ブッダの思想に歴史好きがせまる① 仏教が登場した背景

歴史

仏教の思想を客観的に理解したい…。

それもできれば大乗仏教以前の、ブッダ自身の教えにかぎりなく近いものを知りたい…。

大学時代からのジュウゴのこの夢を、近年の仏教学は叶えてくれるようになりました。

とくに

  • 佐々木閑
  • 馬場紀寿
  • 魚川祐司

という3氏の一般向けの本はとてもわかりやすく、論証もしっかりしていて、「ただの歴史好き・哲学好きの非仏教徒だけど、ブッダの思想にせまりたい」というジュウゴの想いに応えてくれます。

そこで、3氏の論を中心に、ブッダの思想をまとめることにしました。

初期仏教とは何なのか?

四諦とは、十二支縁起とは?

五蘊、六処、苦、煩悩とは?

無常とは、無我とは?

そして悟り(解脱)とは何か?
どうすればたどりつけるのか?

わかりやすく、それでいて思想の奥深さをそこなうことなく、せまってみたいと思います。

なによりジュウゴ自身が知りたいがための連載です。

1回目は仏教が生まれた歴史的背景から。

興味のある方はどうぞ最後までお付き合いください。

なおジュウゴ自身の宗教的立場はagnosticです。くわしくは以前の記事を参照↓
世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた2 仏教と神秘主義

アーリア人のインド進入

仏教は紀元前5世紀頃にインドで生まれました。

だから仏教を客観的にとらえるには、当時のインド社会を知る必要があります。

そこでまず、古代インド社会の歴史を簡単にふりかえりましょう。

インドは「アジアの孤島」

アジアという広大な歴史舞台において、インドは陸の孤島です。

ヒマラヤ山脈をはじめとした山々がフタのように北側を覆い、他地域との交流を困難にしているからです。

陸路でインドに入る道はたったひとつ。

カイバル峠という、スレイマン山脈とカラコルム山脈のあいだしかありません。

よってインドの歴史というのは、このカイバル峠をこえて進入してきた異民族と先住民族とが混じりあい影響しあって独自の世界を形作る、そんな歴史でした。

だから以前書いたアジアの歴史の記事でも、南アジアはのぞいて西・東・中央という3区分で解説しました↓
アジアの歴史の流れを超簡単にまとめてみた

インドの地勢

 

紀元前1500年頃、白い肌をした一大集団が、このカイバル峠をこえてインドに進入してきました。

かれらの名はアーリア人

かつて中央アジアで遊牧生活を送っていた、インド=ヨーロッパ語族に属するグループです。

アーリア人は、進入したさきのインダス川中流域で徐々に定住をはじめました。

ときに先住民を支配し、ときに混じりあい影響しあって、独自の社会を作り上げます。

それは自然崇拝とさまざまな祭式を特徴とする部族社会でした。

卑弥呼時代のムラ社会にもちょっと似たかれらの思想は、『リグ・ヴェーダ』というインド最古の聖典(賛歌集)によく表れています。

ウシャスよ、金色の光もて来たり照らせ、天の娘よ、多くの幸福をわれらにもたらしつつ、今朝の祭祀において輝き渡りて。

『リグ・ヴェーダ』1巻48歌9節
なお「ウシャス」とは曙の女神で「輝く」の意。ギリシア神話「エーオース」やローマ神話「アウローラ」と同じ語源。

 

ガンジス川流域へ

やがてアーリア人は、インダス川よりも肥沃なガンジス川流域へと移動します。

ガンジス川流域での農耕を先住民から学び、また鉄製の道具を使い始め、ついでに牛に犂(すき)をひかせる方法もおぼえ、さらには麦に代わって稲の栽培をおこなうようにもなりました。

つまり生産力が向上したのです。

生産力が向上すると余剰作物が増え、余剰作物が増えると共同体が大きくなります。

そして共同体が大きくなると、農作業をしない階級、つまり支配階級が生まれるのは歴史の必然です。

*このあたり詳しくは以下の記事を参照
男と女の歴史① 人間社会が男性上位である理由

こうして紀元前1000年頃から、ガンジス川流域に階級社会が誕生しました。

これがヴァルナ制、今日でいうカースト制度です。

ヴァルナ制

人は生まれながらにこれら4身分にわかれる。

生まれた身分によって、人はそれぞれの役目を果たす。

そして最上位階級であるバラモンの祭式によって、人は時を知り季節を知り、神々に願い事を叶えてもらう。

これが当時の人々の生活でした。

では、当時の人々の頭の中、つまり世界観はどういうものだったのか?

これを知ることが、仏教が登場する背景を知ることにもつながります。

ってことで、紀元前1000年~紀元前600年頃(後期ヴェーダ時代)のインドの世界観=バラモン教の中身をつぎに見てみましょう。

 

当時の人々の世界観

ヒンドゥー教の聖地ヴァーラーナシーで祈る人々
ヒンドゥー教はバラモン教の流れを汲む宗教

バラモン教とは何か特定の宗教の教えではなく、仏教以前のインド一般の思想・世界観を指すことばです(「バラモンの宗教」ともいいます)。

その特徴はおおきく分けて3つあります。

  • 多神教
  • 輪廻転生
  • バラモンの権威

多神教

当時の人々は多神教の世界に生きていました。

いろんな神々が自然現象や日常を司っていると考えたのです。

たとえば、先に挙げたウシャス(摩利支天)という女神は暁つまり日の出を司ります。

ほかにも

  • インドラ…雷電の神。仏教でいう帝釈天。
  • アグニ…火の神。悪魔ラクシャス(羅刹)を退治する。
  • サラスヴァティー…豊かな水流の神。仏教でいう弁才天。
  • ヤマ…死者の王。仏教でいう閻魔。
  • ブラフマン…創造の神。仏教でいう梵天。

など、いろんな神が信じられていました。


ここからわかることは2つ。

のちにヒンドゥー教の主神となるシヴァやヴィシュヌは、後期ヴェーダ時代(紀元前1000年~紀元前600年頃)にはまだ脇役だったこと。

そして、仏教誕生以降にこうした神々が仏教の世界観に取り入れられたことです。

つまり、現代の日本で知られている仏のほとんどは仏教由来じゃなく、古代インドの世界観に由来するのです。

 

輪廻転生

古代インドの世界観、その特徴の2つめは輪廻転生です。

人は何度も生まれ変わる。こうした輪廻転生思想がなぜ出てきたのか?

それは当時の人々の時間感覚というものを考えてみると納得できます。

 

突然ですが、当時のインドには文字の文化がありませんでした。

日記をつけることも物語を書くこともなく、ヴェーダもしきたりもブッダの教えもぜんぶ口伝されていました。

ここで考えてみてください。

文字を記録する習慣がない古代社会で、人はどうやって時間の流れを知るのか?

自然現象しかありませんね。

そして自然現象というのは、太陽の動きも季節のめぐりもすべて循環的です。

ここから、当時のインドの人々は時間というものを、直線的に進むものではなく、循環するものだとみなすようになります。

今日は昨日のくりかえし。

今年は去年のくりかえしです。

じゃ、この世は前世のくりかえし。

こうして輪廻転生思想がインドに定着していったのです。

 

ところで、多神教や輪廻転生といったこの世界の仕組みについて、その知識を体系立てて教えてくれる先生がいなくては、人々の世界観は統一されません。

その先生の役割を果たしたのがバラモンでした。

六道輪廻をあらわしたチベット仏教の仏画。 Wikipediaより

 

バラモンの権威

バラモン階級の仕事はおもに2つありました。

  • 「知識」を意味する聖典ヴェーダの内容を人々に伝え、この世界の仕組みを教える。
  • 神秘的な力をもつ言葉と聖なる火を使って祭式をおこない、人々の願いを叶える。

前者は、たとえば、世界創造の神話などです。

バラモンは以下のような創造神話を伝えることで、ヴァルナ制の正当性を人々に教えていました。

彼らがプルシャを切り分かちたるとき、いくばくの部分に分割したりしや。プルシャの口は何になれるや、両腕は何に。両腿は何と、両足は何と呼ばるるや。
彼の口はブラーフマナ(バラモン)なりき。両腕はクシャトリヤとなされたり。彼の両腿はすなわちヴァイシャなり。両足よりシュードラ生じたり。

『リグ・ヴェーダ』10巻90歌11-12節
プルシャとは巨大な獣で「原人」の意。

 

後者は、たとえば、子孫繁栄や五穀豊穣、そして来世で天界に再生することなどです。

バラモンは祭式によって神々を操り、これらをおこなうことが可能だとされていました。

ここからわかるとおり、バラモンは人間のなかでもっとも神に近い存在とみなされていました。

だから、政治や軍事をおこなうクシャトリヤよりも上位に位置づけられたのです。

どれだけ現世で権力をもっても、来世で天に生まれるほうがいいですもんね。

ヴァルナ制

 

  • 多神教
  • 輪廻転生
  • バラモンの権威

こうした世界観をもとに、当時のインドの人々は部族中心の社会で暮らしていました。

しかし、紀元前600年~紀元前400年頃にかけて、インド社会はおおきく変容します。

この社会変化が、仏教をはじめとした新思想を生むことになります。

 

社会が変容する

先に述べたように、ガンジス川流域では鉄製の農具をつかった開発がすすみました。

この開発が数百年つづいたことで、密林だったガンジス川流域には田畑が増え、さらに生産量が増大し、やがて商品経済や都市が発達します。

この商品経済と都市化が、人を「個人」にしていくのです。

商品経済の発達

米や家畜がたくさん育って余るようになると、それを野菜や農具と交換する。

これが物々交換です。

また、みんな余剰生産物をもつようになると、それを買い取ってほかに売って、差額でもうける商人が出てくる。

これが貨幣経済です。

こうした自給自足じゃない経済をまとめて「商品経済」といいます。

 

紀元前600年頃から、こうした商品経済がインドで発達しました。

とくにガンジス川を行き来する商人たちが銀貨や銅貨を使いはじめたことで、物流はさらにスムーズになり、大金持ちになる商人も出てきます。

かれら資産家はインダス川流域にも隊商をおくり、また西アジア世界にも船を出し、ますます多くの富をたくわえました。

こうして、ヴァイシャが力をもつようになったのです。

インドの地勢

 

都市国家の成長

商品経済が発達すると、都市が成立しはじめます。

商人は人・モノ・カネ・情報の集まるところに住むからです。

*このあたり詳しくは以下の記事を参照
男と女の歴史② フェミニズムはこうして生まれた

都市の人口が増えると、都市を治める者の権力も増しました。

こうしてクシャトリヤもまた力をもつようになったのです。

ヴァルナ制

 

ちょうどこのころ、西アジア世界にアケメネス朝ペルシアという巨大帝国が誕生します(紀元前550年)。

帝国が誕生すると、それに呑みこまれまいとして、周縁部で中央集権型の国家が生まれるのはよくあるパターン。
(例:隋・唐が誕生したので日本で大化の改新)

こうして、ペルシア帝国の西側ではアテネ、スパルタといったギリシアの都市国家が。

ペルシア帝国の東側ではコーサラ国、マガダ国といったインドの都市国家が成長しました。

コーサラ国はガンジス川中流域を支配し、首都はシュラーヴァスティー(舎衛城)。

マガダ国はそれよりすこし下流域を支配し、首都はラージャグリハ(王舎城)。

のちにブッダが伝道してまわるのは、この2国が中心になります。

インドの地勢

 

人が「個人」になる

さて、商品経済が発達し都市化がすすむと、「個人」として生きる人が多くなります。

なぜなら、昔ながらの農村共同体(部族社会)に帰属しなくても、都市でおカネを稼げば生きていけるから。

つまり地縁・血縁で生き方が決まる社会から離れて、みずからの意志と才覚で自分の生き方を決めることができるようになるからです。

*帰属意識とコミュニティの関係については、以下の記事も参照
『あまちゃん』から考察する田舎③ 現代日本人の帰属意識

 

都市で「個人」として生きはじめた人間はもう、部族社会に縛られません。

だから、インドの部族社会で語り継がれてきた世界観=バラモンの宗教に、満足できなくなるのです。

また、上の『あまちゃん』の記事でも書きましたが、人間は帰属する共同体がないとアイデンティティが揺らぎます。

自分とは何かを規定してくれる、絶対的な何かを求める気持ちになります。

こうして、商品経済と都市化のすすんだ紀元前6世紀頃から、世界各地で同時多発的に、新たな思想が登場しました。

古代ギリシア哲学、中国の諸子百家、そしてインドにおける仏教などです。

 

だから、仏教が登場した背景は何かと問われれば、その答えは商品経済の発達と都市の成長です。

同時に、ブッダにしたがった人々にクシャトリヤとヴァイシャが多かったのは、かれらが都市に暮らす個人だったからです。

 

仏教以外の新思想

ジャイナ教徒の瞑想
Wikipediaより

では最後に、仏教とおなじ時期に生まれたインドの新思想を2つほど見てみましょう。

何が仏教の思想で、何がそうじゃないのか、区別する助けになるからです。

ジャイナ教

ジャイナ教は仏教と同時期に、ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)が開きました。

マハーヴィーラの生まれが紀元前549年頃、ゴータマ・ブッダの生まれが紀元前566年頃と考えられているため、ふたりは同時代人です。

 

マハーヴィーラはまず、従来のバラモン教を、祭式を仰々しくおこなうだけの形式主義だとして批判しました(現代日本の仏教もそうですね)。

そして従来のバラモン教では天界に生まれ変わることが最高の幸せとされるのに対して、本当の幸福は永遠の輪廻の渦から抜け出ること、つまり解脱することだと説きました

マハーヴィーラ坐像
Wikipediaより

そもそもなぜ輪廻は永遠にくりかえされるのか?

ジャイナ教によれば、それは生きとし生けるものすべての魂(ジーヴァ)に業(カルマ)がこびりつくからです。

ちょうど質量をもつ物質が地球の自転からなかなか抜け出せないように、業物質の重さによって魂はいつまでも転生をくりかえすのです。

だからジャイナ教では、魂にこびりついた業の浄化をめざします。

その方法が、断食などの苦行です。

と同時に、さらなる業が魂に流入しないよう、不殺生や無所有などを実践します(だから初期ジャイナ教徒はみな裸でした)。

こうして魂を質量ゼロにして、輪廻の彼方=彼岸へと至る。

これがジャイナ教の思想でした。

ジャイナ教はヴァイシャ階級を中心に広まり、いまもインドで一定の影響力をもっています。

 

ウパニシャッド哲学

このころバラモン教の内部でも、従来の形式主義にたいする批判がおきました。

また都市に暮らす個人の要望に応える形で、内面を重視する新たな思想が徐々に芽生えていきます。

それが、ウパニシャッド哲学。

いわゆる梵我一如を中心とする思想です。

 

梵(ブラフマン)とは、宇宙の根本原理のこと。

我(アートマン)とは、わたしの根本原理のこと。

根本原理といったのは、日常の感覚では見ることも知ることもできない原理だからです。

瞑想や特殊な修行で意識を深層にもっていくことで、はじめて知ることができます。

そうした深層意識下で気づくのは、「わたしのもの」と考えていたあらゆる属性がじつはこの世界と合一しているということ。つまり主体と客体の区別はじつはなく、わたしはこの宇宙の絶対的真理と同一だということです。

これが梵我一如。

このあたり詳しくは以前の記事もご参照ください↓
神秘主義とは何か(世界三大宗教を簡単にまとめてみた2)

 

こうした思想によってウパニシャッド哲学は、天界での永遠の生という幸福を提示しました。

ほかにも輪廻・業・因果応報といった、仏教とよく似た考え方も述べられています。

では、ブッダの思想はこれらと何がちがったのか?

ブッダの思想の独自性はどこにあるのか?

これらの点を、いよいよ次回から考察していきます。

 

ここまでのまとめ

ブッダの生きた古代インドは、アーリア人社会。

紀元前1000年頃からガンジス川流域へ進出した。

そこで暮らす人々の世界観は「多神教」「輪廻転生」「バラモンの権威」を認めるもの。

でも紀元前600年頃から、商品経済が発達して都市が成長する。

人は従来の世界観に満足できず、新たなアイデンティティのよすがを求めるようになる。

こうして仏教・ジャイナ教・ウパニシャッド哲学など、新たな思想が登場する。

以上が、仏教が登場した背景。

 

さあ、ブッダの思想を語る準備が整いました。

次回はブッダの半生と、彼のめざしたものにせまります。

そこからブッダの思想の独自性も見えてくるでしょう。

NEXT→ブッダの思想に歴史好きがせまる② ブッダの半生と悟りの境地

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