イエスの生涯をめぐる連載の8回目です。
今回は「メシア」の多義性とイエスの自己認識について取り上げます。
1世紀のユダヤ人にとって、「メシア」とはある特定の人物を指すことばでした。
そこにはおおきくわけて、4つの意味が込められています。
- ダヴィデの血をひくユダヤの王
- この社会に警鐘を鳴らす預言者
- ユダヤ独立を果たす解放運動家
- 終末時に現れる救世主(キリスト)
これら4つのイメージがごちゃまぜになって、しかもその人その人によってどれかのイメージが先行しつつ、とにもかくにも「メシア」というひとつのぼんやりとした人物像を、当時のユダヤ人たちは共有していたのです。
そしてナザレのイエスはまさにそれだとみなされたわけです。
だから民衆からは期待され、為政者からは危険視されました。
(その他の記事はこちらから↓)
では、イエス自身はみずからの使命をどう考えていたのか。
イエスは一度も自分自身を「メシアだ」とは言いませんでした。
彼は自分自身を「人の子」と呼んだのです。
この「人の子」という自称に、イエスが自分の使命をどう考えていたのか、そのヒントが隠されています。
イエスの時代、どんな人々がどんな意味を込めて、イエスを「メシア」と呼んだのか?
そしてイエス自身の「人の子」という自称には、どんな意味が込められているのか?
このあたりに迫っていきましょう。
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「メシア」に込められた4つの意味
数々の奇跡をおこし、病人を癒し、威厳ある者のごとく語るイエス。
人々はそんなイエスに「メシアの到来」を見ました。
いったい「メシア」とは当時なにを意味したのか。
深く掘り下げてみていきます。
ダヴィデの血をひくユダヤの王
3回目の記事でも書いたように、「メシア」とはもともと「油を注がれた者」を意味します。
オイルというのは昔は貴重品。
そんなオイルを頭から注がれるというのは、古代イスラエルにおいて、神から祝福された証でした。
だから古代イスラエルでは、油を注がれた者とは、ダヴィデ・ソロモンをはじめとするユダヤ人の王を指していたのです。
ヘブライ語聖書「サムエル記(下)」2.4
ヘブライ語聖書「列王記(上)」1.39
このダヴィデとソロモンという親子がまた、ユダヤ人にとっては理想的な王でした。
なので、時代がくだるにつれ、「メシア」とは「理想的な王」を指すようになります。
とくにユダヤ人が他民族に支配される歴史が長くなるとともに(このあたりの歴史は2回目の記事を参照)、理想的な王がふたたび現れて栄光をとりもどしてくれることを、ユダヤ人たちは待望するようになります。
そしてこの王はダヴィデの子孫から出てくると、長い年月をかけて信じられるようになりました。
だから、イエスを「メシア」と信じる人たちは、彼を「ダヴィデの子孫」だとしたのです。
新約聖書「ルカによる福音書」1.27
新約聖書「ルカによる福音書」1.32-33
以上のように、「イエスはメシアだ」との言葉には、イエスがユダヤ国家の正統なる王位継承者だという意味がありました。
とくにイエスの弟子たちが、この意味でイエスを「メシア」とみなしていました。
だって、6回目の記事でみたように、ヤコブ・ヨハネ兄弟は「先生が栄光を受けるときにはわたしたちを重用してくれ」と頼んでますから。
また、2回目の記事でみたように、12使徒という数字がそのままユダヤ支族と同数ってことは、「おれたち、先生が王になったらそれぞれの支族の族長になれるぜ、うひょー」って期待したでしょうから。
またおそらく、ペテロの「あなたはメシアです」という返答も、「あなたはユダヤの王です」って意味が多分にこめられていたはずです。
12使徒がイエスに付き従ったのは、やがてイエスが王になることを期待して、って部分もかなりあったでしょう。
じゃなきゃ、イエスが捕まってみじめに処刑されるとき、クモの子を散らすように逃げたりしないって。
このあたりのイエスの死にざまについては次の記事で詳述します。
とにかく「メシア」には、ダヴィデの血をひくユダヤの王という意味があった。
とくにイエスの弟子たちがこの意味でイエスに期待した、ってことです。
奇跡をおこし、警鐘をならす預言者
「メシア」2番目の意味。
それは、数々の奇跡をおこなうとともに、神の言葉を人々に伝えて警告する預言者です。
「油を塗られた者」→「王」→「理想的な王」→「ダヴィデの血をひく正統なる王位継承者」と変化してきた「メシア」という言葉に、いつどうしてこんな意味合いが加わるようになったのかはわかりません。
とにかく、イエスの活躍した1世紀頃までに、「メシア」には預言者という意味も加わるようになっていました。
そして、この意味で過去最大の「メシア」と人々に認められてきたのが、エリヤという預言者でした。
エリヤは紀元前850年頃に北イスラエル王国で活躍したユダヤ人です。
ヘブライ語聖書によれば、エリヤはヤハウェのみが神だと主張し、当時パレスチナに浸透していたバアル神信仰を批判しました。
そしてバアル信仰の預言者たち450人と奇跡対決をおこない、バアルの預言者たちがいくら祈っても火がつかなかったのに、エリヤがヤハウェに祈るとたちどころに天から火が落ちて祭壇の牛が焼けたそうです。
それで民衆はひれ伏して、主(ヤハウェ)こそ神であると信じたそうです。
ちなみに余談ですが、「ベルゼブブ」という悪魔の名前はこのバアル神からきています。
「崇高なるバアル(バアル=ゼブル)」をユダヤ人たちがもじって「蠅のバアル(バアル=ゼブブ)」と嘲笑ったことに由来します。
ほかにもエリヤは、死んだ子どもを生き返らせるなどの奇跡をおこないました。
またエリヤは最後、みずからの後継者の目の前で、つむじ風にのって天に昇っていったそうです。
こうしたエリヤの伝承が後世に語り継がれると、後世の人々は「エリヤこそメシアである、そしていつかエリヤが再臨する」と信じるようになりました。
イエスをメシアとみなす民衆のなかには、だから、イエスをエリヤの再来だとみなす人もいたんです。
イエスもまたエリヤとおなじく、当時のユダヤ教を批判し、そして数々の奇跡をおこなったからです。
「エリヤの再来」、「奇跡をおこす預言者」。
この意味でイエスをメシアと呼んだのは、とくに一般民衆でした。
しかし、ときの支配者たちは違う意味で「イエスはメシアなのかどうか」を確認しようとしました。
支配者がイエスに投影しようとするメシア像。
それは「大衆を扇動し、ユダヤ独立をもくろむ運動家」としてのメシアでした。
ユダヤ人の解放と独立をめざす運動家
2回目の記事でふれたように、1世紀のユダヤ民衆のあいだではさまざまな不満がうずまいていました。
- ローマ帝国による支配。
- 異民族の流入。
- 経済格差の拡大。
こうした現実をぶち壊し、ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための国を創ってくれる誰かを、人々は待ち望んでいたのです。
ガリラヤのユダの反乱がパレスチナ全土に広がったのも、またイエス死後の紀元66年にユダヤ人による大反乱が起きるのも、こうした不満と期待のせいでした。
しかしときの為政者にとって、大衆の不満と期待をあおる独立運動家は、自分たちの地位をおびやかす社会不安でしかありません。
だから徹底的に取り締まり、弾圧する必要があります。
実際、ガリラヤのユダの反乱も、66年からの大反乱も、ユダヤ人為政者とその後ろ盾であるローマ軍によってつぶされました。
構図としては、イスラム過激派などの反体制派と、それを抹殺しようとする政府軍および多国籍軍に似ています。
この反体制派と体制派のどちらもが、ユダヤ解放・独立をめざすカリスマを「メシア」と呼んだのです。
「メシア」に民族独立運動家という意味が加わるようになった理由もよくわかりません。
おそらくモーセの先例からきているんでしょう。
モーセはエジプトで隷属身分だった同胞を解放し、カナンの地に導き、やがてユダヤ人の国をつくる先鞭をつけました。
いまの時代にも、モーセのような解放運動家がいてくれたら……。
こうした想いが、「メシア」という言葉に民族運動家を付け加えさせたんだと思います。
イエスを「メシア」と呼んで期待する人たち。
つまり「あなたはメシアです」と言ったペテロをはじめとするイエスの弟子たちや、イエスをとりかこんだ民衆たち。
かれらはイエスに、ローマ支配をしりぞける民族解放運動家の姿をも見たのです。
そして、イエスを「メシアかも」と危惧する人たち。
つまりローマ総督ピラトや大祭司カイアファをはじめとする社会の支配者たち。
かれらはイエスに、体制転覆をはかる過激派の姿を見たのです。
次の記事でイエスはエルサレムへと上りますが、そこでイエスは多くの民衆に熱狂的に迎えられます。
そしてご存知のように、支配者たちによって捕えられ、十字架刑に処されます。罪状は「イエスがメシアであること」でした。
このように、イエスは民衆からも弟子からもそして支配者たちからも、「ユダヤ人の解放と独立を求める運動家」として「メシア」と呼ばれたのです。
終末時に現れる救世主
「メシア」4番目の意味。
それは、この世の終末時に現れ、人々を導く救世主です。
この意味での「メシア」はキリスト教にも引き継がれているので、わかりやすいと思います。
ただ当時のユダヤ教における終末思想とは、キリスト教よりももっと現世的で、いつかこの世界にカタストロフィが訪れるというものでした。
そのとき、神の威光をうけてユダヤ人を導くのが「メシア」というわけです。
日本では「メシア」を「救世主」と訳すことが多いため、わたしたちの多くはこの4番目の意味のみで「メシア」を理解しています。
しかし、イエスが生きた当時のパレスチナでは、そうじゃなかったんです。
「メシア」はユダヤ国家の正統なる王位継承者だった。
「メシア」はまた、奇跡をおこなう預言者でもあった。
「メシア」はそして、ユダヤ民族の独立と解放をもとめる運動家でもあった。
だからこそ、民衆や弟子たちはイエスに期待し、そして為政者はイエスを恐れ処刑しようとしたのです。
イエス自身、このような「メシア」の多義性を知っていました。
だからイエスは、民衆や弟子たちの期待の内容も、そして為政者たちが自分を恐れる理由にも、気づいていました。
そのうえで、彼は自分自身を「メシア」とは呼ばず、代わりに「人の子」と呼んだのです。
いったい、「人の子」というイエスの自称にはどんな意味が込められていたのでしょうか。
「人の子」にイエスが込めた意味とは
イエスは自分を「メシア」と呼ばず、また人から「メシア」と呼ばれることも避けました。
これを俗に「メシア隠し」といいます。
「メシア隠し」にはイエスなりの理由がありました。
そしてイエスが「人の子」という自称を使った理由。
それは彼が自分の使命を、まったく新しい概念の王、神の国における王だと信じていたからです。
「メシア隠し」
新約聖書に、以下のような一場面があります。
ガリラヤ地方での宣教の途中、イエスは弟子たちに尋ねました。
「人々は、わたしを誰と言っているか」。
「洗礼者ヨハネだと言っています。また、エリヤの生まれ変わりと言う者もあり、預言者のひとりだと言う者もあります」。
そこでイエスはさらに質問しました。
「では、おまえたちはわたしを誰と思うか」。
弟子を代表して、ペテロが答えました。
「あなたこそメシアです」。
するとイエスは、誰にも言ってはいけないと、弟子たちを戒めたのです。
(「マルコ」8.27-30、「マタイ」16.13-20、「ルカ」9.18-21)
このようにイエスは、自分がメシアと呼ばれることを嫌い、ことあるごとに戒めました。
この「メシア隠し」には2つの理由があります。
1つは、ときの支配者から逮捕されることを避けるため。
そしてもう1つは、みなの思い描く「メシア像」と、イエス自身の考えるみずからの使命には、違いがあったからです。
イエスは使命半ばで逮捕されることを恐れた
「メシア」と呼ばれた人物が支配者によってことごとく逮捕・処刑されてきたのを、イエスはよく知っていました。
少年時代、ガリラヤ地方の英雄だったガリラヤのユダ。
青年時代、尊敬する師匠だった洗礼者ヨハネ。
前者は「ユダヤ民族の解放運動家」としてメシアと呼ばれました。
後者は「偉大な預言者」としてメシアと呼ばれました。
そして、イエスにとって身近な存在だったこの2人はともに、ローマやユダヤ支配者層によって逮捕・処刑されたのです。
イエスは2人の轍をふみたくありませんでした。
だから彼は、民衆や弟子が「あなたこそメシア」と呼ぶのを、徹底して戒めたのです。
そうすることで、「あいつはメシアと自称している」というウワサが支配者の耳に入ることを防ごうとしたのです。
ここで逮捕されるわけにはいかない。
なぜならおれには、やるべきことがある。
イエスはそう考えたのでしょう。
イエスの「やるべきこと」。
「人の子」は王を意味する
イエスは王になろうとしていた。
なぜそう予想できるのか。
実は、「人の子」という呼び名がそもそも王を意味するからなのです。
「人の子」という表現は、もともとヘブライ語聖書の「ダニエル書」に由来します。
「ダニエル書」とは、ダニエルの夢や幻視が書かれている、ヘブライ語聖書のなかではちょっと異色の書です。
そのなかの一節に、こんな記述があります。
彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。
ヘブライ語聖書「ダニエル書」7.13-14
ここでいう「日の老いたる者」とは神を指します。
つまり人の子とは、神から主権と栄光と国を授けられ、万民を永遠に支配する王を意味するのです。
イエスはユダヤ人ですから、当然ダニエル書のこの記述も知っていたでしょう。
そこで彼は、みずからの使命に合致するこの「人の子」という自称を使うようになったのです。
王としての「人の子」
イエスが「人の子」という自称を、権威と栄光ある王という意味で使っている場面は多々あります。
いくつか紹介します。
新約聖書「マルコによる福音書」2.10-11
イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう」。
新約聖書「マタイによる福音書」19.27-28
新約聖書「ルカによる福音書」21.27
新約聖書「ヨハネによる福音書」12.23
このように、イエスはやがて自分が王になるのだと確信していたのです。
では、なぜイエスは「メシア」という自称を使わなかったのか?
「メシア」にも、ユダヤ人の王という意味はあるのに。
その理由は、さっきもすこし触れましたが、イエスの思い描く王のイメージが通常の「支配者の頂点」というものではなかったからです。
イエスの思い描く王。
仕える者・虐げられる者としての「人の子」
イエスは「人の子」という自称を、2通りの意味で使っていました。
ひとつは上で見たように、「王」という意味。
そしてもうひとつは「仕える者」「虐げられる者」などという意味です。
その例をまた、いくつか紹介します。
新約聖書「マルコによる福音書」10.45
そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
新約聖書「マタイによる福音書」17.12-13
新約聖書「ルカによる福音書」7.33-34
イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
新約聖書「ルカによる福音書」9.57-58
このように、イエスが思い描く王とは、まったく新しい概念の王でした。
それは、人々から仕えられる王ではなく、人々に仕える王。
虐げられ、ののしられ、貧しく弱い王。
まくらする所さえない王です。
こうした真逆の概念の王がなぜ可能となるのか?
神の国が到来するからです。
神の国では、弱い者ほど強くなり、貧しい者ほど富むようになるからです。
つまりイエスの目的とは、神の国における王になることだったのです。
「山上の変容」の意味
こうしてみてくると、一般的な「メシア像」とイエスの思い描く使命・目的とは、かなり異なっているのがわかります。
「メシア」の4つの意味のうち、イエスの使命と合致するのは「王」「終末時の救世主」という2つのみ。
しかもイエスの思い描く王は、ダヴィデのように仕えられる王ではなく、むしろ仕える王でした。
そして残り2つの意味、「預言者」「解放運動家」については、自分がそれだとはイエスは一言も述べていないのです。
イエスの思い描いていたみずからの使命が上記のようなものだとすると、新約聖書中のいわゆる「山上の変容」と呼ばれる箇所のほんとうの意味もわかってきます。
ある日、イエスは弟子のペテロ・ヤコブ・ヨハネの3人だけをつれて、高い山にのぼりました。
すると突然、イエスの姿が変わり、みすぼらしかったイエスの衣服も白く輝き出しました。
そこにエリヤとモーセが現れ、イエスと語らいます。
そして上空には雲がわきおこり、声が聞こえてきました。
「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
(「マルコ」9.2-7、「マタイ」17.1-5、「ルカ」9.28-35)
この「山上の変容」という奇跡が、イエス自身の自己認識となんらかの関係があるとすれば、以下のように読み取れます。
イエスはエリヤ(=預言者)でもなく、モーセ(=解放運動家)でもなく、かれらの上に立つ者だと。
そしてイエスは白く輝く衣をまとう王であり、神の愛する救世主であると。
イエスは以上のような自己認識・使命・目的をもって、メシア隠しをおこない、「人の子」と自称したのです。
そして2年の宣教を終え、彼はエルサレムへと上っていくのでした。
まとめ
以上、「メシア」と「人の子」という呼称にまつわるジュウゴの仮説を述べてきました。
まとめます。
この記事のまとめ
イエスの生きた時代、「メシア」には4つの意味が込められていました。
- ダヴィデの血をひくユダヤの王
- この社会に警鐘を鳴らす預言者
- ユダヤ独立を果たす解放運動家
- 終末時に現れる救世主(キリスト)
イエスの弟子も、民衆も、そしてときの支配者たちも、これらのどれかの意味でイエスを「メシア」とみなし、期待したり、危険視したりしました。
イエス自身、こうしたメシアの多義性と、イエスをとりまく各人の思惑に気づいていました。
そしてイエスはイエスで、こうした「メシア像」とはちょっとちがった、新しいビジョンを持っていました。
だからこそ彼はメシア隠しをおこない、代わりに「人の子」という自称を使ったのです。
イエスが「人の子」という自称に込めた意味。それは
- 仕えられる王ではなく、仕える王
- 神の国が到来した世界における王
- 預言者や解放運動家よりも神から愛される王
これがイエスの活動の目的だったのです。
イエスは革命家か?
イエスは革命家だったのか。
この問いほど無意味なものはありません。
なぜなら「革命家」という近現代の概念に、イエスをむりやり収めようとすると、どうしてもムリが生じるからです。
たしかにイエスは、この社会秩序をひっくりかえしたいという意志を明確にしていました。
そしてイエスは、新たな社会で王になるのだという目的をもっていました。
この意味でいえば、イエスは革命家だったのかもしれません。
しかしイエスは、武器も持たず軍隊も従えず、転覆工作のようなものさえひとつもしませんでした。
イエスはただただ情熱で、そして神の力によって、この世がひっくりかえるのだと信じていたのです。
この意味でいえば、イエスは真に宗教家だったともいえるでしょう。
また同時にイエスは、宗教家としての熱狂的な自分を、どこか冷静に達観してながめていた部分もありました。
彼はことあるごとに言っています、自分はいつか捕まり殺されるのだと。
宗教的熱狂がいきつくところまでいけば、待つのは死のみだと、イエスはまた痛いほどに知っていたのでしょう。
それでも、彼は進みました。
みずからの使命に絶望しながら。
神の奇跡を信じて。
そして彼はエルサレムに向かう
ガリラヤ地方で約2年間、宣教活動をおこなった後、イエスは弟子たちを連れてエルサレムへと向かいます。
エルサレムはユダヤ世界の中心であり、ローマ総督や神殿祭司階級といった既存の支配階級のいる場所でした。
この忌まわしい社会体制は、ひっくりかえらなければいけない…。
いまこそ神の国が近づいたのだ…。
そしておれが真の王になる…。
イエスのなかの宗教的熱情がそう叫び、彼の足を一歩一歩エルサレムへと進ませました。
一方、エルサレムに住まう支配者たちは、イエス集団がエルサレムに近づいているという情報をつかんでいました。
そして、イエスの「メシア隠し」にもかかわらず、イエスがメシアと呼ばれていることも知っていました。
田舎で世直しを叫ぶだけなら、放っておくという手もある…。
しかし、エルサレムに上ってくるのなら、話は別だ…。
捕まえ、尋問し、集団の指導者であるナザレのイエスとやらに真意を聞かねばならない…。
もし体制転覆の意思を示せば、それは反逆罪、十字架刑に処すべきである…。
体制側はすでに、逮捕の準備をととのえてイエスを待ち受けていたのです。
次回、イエスの「受難物語」。
乞うご期待!
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