

だからかれらは最終的に信じたのです、「イエスは復活したのだ」と。

 

では次に、弟子たちに起こった重要な変化を3つ、見ていきましょう。

 

弟子たちの内面に起こった3つの変化

「イエスが墓にいない」という知らせを聞いた弟子たち。

それからかれらの内面に起きた変化をまとめると、次の3つになります。

  1. イエスの復活を信じるようになる
  2. 同時に、イエスこそ救世主(メシア、キリスト)という信仰が生まれる
  3. イエスの「再臨」もまた信じられるようになる

この3つを経て、「ユダヤ教イエス派」とでもいうべき集団が誕生します。

以下、多分に想像が入りますが、順にくわしく見てみましょう。

 

イエスの復活を信じるようになる

イエスが墓にいないことを最初に確認したのは、マグダラのマリアなどです。

彼女たちは恐れおののきつつ、ただありのままを他の弟子たちに知らせたはずです。

弟子のひとり、ペテロなどはおそらく、自分で確認しに墓に向かったでしょう。

そこでペテロもイエスの不在を見ます。

と同時に彼の脳裏には、イエスの言動が思い起こされたことでしょう。

 

威厳ある者のごとく語り、病人を癒し、数々の奇跡を示したイエス。

イエスは本当にただの人間ではなかったのかもしれない。

神に愛され、人間を超越した存在だったのかもしれない。

であるなら、イエスは「死」すら免れるかもしれない。

そうだ、先生は死を克服したのだ!

だって、おれの尊敬する先生が、あんな突然でみじめな死で、終わるはずがない!

おれのすべてを捧げて仕えたこの2年間が、ぜんぶ無意味だった、そんなわけがない!

復活だ!先生は復活されたのだ!

「イエスの変容」
フョードル=イヴァノヴィチ=ヨルダン

 

心に生まれた「イエスの復活」という確信を、ペテロは帰ってから他の弟子たちに伝えます。

他の弟子たちもまた、イエスの強烈な人格を間近で体験してきたため、ありうることだと思いはじめます。

またペテロと同じく、イエスにすべてを捧げてついてきたことが無意味であったとは思いたくありませんでした。

疑りぶかいトマスなどは否定したでしょうが、マグダラのマリアなどはまっさきに信じたでしょう。

ペテロの弟アンデレも、兄の熱心な語りぶりに、心動かされたかもしれません。

やがてゼベダイの子ヤコブ・ヨハネ兄弟も肯定するにおよび、「イエス復活」は事実とされました。

こうして弟子たちの間で、イエスの復活が信じられるようになったのでした。

このあたり、人間がいかに現実を都合よく解釈するか、そして人間の心理がいかに集団によって左右されるかという典型例でもあります。

 

イエスこそ救世主という信仰が生まれる

イエス復活を信じたことで、同時に弟子たちのあいだでは、イエスは超越的な存在となりました。

つまりイエスへの個人崇拝が生じたのです。

もともと、イエスの魅力にひかれて集まった人たちです。

かれらは、イエスの最終目的地だったエルサレムに留まり、イエスへの祈りを捧げる日々を送るようになりました。

イエスの家族たちが弟子集団に合流したのも、おそらくこの頃でしょう。

イエスの弟ヤコブ(ゼベダイの子とは別人物)をはじめ、母や他の兄弟とともに、集団に迎え入れられたのだと思います。

イエスの兄弟ヤコブ

 

ただここでひとつ問題が生じます。

ユダヤ人にとって、神から愛される超越的な人物とは「メシア(キリスト)」を指します。

しかし8回目の記事でみたように、「メシア」という言葉には4つの意味が込められていました。

それはユダヤの王であり、預言者であり、民族解放運動家であり、救世主です。

復活後、天に昇ってしまったイエスが、現実世界の王または民族解放運動家であるはずがありません。

つまり「イエスはメシアだ」という主張は、現実世界で何も成し遂げられなかったイエス像と相反するのです。

 

そこで弟子たちは、イエスの「再臨」を願い、かつ確信するようになりました。


イエス「再臨」が確信される

イエスが「メシア」であるためには、ふたたびこの現実世界に現れる必要があります。

そしてモーセのようにユダヤ人たちを導き、マガバイ一族のように異民族の支配をしりぞけ、ダヴィデのように理想的な王にならなければいけません。

いや、きっとそうなるのだ。

だって先生はメシアなのだから。

きっと来る。その日は近い。

それまで我々は先生の再臨をひたすら祈ろう。

そして先生の教えを守りつづけよう。

同時に、先生の生き様を広く伝えよう。

 

こうして弟子たちは、イエスの再臨を信じるようになったのでした。

そして、上のような文脈でイエスをメシアと捉え、エルサレムの人々に説き始めたのでした。

こうしてみると、弟子たちは「メシア」の意味から「救世主」という部分を強調してイエスに当てはめた、といえるかもしれません。

 

エルサレムの一角で、「ナザレのイエスはメシアだった」と主張する集団。

これが「ユダヤ教イエス派」の姿です。

ユダヤの人々はこの主張をいぶかしんだでしょう。

しかし話をよく聞くとなるほどと思える論理と、冗談にしては熱すぎる確信を、イエスの弟子たちは持っていました。

イエス復活が本当なら彼こそ真のメシアだったのかもしれない…。

弟子たちの集団に加わる者が、ひとり、またひとりと増えていきました。

イエスの教えが変化し、キリスト教が誕生する

紀元30年前後、ユダヤ教イエス派の人々は上記の信仰をもち、エルサレムで共同生活を送っていました。

人数はおそらく数十人~百人前後だったでしょう。

ここに新たな人々が加わることで、ユダヤ教イエス派は大きな変化を2回、経験します。

ひとつ、ヘレニズム文化をもったユダヤ人。

ひとつ、ユダヤ人以外の「異教徒」。

この2集団の加入によって、徐々にかれらの信仰内容はイエス自身の教えから離れていきます。

そして「ユダヤ教イエス派」「初期キリスト教」へと変化していくのです。

[関連記事]
世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた1 キリスト教とイスラーム教

 

集団の変化

まず、集団の構成員と信仰内容がどのように変化していったのか概観しましょう。

最初は、すでに述べたとおり、イエスを直接知っている人々だけの集団でした。

つまりペテロをはじめとした弟子たち、マグダラのマリアをはじめとした女たち、そしてイエスの家族などです。

かれらの信仰内容も、すでに述べたとおりです。

イエスの復活を信じ、イエスをメシアと信じ、イエスの再臨を信じる。

まぁ単純素朴なイエス信仰とでもいえるもんでした。

ペテロ

 

この集団に、弟子たちの演説に心動かされた、外部の人間が入ってきます。

具体的には、エルサレムに住むユダヤ人、そしてヘレニズム世界のいたるところからやってきたユダヤ人です。

とくに後者の数は膨大で、エルサレムへ巡礼してそのまま共同体の仲間となる者が続出。

人数が増えたことで組織化も進み、またエルサレム以外での活動も進みました。

そして、人数が増えたことで、信仰のこまかい内容も議論・整理されました。

こうしてイエス刑死後、わずか10年くらいで、イエスの教えは1回目の変化を経験したのです。

紀元1世紀のヘレニズム世界

 

この頃、パウロというひとりのユダヤ人が仲間になりました。

パウロは当初、パリサイ派に属し、イエス派を毛嫌いしていたのですが、あるときから回心してイエス派に加わります。
(ちなみにこのパウロの回心の故事が「目から鱗」です)

このパウロが、異教徒、つまりユダヤ人以外にも伝道しはじめます。

同時に、ユダヤ人以外にも伝道するために、信仰内容をさらにおおきく変化させたのです。

こうしてイエスの教えは2回目の変化を経験します。

そしてこのパウロによる変更が、「ユダヤ教イエス派」から「キリスト教」への転換点となりました。

パウロ

 

では具体的に、信仰内容は、そしてイエスの教えはどのように変化したのか?

  • イエス復活の意味
  • 「悔い改め」の内容
  • 洗礼
  • 律法

この4項目でそれぞれ見てみます。


「イエス復活」の意味

まず、イエス復活の意味についてです。

当初、イエスの復活という「事実」は、ただイエスがメシアであることの証拠にすぎませんでした。

「復活するなんてさすが先生!」、単純にそんな意味づけだったのです。

 

しかし、イエスを直接知らないユダヤ人が多数加わったことで、イエス復活の意味が議論され、ユダヤ教の文脈にそって整理されました。

つまり、イエスの死はわれわれの罪をあがなうための供物であると。

そして、イエスの復活はわれわれの罪が許された証しであると。

ここでいう「罪」とは、過去に犯した律法違反のことです。(律法のくわしい内容については3回目の記事を参照)

ユダヤ教では、祭司に生贄を焼いてもらうことで過去の律法違反の罪が改められるとされていました。

ヘレニズム世界の各地からやってきたユダヤ人たちは、十字架上のイエスを生贄になぞらえて、解釈したんです。

イサクの献供

 

ところが、パウロにとっての「罪」とはこうした律法違反ではありませんでした。

集団の仲間になってからしばらくして、彼はこう主張しはじめます。

イエスによってあがなわれた罪とは「原罪」、つまりアダムとイヴの頃より人間すべてが持つ罪なんだと。

だからイエスはユダヤ人だけでなく、すべての人にとっての救世主であると。

パウロは生来、罪の意識をつよく感じる性質だったのかもしれませんね。

とにかくこうした主張によってパウロは、ユダヤ人以外への伝道の道を開いたのでした。

「原罪と楽園追放」
ミケランジェロ作、システィーナ礼拝堂天井画より

 

「悔い改め」の内容

イエス復活の意味が上記のように変化していくと、イエス自身の教えもまた、こうした変化にあわせて変わっていきました。

たとえば「悔い改め」の内容です。

 

イエス自身の言う「悔い改め」とは、7回目の記事でみたように、ユダヤ教の形式主義への批判でした。

ユダヤの同胞たちよ、きみたちは人間の定めた細かい慣習に囚われすぎている。

もっと律法の本質にたちもどれ。

これがイエスの「悔い改めよ」でした。

カール=ハインリッヒ=ブロッホ作「山上の垂訓」

 

しかし、イエスの弟子たちの番になると、「悔い改め」の内容はさっそく変化します。

イエスを信じず、十字架に送ったことを「悔い改めよ」となったのです。

つまりイエスを真のメシア(キリスト)と認めなさいって主張に変わったのでした。

 

ヘレニズム的ユダヤ人が多数加わったあとも、「悔い改め」の内容はやはり、イエスをメシアと認めることでした。

ただここではより理論が精密化され、われわれの律法違反という罪をあがなうための十字架刑だった、だからイエスはユダヤ人のメシアである、そのことを認めなさいって主張です。

イエスの直弟子たちには、師を殺された恨みも多少あったでしょうが、後から加わったユダヤ人にそんな感情はありません。

だから、イエスの十字架上の死は予定されたことだったというように解釈しなおされたんです。

ルーベンス作「キリスト昇架」

 

そしてパウロの番になると、上でみたように、イエスの死は人間すべての原罪をあがなうためのものとなります。

だから、パウロの「悔い改め」は以下のとおりです。

われわれすべての原罪をあがなうための十字架刑だった、だからイエスは全人類のメシアである、それを認めなさい。

こうして、現代までつづく「悔い改め」の内容が形作られたのでした。


洗礼

イエスの教えは他の部分でも変化しました。

「洗礼」についても、それがいえます。

 

イエス自身はひとことも「洗礼を受けよ」なんて言っていません。

それが変化したのは、弟子たちの頃、あるいはヘレニズム的ユダヤ人が多数加わった頃のことです。

おそらく、イエスの師匠だった洗礼者ヨハネの教えとごっちゃになったんでしょう。

レオナルド=ダ=ヴィンチ作「洗礼者ヨハネ」

紀元30年前後の段階で、洗礼者ヨハネの名声はイエスと同等あるいはそれ以上でした。

また、水で身を清めるという儀式は古来より各地でおこなわれ、罪を洗い流すものとして知られていました。

もともと「最後の審判」という概念があるため、罪の蓄積を人一倍恐れるのがユダヤ人です。

「贖罪をしてくれるもの=イエス(キリスト) with 洗礼」

こんな感じで、イエス派集団に洗礼という儀式がもちこまれたのでしょう。

とくにヘレニズム世界から集った離散ユダヤ人たちがもちこんだのでしょう。

「イエスの師匠はあの洗礼者ヨハネらしいぞ、じゃあ洗礼もセットだ」って。


律法

最後に、律法(トーラ―)についての変化です。

 

イエス自身は、ユダヤ教の形式主義は批判したものの、「律法なんかどうでもいい」とは言いませんでした。

むしろ、律法の本質に立ち戻れというのがイエスの主張の中心でした。
(詳しくは7回目の記事参照)

 

イエスに付き従った弟子たちも、律法の重要性は当然のこととして認めていました。

またイエスと違い、弟子たちは行動面でも律法の細部まできちんと遵守し、その遵守ぶりを他派から褒められるほどでした。

おそらく、ヘレニズム的ユダヤ人が加わった後も、この姿勢はたいして変わらなかったでしょう。

タナハ(ヘブライ語聖書)

 

おおきく変化したのは、例によって、パウロからです。

パウロはアンティオキアなどで異教徒、つまりギリシア人やローマ人などにも伝道していましたが、かれらにユダヤ教の律法を守らせることは現実的にほぼ不可能でした。

だってギリシア人やローマ人、割礼してないし。

また「異教徒とは一緒に食事をしない」なんて、仲間どうしでありえないし。

こうした状況に困ったパウロは、最終的に「律法より信仰が大事」と言い出すんです。

人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰による

新約聖書「ガラテヤの信徒への手紙」2.16

 

律法を守ることでは、人の罪はあがなわれない。

この主張はユダヤ教とまっこうから対立します。

なぜなら3回目の記事でみたように、ユダヤ教における律法とは神との契約だからです。

こうしてパウロの手によって、ユダヤ教イエス派はユダヤ教そのものから離れ、別の宗教=キリスト教へと変貌していったのでした。


 

まとめ

以上、キリスト教誕生の経緯を見てきました。

まとめます。

この記事のまとめ

○イエス復活の真偽にかんして、主な可能性は3つ。

  • 弟子あるいは他の誰かが遺体を盗んだ
  • 実は生きていて、自力で脱出して去った
  • 本当に復活した

いずれにしろ、処刑後に何かが起こったのは事実。

なぜならこの後、弟子たちがおおきく変容するから。



○十字架刑の後、弟子たちに生まれた信仰が以下の3つ。

  • イエスは復活した
  • イエスはキリスト(メシア、救世主)だった
  • イエスは再臨する

これらを信仰する集団として「ユダヤ教イエス派」が誕生する。

そしてしだいに仲間が増えていく。


○集団は2回のおおきな変化を経験する。

  1. ヘレニズム的ユダヤ人の加入
  2. 異教徒(非ユダヤ人)の加入

これら2度の加入にともない、信仰内容も変わっていく。

つまり、イエス復活の意味や「悔い改め」の内容が変化し、また洗礼が導入された。

そして、パウロにより信仰が律法より重要と位置付けられたことで、ユダヤ教からの決別を果たす。

こうしてユダヤ教イエス派はキリスト教へと変貌した。

 

以上が紀元30年代~60年代のおよそ30年間で起きた出来事です。

 

そしてキリスト教はローマ世界へ伝播する

最後に、60年代以降のキリスト教の広まりについて触れておきます。

 

紀元66年から、第1次ユダヤ戦争が勃発します。

このユダヤ人による反乱はローマ軍により徹底的に弾圧され、エルサレムの街は荒廃、エルサレム神殿も炎上しました。

これによりエルサレム教会も、初期キリスト教団のなかで中心的立場を失います。

よって、これより以後は、地中海各地に点在する教会がそれぞれ各地の信者をまとめるようになるのです。

パウロのつくったアンティオキア教会

ペテロを初代とするローマ教会

アンデレを初代とするビザンティウム教会(のちのコンスタンティノープル教会)。

そしてアレクサンドリア教会などです。

(「世界史サロン」様より)

 

各地の教会では、ユダヤ人よりも、むしろ非ユダヤ人への伝道が多くなりました。

パウロが変化させた教義によって、それが可能になったのです。

そこでより多くの人々に教えを伝えるため、各地で「福音書」が作成されました

(「福音書」の成立時期については1回目の記事を参照)

こうして2~3世紀にかけて、ローマ世界各地でキリスト教徒が増えていったのです。

ヨハネによる福音書

その後の、

  • ディオクレティアヌス帝による迫害
  • コンスタンティヌス帝による公認
  • 公会議による「正統」と「異端」の仕分け
  • テオドシウス帝による国教化

などは、ご存じのとおりですね。

また機会があれば、くわしくほりさげてみます。

 

2019年2月追記

以下の記事で、宗派ごとの違いと成立過程について解説しています。

「キリスト教の本質」の章の「宗派ごとのちがい」という節です↓

世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた

 

 

おわりに

全10回にわたり、イエスの生涯に迫ってみました。

ちょっとでも「人間イエス」が具体的にイメージできたなら、幸いです。

なお、この連載の主な参考文献・論文などは以下のとおりです。

  • 日本聖書協会『口語訳聖書』
  • レザー=アスラン著、白須英子訳『イエス・キリストは実在したのか?』
  • カス=センカー著、佐藤正英訳『ユダヤ教(世界宗教の謎)』
  • ノーマン=ソロモン著、山我哲雄訳『ユダヤ教』
  • 宮本久雄・大貫隆編『一神教文明からの問いかけ‐東大駒場連続講義‐』
  • 田川健三『イエスという男』
  • 遠藤周作『イエスの生涯』
  • 塩野七生『ローマ人の物語』
  • 石井栄二編『詳説世界史』
  • 中島路可「アロエと沈香~旧約・新約聖書のアロエをめぐって~」
  • 田代英樹「原始キリスト教における公共性:ユダヤ教からの脱却」
  • 船本弘毅「パウロの律法理解についての一考察-特に律法の業をめぐって-」

 

個人的なことですが、今回の連載をとおして、西欧絵画に詳しくなりました。

ユダヤ教の伝説、イエスの生涯、そしてキリスト教の物語を知れば、中世以降の芸術作品に使われてるモチーフってだいたいわかるんですね。

非常に勉強になった!

あぁヨーロッパ行って美術館めぐりしたい!

コメント

  1. 匿名 より:

    天使と悪魔を見てキリスト教について知りたい、けど歴史は苦手だしキリスト教ちんぷんかんぷんだったので、とてもわかりやすくて面白かったです…!ありがとうございました!

  2. アリとキリストデス より:

    個人的に裏切者ユダがイエスの遺体を盗んだ説を唱えたいと思いました。

    生きていては真の伝道をできないと悟ったイエスは弟子ユダに命じローマ軍に
    通報させて死んだあとに死体を盗ませることで自身を唯一神にする計画を企てたのです。
    そのあとの信者たちの変容もイエスの想定内でした。
    そして死ぬ間際に兵士にいったセリフもある種キリスト教が広まることで
    叶えてるようにに思えます。まあ憶測ですけどw

    • じゅうご より:

      ありうる説ですね。実際「ユダの福音書」には、アリとキリストデスさんの言われるような内容が書かれています。イエスの秘めた真意を知っていたのはユダだけだった、だからユダはわざと裏切り、イエスの真意どおり彼を天に上げたのだと。
      「ユダの福音書」は2、3世紀にグノーシス主義に基づいて書かれた史実との関連性の薄い主張のひとつ、という解釈にしたがって今回は取り上げませんでしたが、遺体を盗んだのが仮にイスカリオテのユダだったら、この主張も可能性としてはアリですね。

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