イエスの生涯をめぐる連載の9回目。
いよいよイエスはエルサレムへと入ります。
そこで待ち受けるさまざまな運命とは。
- 祭司や律法学者とのやりとり
- ユダの裏切り
- 最後の晩餐
- イエスの逮捕と尋問
- ゴルゴダの丘での十字架刑…
有名な「受難物語」、その経緯と理由を、宗教色をぬきにして、人間イエスに沿ってみていきましょう。
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エルサレム入城
紀元30年の春、イエスと弟子たちはベタニアをとおってエルサレムへと向かいました。
季節はちょうど過越し祭。
ユダヤ教最大の祭典のひとつです。
この時期エルサレムは、わずか1キロメートル四方の街に、大勢の人がごったがえします。
パレスチナ各地からやってくる巡礼者。
その巡礼者をあてこんだ露天商や両替商。
そして神殿の祭司たち。
数万人の喧騒のなかを、イエスたちは入城していくのです。
いと高き所に、ホサナ
イエスがエルサレムに上ってきた理由。
それは前回の記事でみたように、王となるためでした。
そこでイエスはエルサレム入城前に、演出をひとつおこないます。
弟子たちにロバの子を用意させ、そのロバにまたがって入城したのです。
ユダヤ人のあいだでは、王はロバの子にのってくると信じられていたからでした。
ヘブライ語聖書「ゼカリヤ書」9.9
この演出には、「わたしが王だ」というイエスの決意表明がみてとれます。
つまり、エルサレム入城時点で、イエスは「メシア隠し」をやめたのです。
ときの支配者よ、来るなら来い。
わたしはこの熱情と、そして神の栄光によって、いまの社会をひっくりかえす。
きっと馬上のイエスの顔は、威厳に満ちていたでしょう。
そんなイエスを、エルサレムの群衆もまた熱狂的に出迎えます。
ある者は自分の上着をとり、ある者は葉のついた枝を切りとり、イエスの行く道に敷きました。
そしてイエスについて歩きながら、口々にこう叫びます。
「ダヴィデの子に、ホサナ」
「主の御名によって来たる者に、祝福あれ」
「いと高き所に、ホサナ」
群衆もまた、イエスの噂を伝え聞いており、ユダヤの王が来たと心躍らせたのでした。
ちなみにここでいう「ホサナ」とは「save now」という意味ですが、ようするに「万歳」のような人を讃える掛け声です。
イライラするイエス
入城したイエスは、エルサレム神殿に向かいます。
神殿前の広場にはたくさんの露店があり、大勢の人が売り買いしていました。
なかでも生贄用の動物、とくにハトなどは人気の露店でした。
また生贄を祭司に焼いてもらうためにはローマ硬貨でなくユダヤ硬貨を渡す必要があったため、両替商も多く出店していました。
イエスはこの神殿前広場で、乱暴な行動に出ます。
売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替商の台をひっくりかえし、ハトを売る者の腰掛をくつがえし、そして
「ここは祈りの場だ。それなのに、おまえたちが強盗の巣にしてしまった」とのたまったのです。
それからイエスは夕方までエルサレム市街を回り、やがて近郊のベタニアへと帰りました。
イエスはなぜあんな乱暴をしたのか?
6回目の記事でみたように、神殿祭司階級への非難だったのかもしれません。
生贄を焼くことで献金をもらう、そんな慣習の上でぬくぬくとしている祭司たちへの当てこすりだった可能性もあります。
あるいは7回目の記事でみたように、現行のユダヤ教を批判したのかもしれません。
慣習という形ばかりを重視して律法そのものの本質を忘れているすべての人々に、いいようのない怒りをぶつけた可能性もあります。
もしくは、経済活動そのものへの生理的な嫌悪がイエスの中にあったのかもしれません。
4回目の記事でみたように、イエスという人は子ども時分から都市に出稼ぎして貧富の差を実感し、またたくさんの弟・妹を養いながら「働けど働けどわが暮らし楽にならざり」を実感し、やがて30歳で世を捨てた人です。「商売」「おかね」というものに根っからの嫌悪があった可能性もあります。
そしてまたイエスには、王であるおれがエルサレムに来たのに何事も起こらない、こんないらだちもあったのでしょう。
ただ、「何も起こらないぞ、どうなっての?」と周囲に聞くわけにもいきません。
だからイエスは翌朝、いちじくの木に八つ当たりするんです。
空腹なのに実がなっていなかったので、「今後いつまでも、おまえには実がならないように」と言って。
たしかにイエスにとっては、エルサレム入城後、肩透かしをくらった恰好でした。
神がお力を示すわけでもなく、また兵たちが逮捕しに来るわけでもなく、ただ不気味に日々が過ぎていったからです。
唯一イエスのもとにやって来たのは、幾人かの祭司や律法学者だけでした。
任意聴取1:何の権威があって
じつは為政者側は、しばらくイエスを泳がせようとしていました。
その間にイエスの言動を監視し、反逆罪の証拠を集め、そしてスキをみて逮捕するつもりだったのです。
というのも、イエスに体制転覆の意思ありという確固たる証拠をまだつかめていなかったため。
また、イエスの周囲にはつねに群衆がつきしたがい、なかなか逮捕するタイミングがなかったためです。
警察による、容疑者の泳がせ捜査みたいなもんですね。
そしてこの例でいうと、容疑者のもとに任意の事情聴取にやってくる刑事役が、祭司および律法学者でした。
神殿前広場での乱暴の後、イエスのもとに数人の祭司および律法学者がやってきて、こう尋ねました。
「何の権威があって、あんなことをしたのですか。誰があんなことをする権威を授けたのですか」。
これは巧妙な質問です。
もしイエスが「神から授かった」と答えれば、それは「自分は王である」と認めた証。反逆罪の証拠となります。
またイエスが「誰からも授けられていない」と答えれば、じゃああんな乱暴をする権利もないってことで、器物破損とかなんとかの罪でやはり逮捕できます。
つまり祭司と律法学者は、イエスに誘導尋問をしかけたのです。
これに対して、イエスの返答がふるっていました。
「ひとつだけ尋ねたい。それに答えてくれたら、わたしも質問に答えよう。洗礼者ヨハネは天からであったか、人からであったか」。
祭司と律法学者は窮しました。
もし天からと答えたら、ではなぜ洗礼者ヨハネを信じなかったのかとイエスは詰問するだろう。
またもし人からと答えたら、ヨハネを預言者だと信じている群衆がだまっていないだろう。
どうしよう…、
「わたしたちにはわかりません」。
そこでイエスは続けました、
「わたしも何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたには言うまい」。
任意聴取2:皇帝に税を納めるべきか
いったんはやりこめられた為政者側ですが、このまま引き下がるわけにはいきません。
別の日、今度はパリサイ派ほか数名がイエスのもとにやってきて、こう尋ねました。
「先生、あなたは真実なかたです。また人を分け隔てせず、誰をもはばからないことも知っています。ところで、カエサルに税金を納めるべきでしょうか。納めてはならないのでしょうか」。
これもまた巧妙な質問です。
まず、あなたは正直に話す人だと、下手に出ながらもクギをさしています。
そのうえで、カエサル(ローマ皇帝)に税金を納めるべきかどうかという2択。
もし「納めるべきだ」と答えれば、それはローマ間接統治の現状を受け入れたことになります。
ローマ支配に不満をもち、だからこそイエスに期待している群衆は、一気にイエスを見離すでしょう。
またもし「納めるべきではない」と答えれば、ローマ支配に抵抗を唱えたことになります。
群衆は湧くでしょうが、為政者側からすればりっぱな反逆罪。イエスを逮捕できるのです。
このいじわるな質問に対しても、イエスは見事な返しをみせました。
「デナリを持ってきて見せなさい」。
デナリとはローマ皇帝が発行するデナリウス銀貨のこと。
表面にはときのローマ皇帝の横顔が彫られています。
この時代、地中海世界ではローマ貨幣がひろく浸透し、またローマへの納税もローマ貨幣でおこなわれていました。
イエスは1デナリ銀貨を手にすると、それを示し、
「これは誰の肖像、誰の記号か」と尋ねました。
「カエサル(ローマ皇帝)です」。
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」。
ローマ皇帝のものはローマ皇帝に返せばいいだろう。
ごたごた言うなよ。
あんたたちだって、神に捧げるとして、おれたちから税金を取り上げてるんだから。
イエスはこう言って相手をやりこめたのでした。
ちなみにこの「カエサルのものはカエサルに…」というイエスの言葉に、政教分離の解釈を当てはめようとするキリスト教徒もいますが、イエスの真意ではありません。
女に優しいイエス
さて、度重なる任意聴取をきりぬけたイエスですが、ここで彼が女性とどう接していたのかにもふれておきましょう。
一言でいえばイエスは、女にモテました。
マグダラのマリアと結婚していたかどうかは置いたとしても、多くの女性が彼に付き従っていました。
イエスという男は威厳があり、イエス集団のリーダーで、そのくせたまにひどく弱音を吐くこともあったので、女からしたらとても魅力的な男性だったのでしょう。
そしてイエスは女に優しい男でもありました。
エルサレム市街で、賽銭箱に2レプタ(少額)ほど入れた貧しいやもめを見て、
「あの貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れたのだ」と弟子たちに話したりしています。
またあるときベタニアで、ひとりの女が高価な香油をイエスに注いでくれました。
イエスの弟子たちはこれを見て、女をとがめます。
「無駄使いをするな。その香油を売れば、貧しい人たちに施すことができたのに」と。
しかしイエスは女をかばいました。
「女を困らせるな。この人は良いことをしてくれたのだ。できるかぎりのことをしてくれたのだ」。
そしてこう続けました。
「すなわち、わたしの体に油を注いで、あらかじめ葬儀の用意をしてくれたのである」。
この福音書の記述が本当ならば、イエスはみずからの死を覚悟していたのかもしれません。
イエスの逮捕

フラ=アンジェリコ「イエスの捕縛」
イエス逮捕のきっかけをなかなかつかめない支配者側でしたが、ここでユダの裏切りにより、おおきなチャンスが訪れます。
弟子のひとりユダが、イエスの潜伏先へ案内すると申し出てきたのです。
これにより支配者側は、証拠固めを後回しにして、まずイエスの逮捕へとのりだしました。
いっぽう、イエスの他の弟子たちは、この動きに気づいていませんでした。
唯一気づいていたのは、イエスただ一人だったのです。
ユダの裏切り
「イスカリオテのユダ」とよばれるユダヤ人はどんな人物だったのか。
聖書を読んでも、また外典である「ユダの福音書」を読んでも、よくわかりません。
わかっているのは、イエスに付き従う弟子のひとりだったこと。
カリオテという、今となっては場所を特定できない町の出身であること。
そしてイエス集団を裏切り、イエスを支配者の手に渡したことです。
ユダはなぜイエスを裏切ったのか?
このテーマほど古来、おおくの人の想像力を喚起したものもありません。
- 単純に、お金欲しさから(「マタイ」)
- ユダの心にサタンが入ったため(「ルカ」、「ヨハネ」)
- イエスを天に上げるため(「ユダの福音書」)
- ユダの純粋なまでの愛憎から(太宰治「駈込み訴え」)
- イエスの前途に絶望して
どの理由もあるいは本当かもしれないですね。
とにかく、ユダは集団からひそかに抜け出して、祭司たちのもとへ行き、
「イエスの潜伏先を知っています、わたしが案内します」と告げたのです。
これにより、祭司たち支配者の腹は決まりました。
まずイエスを逮捕しよう。
最後の晩餐
いっぽう、その日の夕方、イエス一行はまだエルサレム市内にいました。
市内のイエス支持者の家で、食事をすることになっていたからです。
イエス一同にとって、この夕食が「最後の晩餐」となりました。
みなが席について食事をしているとき、イエスが突然告げます。
「あなたがたの中のひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
弟子たちは驚き、心配して、まさかわたしではないでしょうと口々に言い立てます。
そこでイエスは、いったん一同のもとに戻っていたユダを示しました。
そしてこう続けたのです。
「人の子を裏切る者はわざわいである。生まれなかったほうが、よかっただろう」。
ユダはどんな気持ちで、イエスの言葉を聞いていたのでしょう。
このあとイエスは弟子たち全員にパンを割き与え、またワインを注いでまわり、
「このパンはわたしの体、このワインはわたしの血だ」と言って与えました。
おそらく、イエスなりのけじめだったのでしょう。
おれの言葉を聞いてもなお、ユダが裏切るというなら、それでいい。
わたしは恐れない。逃げも隠れもしない。
わたしは逮捕されるかもしれないが、そんなことで屈したりはしない。
わたしの情熱と、神の栄光とが、必ずや神の国を訪れさせるだろう。
そしてわたしが王となるときがくる…。
そんな宗教的熱狂のいっぽうで、イエスはひどく現実的な対応もしました。
「ルカの福音書」によれば、イエスは弟子たちに、「つるぎのない者は上着を売って買え」と命じるのです。
弟子が「ここにつるぎが二振りあります」と答えると、イエスは「それでよい」と言います。
この記述が本当なら、イエスの中で、逮捕などかまうものかという純宗教的な部分と、やっぱり逮捕されるのはいやだという現実的な部分とが、せめぎあっていたことになります。
矛盾といえば矛盾ですが、本来人間はみな矛盾した存在です。
そしてイエスの場合、この矛盾の落差が激しいからこそ、より人間的な魅力が増すのです。
ひとつ、純粋なまでの信仰心と使命感。
ひとつ、冷徹なまでに現実を見ることができるがゆえの、恐れと絶望。
イエスの中でのこの2つの相克は、このあと徐々に、振れ幅をおおきくしていきます。
オリーブ山での夜
日も暮れて、イエス一行はエルサレム市街を出、すぐ東にあるオリーブ山へと登りました。
このオリーブ山と、ベタニアとが、イエス一同の潜伏先だったのです。
ちなみにベタニアとは、現在、パレスチナ人の村であるアル=エリザリヤに当たります。
イエスはオリーブ山の麓、ゲッセマネという所へ行き、ひとり祈りはじめます。
弟子たちにはすこし離れたところで待機させて。
またペテロ・ヤコブ・ヨハネの筆頭格3人には「目をさましていろ」と告げて。
これはユダの手引きにより、兵卒たちが今夜、自分を逮捕しに来ることを警戒したのでしょう。
だからイエスは祈りながらも、恐れ、おののき、悲しみ、苦悩しました。
イエスの体からは汗が血のようにしたたり落ちました。
そして天にむかって「父よ、どうかこの杯をわたしから取りのけてください」と叫びました。
しかし神は、イエスの胸の苦しみを取り除くことはありませんでした。
その力を示し、逮捕前にイエスを王にすることもありませんでした。
イエスがこんな苦悶の祈りをつづけているとき、弟子たちは眠りこけていました。
まさか、おれたちの先生が今夜ここで逮捕されるなんて、思いもしなかったのです。
いつ先生は王になるかなー。
おれはどの支族の長になれるんだろー。
弟子たちは食後のいい気分の中、こんなことを夢見つつ、まどろんでいたのでしょう。
イエスはこんな弟子たちを見て、祈りのあいまに「目をさませ」と叱りますが、弟子たちに緊張感はかけらもありません。
そして、そのときがやってきました。
木々のすきまをぬって、揺れる松明がいくつも近づいてきたのです。
「先生!」
武装した兵卒、数十人がイエスのもとへ迫ります。
先導するのはユダ。
ユダはあらかじめ兵卒たちに、合図を伝えていました。
わたしのキスする相手が、イエスであると。
ユダヤ人のあいだでは、接吻は性別に関係なく愛情を示す行為でした。
手筈通り、ユダはイエスの姿をみつけると、「先生っ!」といって駆け寄り、イエスにキスしました。
これを合図に、兵卒たちはイエスを取り囲み、逮捕したのです。
突然の逮捕劇に、弟子たちは慌てふためきます。
多くはわけのわからぬまま、散り散りに逃げ去りました。
弟子のひとりは剣で立ち向かい、兵卒の耳を切り落としました。
しかしそれを見て、イエスは弟子を制止します。
殺し合いを恐れたのか。
あるいは、権力に立ち向かうときは今ではないと諭したのか。
いずれにしろ、形の上では、イエスはおとなしく捕まったのでした。
十字架の磔刑

カレル橋の十字架像(チェコ・プラハ)
イエス逮捕後の福音書の記述はどれも、信憑性を欠きます。
なぜなら、散り散りに逃げ去った弟子たちに、イエス尋問時のくわしい様子などわかるはずがないからです。
わかっているのはただ、イエスが尋問されたこと。
それに対してイエスが肯定したこと。
その結果、イエスは反逆罪となり、十字架刑に処されたことでした。
イエスの尋問
ここまで、イエスを逮捕しようとし実際に逮捕した人々を、たんに「為政者側」「支配者側」と呼んできました。
かれらの内実は、ローマおよびユダヤ神殿祭司階級でした。
つまりローマ総督ピラトと、その部下たち。
そして大祭司カイアファと、祭司長や祭司、律法学者、数名のパリサイ派、そしてかれらに仕える部下たちです。
4回目の記事でふれたように、紀元30年時点において、ローマと神殿祭司階級は一枚岩でした。
ともに協力して、秩序の維持をめざし、体制転覆をはかる芽をみつけては早急につみとっていたのです。
だから、「ピラトはイエスの処刑に消極的だった」という福音書の記述は、本当ではありません。
あれは福音書記者がローマ布教をめざしていたので、ローマ人を悪者にしたくなかったためについたウソです。
実際は、神殿祭司階級の誰かがイエスを尋問し、自白を取り、そしてピラトが処刑にゴーサインを出したのでしょう。
この尋問というのが、「あなたはメシアか」というものでした。
そしてこの尋問に対するイエスの答え。それが、
新約聖書「マルコによる福音書」14.62
だったのです。
「人の子が来るのを見るであろう」
前回の記事でみたように、為政者側にとって「あなたはメシアか」という質問は、
「おまえは体制転覆をもくろむ解放運動家なのか」という意味でした。
しかし、これも前回の記事でみたように、イエスのめざすものは人がメシアと呼ぶ概念とはすこし違っていました。
だからイエスは、「わたしがそれである」と言ったすぐあとに、『ダニエル書』の一節を引用したのです。
イエスが言いたかったこと。
それは次のようなことでした。
おまえたちはわたしをメシアとみなす。
それもいいだろう。
しかし、人の子はまもなく神の栄光を受ける。
そのとき、この社会はひっくりかえり、神の国が訪れる。
そしてわたしが全く新しい形の王となる。
わたしという人間は、そんな存在なんだ。
おまえら、あとで吠え面かくなよ。
しかし、為政者側はイエスの真意をくみとろうなどとはしませんでした。
尋問官にとってはただ、イエスに体制転覆の意思があるかないかさえわかればよかったのです。
そしてイエスの返答は「ある」でした。
これにより、イエスの自白が成立しました。
イエスは反逆罪で起訴。
十字架刑はローマ法での反逆罪
当時の神殿祭司階級にも、ユダヤ社会における司法権はありました。
律法違反にはその内容によってこまかく刑罰が決められており、もっとも重い罪に対しては石打ちによる死刑でした。
しかしイエスの罪は、律法違反ではなく、社会の秩序をおびやかそうとした反逆罪です。
宗教的な罪以外の、社会的な罪に対しては、当時のパレスチナではローマ法が適用されました。
だからイエスは、石打ち刑ではなく、ローマ法にもとづいて十字架刑となったのです。
十字架刑とは、当時、ローマ法のなかでももっとも重い刑罰のひとつでした。
主に奴隷や身分の低い者、また非ローマ市民で重大な犯罪をおかした者がこの刑に処されました。
刑の内容はまず、受刑者の体をムチで打ち、またさまざまな方法ではずかしめます。
次に十字架を受刑者本人に背負わせ、小高い丘まで運ばせます。
丘に十字架を立てたら、受刑者をそこに磔にして、さらし者にします。
そして長い苦痛を味わわせながら、死にいたらしめるのです。
ヴィア=ドロローサとゴルゴダの丘
イエスはまず体中をムチで打たれました。
それからいばらの冠をかぶせられ、首には「ユダヤの王」という札が下げられました。
いばらの冠と札とは、イエスの罪を明示するとともに、罪人を辱める意味があります。
つまり「こいつはユダヤの王を自称した」という意味です。
次にイエスは十字架を背負い、処刑場所まで歩かされました。
これには見せしめの効果がありました。
実際、過越し祭に集ったエルサレムの多くの群衆が、罪人としてのイエスの姿を見ました。
イエスを知らない者は好奇の目で見たでしょう。
イエスを知っていた者は落胆し、「あいつは本物の王じゃなかった」と罵声を浴びせたでしょう。
いま、イエスの歩いた道は「ヴィア=ドロローサ」、つまり「苦難の道」として、エルサレム旧市街に残っています。
処刑場所である「髑髏(=ゴルゴダ)の丘」に着くと、兵卒たちが十字架を立てます。
イエスは兵たちに着物を奪われ、裸にされました。
そして十字架の横棒に手を釘で打ちつけられました。
ついで両足を重ねて、これも釘で打ちつけられました。
イエスの体重を支えるものは、体をつらぬく3本のふとい釘のみ。
この状態で、約6時間、イエスは苦しみぬくのです。
釘につらぬかれた激しい痛みによって。
出血と、丘の上昇気流による、脱水症状によって。
イエスの最後
イエスという人間は、ユダヤ教を改革しようとした人でした。
また、下の者は上になり上の者は下になるという、新しい「神の国」概念を説いた人でした。
そして神の国が到来した暁には、人の子として自分が王になると確信していた人でした。
それがいま、十字架上で耐え難い苦痛に苦しんでいます。
周りには群衆がとりかこみ、罵声をあびせるのが聞こえます。
「ユダヤの王よ、他人を救うまえに、自分を救ってみせるがいい」
「神の子なんだろう、十字架から降りてみろよ」
ここに至っても、神はお力を示そうとしません。
激痛と脱水症状で意識朦朧のなか、イエスは思います。
なぜなのか、と。
わたしを救い、神の国を到来させ、この社会をひっくりかえすのは、今をおいてほかにないだろう。
神よ、なぜなのですか。
この後におよんで、なぜ何も起こさないのですか。
まさか、わたしを見捨てたのですか。
正午をまわり、陽はさらに照りつけ、イエスの脱水症状は極限となり、また呼吸も苦しくなりました。
長時間十字架上にはりつけられると、横隔膜が下がり、肺にじゅうぶんな空気を吸い込むことができなくなるのです。
イエスを憐れんだ群衆のひとりが、海綿にワインをふくませ、棒の先にくくりつけて、イエスの口元にあてようとします。
しかしイエスにはもう、それに口をつける力もありませんでした。
はあ、はあ、と苦しい呼吸のなか、イエスは叫びます。
「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てたのですか」
そして最後に、もう一言なにか叫びました。
群衆には彼がなにを叫んだのか、聞き取れませんでした。
そしてイエスは息をひきとりました。
34年間の生涯でした。
[イエスの連載記事一覧]
まとめ
以上イエスの「受難物語」を、人間としての彼にそって見てきました。
まとめてみましょう。
この記事のまとめ
王になるためにエルサレムに入ったイエス。
しかし何事も起こらないことにイライラします。
ただ為政者の任意聴取をうまくかわしたり、女に優しかったりと、さすがイエスという所は随所に見せました。
いっぽうの為政者側には、ユダの裏切りによりイエス逮捕のチャンスが訪れます。
ユダの本心はわかりませんが、イエスの潜伏場所を案内すると申し出てきたのです。
この裏切りに唯一気づいていたのが、当のイエスただひとりでした。
最後の晩餐で、ユダの裏切りを示しつつ、待ち受ける運命をイエスは享受しようとします。
ただイエスの内面では、そんな達観したイエスと現実的なイエスとが相克していました。
オリーブ山での夜、イエスははげしく苦悩します。
弟子たちは、そんなイエスの内心も、そして待ち受ける運命にも気づきませんでした。
エルサレムの兵たちがユダ先導のもと迫り、あっというまにイエスは逮捕されたのです。
ローマ総督と神殿祭司階級とはたがいに協力し、イエス処刑の手続きをすすめました。
「あなたはメシアか」という尋問に対し、イエスの答えは「そう言えばいい、おまえたちは人の子が来るのを見るだろう」というものでした。
イエスの真意が、メシア像とはすこしちがう自分の存在意義を示すことだったにせよ、為政者たちにとってそんなことはどうでもよかったのです。
イエスのこの答弁で、イエスの有罪が決まりました。
反逆罪で、ローマ法にもとづき十字架刑に処す。
イエスはムチ打たれ、辱めをうけ、十字架を背負って歩かされたのち、処刑の丘で磔にされました。
長い苦しみと、群衆の罵声、そして神の沈黙に対する絶望ののち、イエスは息をひきとったのでした。
イエス死後の弟子たちと、「復活」
その後イエスの遺体は、彼の支持者のひとりによって引き取られました。
そしてその支持者と、マグダラのマリアをはじめイエスに付き従ってきた女たちの手で、イエスは埋葬されました。
ペテロたち十二使徒はどうしていたのか。
オリーブ山での夜、散り散りに逃げたあと、とおまきにイエスが処刑されるのを見ていたのです。
かれらはふたたび集まっていたものの、唯一絶対の指導者を失って途方にくれていました。
かれらはまだ、一人ひとりでは何もできない、ただイエスについてきただけの金魚のフンでした。
3日後、弟子たちのもとに「イエスが復活した」という信じられない知らせが届きます。
いったい何が起こったのか。デマではないのか。
しかしこののち、イエスの弟子たちは「キリストの復活」を固く信じ、身の危険もかえりみずエルサレムでそれを声高に訴えていくのです。
つまりイエスの復活が弟子たちを変え、初期キリスト教団を生み出したのでした。
イエスの復活は、史実だったのか?
それとも虚構なのか?
そして弟子たちの内面で起こった変化とは?
次回、イエスの生涯にせまる連載の最終回。
「そしてキリスト教が誕生する」。
乞うご期待。
→イエスはどんな人間だったのか⑩ そしてキリスト教が誕生する
(その他の記事はこちらから↓)
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