イエスの生涯にせまる連載の5回目です。
今回はイエスが弟子入りした「洗礼者(バプテスマ)ヨハネ」を取り上げます。
洗礼者ヨハネとはどんな人物だったのか?
彼はどんな教えを伝えたのか?
そしてイエスは彼からどんな影響を受けたのか?
このあたりを解説していきますね。
ちなみに今回取り上げる「ヨハネ」は、12使徒のヨハネや福音書記者のヨハネとは別人です。
(その他の記事はこちらから↓)
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洗礼者ヨハネとは
洗礼者ヨハネは、イエス以上に謎多き人物です。
ヨハネについてわかっていることは限られていますが、まずは彼の人物像から見ていきましょう。
「荒野で呼ばわる者」登場
紀元26年頃、ヨルダン川沿いの荒野に、とつぜん一人の男が現れます。
彼はみずからを「ヨハネ」と名乗り、ヨルダン川沿いを旅しながら、人々にこう訴えました。
「悔い改めよ。神の国は近づいた」。
そして人々に「洗礼」という、独特の儀式をさずけました。
ヨハネのうわさはすぐに広まり、パレスチナ中から多くのユダヤ人がヨハネのもとを訪れるようになりました。
ヨハネのほうでも各地を歩き回り、北はアイノン、南はベタニアまで足をのばして、みずからの考えを民衆に訴えました。
こうしてヨハネはたちまち民衆のあいだの人気者となりました。
「ヨハネは預言者ではないか」
「いや、救世主(メシア)ではないか」
こうした声がちまたで聞かれるようになりました。
不満のたまっていたこの時代、ユダヤの民衆たちは「世直し」をしてくれる誰かを待望していたのです。
ヨハネの出自
ヨハネという人が、荒野に現れる前はどこで何をしていたのか、わかっていません。
「ルカによる福音書」によれば、ヨハネの父はユダヤ教の祭司だったそうです。
もしこれが本当なら、ヨハネは祭司という恵まれた地位を捨てて荒野に出たことになります。
貴族身分を捨てて出家したお釈迦さまとおなじですね。
民衆に人気があったのも、もしかしてこうした出自も関係していたのかもしれません。
また、これも憶測ですが、ヨハネは荒野でひとり活動するまで、エッセネ派のどこかの教団に属していた可能性があります。
エッセネ派は前回の記事でも書いたように、死海周辺の荒野を活動拠点としていました。
ヨハネの活動地域と近いんです。
そしてヨハネの暮らしぶりも、エッセネ派と似た点がありました。
ヨハネの暮らしぶり
洗礼者ヨハネの暮らしぶりはとても質素なものでした。
新約聖書「マルコによる福音書」1.6
「野蜜」とは野生のハチミツのことです。ハチの巣からとりだして拝借してたんでしょうね。
こうした食生活はエッセネ派と共通しています。
またヨハネは一定期間の断食もおこなっていました。
これもエッセネ派にみられる特徴です。
ただヨハネが他のエッセネ派と異なる点もあります。
集団ではなくひとりで活動をはじめたこと。
みずからの救いを目指すだけでなく、人々に教えを説いたこと。
洗礼者ヨハネの教え
つぎに、ヨハネの教えの内容をより詳しく見てみます。
そこには後年イエスが説く教えと非常によく似た教えが散見します。
理想郷の到来
新約聖書「マタイによる福音書」3.2
これが新約聖書中での、ヨハネの第一声です。
そしてイエスの宣教活動における第一声は、次の一文です。
新約聖書「マルコによる福音書」1.15
「天国」「神の国」と表現のちがいはありますが、どちらも理想郷の到来を告げることばから宣教がはじまるのです。
ユダヤ教には昔から、終末がおとずれて人々に審判がくだり、そして理想郷が到来するという思想がありました。
3回目の記事で挙げた「タナハ(ヘブライ語聖書)」中のいたるところで、特に預言書の中で、こうした思想がくりかえし語られています。
ヨハネもイエスも、「そのときは今だ」と語ったんです。
これが2人に共通する、教えの特徴のひとつです。
ただ、2人が語った理想郷とは、けっして「あの世」のものではありません。
「天国」とマタイが書いたのはあくまでキリスト教の教えに沿わせるためです。
ヨハネ自身は、そしてイエス自身も、「この世」に理想郷が到来すると言ったのです。
権力への反発(平等)
では、洗礼者ヨハネが考える「この世の理想郷」とはどんなものだったのか。
史料が少なすぎて推測するしかありませんが、おそらくヨハネは平等な社会の到来を指していたと思います。
新約聖書「ルカによる福音書」3.11
持つ者と持たざる者との圧倒的な格差。
これが正される社会を、ヨハネは待ち望んでいたのではないでしょうか。
そしてだからこそヨハネは、持つ者=権力者への反発を露わにするのです。
新約聖書「マタイによる福音書」3.7
パリサイ派とサドカイ派とは、前回の記事でみたようにユダヤ教の派閥です。
サドカイ派は神殿祭司階級で、権力の中枢にいる人々。
そしてパリサイ派も最高法院にメンバーを送り込むほど権力を持っていました。
ヨハネはかれら権力をもつ者を「まむしの子」と呼んで非難したのです。
ちなみにイエスも後年、パリサイ派を非難するさいに「まむしの子」という言い回しを使っています。
新約聖書「マタイによる福音書」23.33
正義をおこなえ
そしてヨハネの思い描く理想郷とは、正しいことが行われる社会でもありました。
彼らに言った、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」。
兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。
彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい」。
新約聖書「ルカによる福音書」3.12-14
欧米以外の外国で勤務した人は実感されると思いますが、公務員が税金の一部をふところに入れたり、兵士が市民をおどして金をまきあげたりというは古今東西、日常茶飯事です。
ヨハネはそうした不正に異をとなえたのでした。
この「正しいことを行え」という教えもまた、イエスに引き継がれています。
ただイエスの場合、「取税人だって弱者だよ、だって上司にがっぽり持っていかれるんだから」とかれらの立場に寄り添ったところが、ヨハネとちがう点でした。
このあたりのイエスの教えは次回以降の記事で詳述しますが、イエスがやがてヨハネのもとを離れたのは、おそらくこうした考え方のちがいに気づいたからでもあったでしょう。
洗礼とは「新しい自分になること」
さて、こうした理想郷の住人になるには、昨日までの自分を悔い改めて、生まれ変わらなければいけません。
金持ちが貧乏人に金を分け与えないのも、なかなか悪事をやめられないのも、これまでの自分を捨てられないからです。
地位や名誉、家族など、守るべきものがある人ほどそうです。
そこでヨハネは「洗礼」という儀式をあみだしたんです。
ヨハネは川や湖の岸に立って、民衆に「頭まで浸かれ」と言います。
民衆が言われたとおり水に浸かり、そして顔を上げると、ヨハネは手をさしのべます。
これがヨハネの「バプテスマ」、洗礼の儀式です。
「これでわたしは新しい自分になったんだ」。
みんな生まれ変わった気持ちで家路につくわけですね。
よごれや罪を洗い流す儀式として、水は古来からよく使われてきました。
ヨハネもまた、古来からの風習をとりいれたわけです。
そして何より儀式がカンタンだったので、ヨハネの洗礼は人気を博したんです。
水に浸かることで生まれ変わったような気持ちになる。
これがイメージしにくい人は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を観てください。
「海へもぐるってどんな感じだ?」と尋ねられた草薙素子も、こう答えてますね。
イエスに引き継がれるヨハネの教え
理想郷の到来。
権力への反発と平等。
正しい行いをすること。
洗礼。
これらの教えはやがてイエスに、そしてキリスト教に引き継がれます。
紀元26年、イエスはヨハネのもとに弟子入りするのです。
イエス、ヨハネのもとへ
イエス30歳のころ、彼はひとりガリラヤの故郷を離れ、ヨハネのもとへと赴きました。
貧農の大家族の長男坊がなぜ家族を捨て生活を捨て、荒野へと旅立ったのか、このあたりの心境はどの資料にも残されていません。
ガリラヤでの貧富の格差の拡大に、思うところがあったのかもしれません。
そしてガリラヤでもヨハネのうわさは広まっていたので、何かを期待したのかもしれません。
とにかくイエスはヨハネの弟子になり、洗礼を受け、そこで2年間過ごすのです。
ヨハネに弟子入り
福音書の記述はどれも、イエスの偉大さを強調するため、ヨハネの口から
「あとから来るあの人はわたしよりも偉大だ」と語らせています。
しかし実際はイエスがやって来るのを見ても、ヨハネは民衆のひとりとしか思わなかったでしょう。
かたやガリラヤの無名の田舎者。
かたやすでに多くの民衆がつきしたがうスターです。
ヨハネは他の大勢とおなじように、イエスにも洗礼をさずけたことでしょう。
そしてイエスは家路につかず、そのままヨハネのグループに加わりました。
多くの弟子同様、ヨハネにつきしたがい、北はアイノンから南はベタニアまで、いろんなところに出かけては師の言動を見聞きしました。
やがてイエスは少しずつ、ヨハネグループの中で頭角を現します。
弟子たちのあいだでも一目置かれるようになり、ときにヨハネから離れて別の場所で民衆に教えを説いたり、洗礼を授けたりすることもありました。
のれん分けみたいなもんですね。
この頃のイエスはまだ、師匠の教えをそのまま受け継ぎ、そのままの形で伝えていたものと思います。
イエスはヨハネをどう見ていたのか?
イエスは師匠ヨハネを偉大な人物だと思っていました。
のちにイエスは師匠のことを、
「ヨハネより大きい人物はいない」
「ヨハネは燃えて輝くあかりであった」などと言っています。
師のもとから離れたあとも、イエスはヨハネのことを尊敬していたのです。
ただ2年間の弟子生活のなかで、イエスが師の教えに満足できなくなったことはたしかです。
前述した徴税人に対するスタンスでもそう。
師は平等を説くが、弱い者はすでに虐げられている。
もっと弱い者に寄りそうスタンスこそ必要ではないか。
そして弱い者こそ強くなり、持たざる者こそ持つようになる世界が「神の国」ではないか。
また師は正義を説くが、正しいことをしようとしてもできない人もいるのだ。
そういう人にもよりそった新たなルールや法(=律法)が必要ではないか。
祭司やパリサイ派のやつらは旧来の律法を守ることで安穏としている。
こうした価値観を180°転換した世界こそ「神の国」ではないか。
イエスは徐々に、このような独自の考え方をもつようになっていきました。
そして師匠ヨハネと訣別する決定的な出来事がおこります。
ヨハネの逮捕です。
(イエスの思想について詳しくは次回の記事を参照↓)
ヨハネ、逮捕される
紀元28年頃、洗礼者ヨハネは大衆扇動罪により逮捕されます。
逮捕を指示したのは、ぺレア地域も管轄する分封領主ヘロデ=アンティパス。
アンティパスにしたら、民衆を集めて神の裁きと新世界の到来を説くヨハネは、それだけでじゅうぶんな社会不安だったのです。
アンティパスはまたローマの忠実な子分たろうとした人でもありました。
だから巷にときどき現れる「預言者」や「メシア」と呼ばれる人物は、支配階級をおびやかす危険因子。
早急につみとる必要があったのです。
ヨハネは牢に入れられ、そのままひそかに殺されました。
しかし福音書記者は、このヨハネの死にドラマチックな虚構をつけくわえました。
それがのちにオスカー=ワイルドによって戯曲化される物語、「サロメ」です。
「サロメ」
マタイおよびマルコの福音書によれば、洗礼者ヨハネの死は以下のような顛末でした。
分封領主ヘロデ=アンティパスはあるとき、異母兄弟の嫁であるヘロディアという女を見初めます。
ヘロディアのほうでもアンティパスのほうを気に入り、夫と離婚してアンティパスと再婚します。
これを洗礼者ヨハネが非難しました。
なぜなら兄弟の妻をめとることは、律法で禁じられている「近親相姦」に当たったからです。
怒ったアンティパスはヨハネを逮捕します。
しかしヨハネの大衆人気を恐れて、処刑することまではできませんでした。
これに業を煮やしたのが、おなじくヨハネから非難されたヘロディアのほう。
どうにかしてヨハネを殺そうと策をめぐらせます。
ヘロディアには、サロメという美しい娘がいました。
サロメは前夫とのあいだにできた連れ子で、その美貌に多くの男が魅了されるほどでした。
ある宴の席で、ヘロディアはサロメに踊りを踊らせます。
アンティパスは義父でありながら、娘の踊りに欲情し、
「ほしいものは何でもあげよう、この国の半分でもいい」とつい言ってしまいます。
そこでサロメが母ヘロディアに相談すると、ヘロディアは
「バプテスマのヨハネの首を」と告げます。
アンティパスは悩みましたが、みなの前で誓った手前とりさげるわけにもいかず、獄中にいたヨハネの首を切らせ、盆に載せてもってこさせました。
サロメはその盆を受け取り、そして母に渡したのです。
なお、オスカー=ワイルドの戯曲では、
最後にサロメがヨハネの首をもってキスをします。
オーブリー=ビアズリーの挿絵がぞくっとするほど怖いですよ。
先々月「怖い絵展」でも生の絵を見たんですが、強烈でしたね。
イエス、ガリラヤに戻る
ヨハネの死を聞いて、イエスは次のような行動をとりました。
新約聖書「マタイによる福音書」14.13
この頃すでにイエスは群衆を従えるような人気者でした。
おそらくイエスは、ひとりで悲しみに浸りたかったのでしょう。
だから追ってきた群衆に、イエスは5つのパンと2匹の魚を分け与え、彼らを帰らせています。
師の逝去によって、イエスにいよいよ独り立ちするときがやってきました。
自分の想いを、自分のことばで語ろう。
自分の生まれ故郷で。
こうしてイエスはガリラヤに戻り、本格的な宣教をはじめるのです。
ここからイエスは洗礼者ヨハネの教えを引き継ぎつつ、イエス独自の教えを伝えていくことになります。
まとめ
- 洗礼者ヨハネは紀元26年頃、ヨルダン川沿いの荒野にとつぜん現れる。
- ヨハネは祭司階級出身あるいはエッセネ派出身だったかもしれない。いずれにしろ粗末な身なりだった。
- ヨハネは「神の国は近い」と説いた。それはあの世ではなく、平等と正義が実現される社会。
- その社会の一員となる儀式が「洗礼」。つまり生まれ変わりの儀式。
- イエスはヨハネのうわさを聞き、故郷を離れて彼のもとに弟子入りした。イエスの教えがヨハネと似た部分が多いのもそのため。
- イエスはヨハネグループで頭角を現したが、師の教えに満足できなくなる。
- ヨハネの逮捕と処刑によってイエスはヨルダン川沿いを離れ、故郷ガリラヤに戻る。
次回は故郷に戻った後の、イエスの宣教活動の内容を見ていきます。
(その他の記事はこちらから↓)
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