前々回、前回につづき、『あまちゃん』をとおした考察です。
今回は現代日本人の帰属意識についていろいろと書きます。
近所付き合いがなくなり、地元が拡大したことで、帰属先となる地域コミュニティは消滅したこと。
残ってるコミュニティは、店の常連とか同窓会とかの緩いつながりだけってこと。
加えて、バブル崩壊後は「職場」も帰属先じゃなくなったこと。
その結果、確実に帰属できるコミュニティは「家族」だけになったこと。
帰属先がひとつだと不安だから、現代人はみんな「新たな帰属先コミュニティ探し」をやってること。
その表れが趣味仲間さがしであり、SNSの流行であり、中高生の高い結婚願望であり、ナショナリズムであること。
ひとつずつ、『あまちゃん』に沿って解説していきます。
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田舎に残るコミュニティ=「喫茶リアス」
『あまちゃん』に出てくる北三陸の大人たちは、しょっちゅう「喫茶リアス」に集まります。
夜には「スナックりあす」に衣替えするけど、あいからわずみんな、だべってます。
だべってるメンバーは、まず夏ばっぱ関係で、海女クラブの人たちとその家族。
また春子関係で、北鉄の大吉や観光協会の菅原など、ようするに同窓生。
んでかれらの職場関係で、北鉄の副駅長、観光協会の足立ヒロシ。
そして常連である琥珀の勉さん。
いま、田舎に残ってるコミュニティって、地縁に基づかない、こういう関係だけなんです。
つまり同窓生や、職場の仲良し、店の常連といった、ゆるーい腐れ縁なんです。
地域共同体の消滅は悪いこと?
前々回の記事で、近所付き合いが消えた理由と時期を考察しました。
また前回の記事で、地元は「集落」から「市」へと拡大したと書きました。
この2記事内で述べた理由によって、21世紀以降、田舎から地域コミュニティは消滅しました。
もう、週に1度町内会で集まったり、ことあるごとに近所の家で宴会したり、「○○の家にカラーテレビが来た!」といって東京オリンピックをみんなで観戦したり、集落みんなで旅行に出かけたり、花見したり、ピクニックしたり、その準備に前の晩から集まって話し合いという名の酒盛りで盛り上がったり町内の主婦総出で握り飯をつくったり…。そんな光景は田舎から消え去りました。
ちなみに、この「地域共同体の崩壊」を嘆く論調がよく見受けられます。
気持ちはわかります。「昔はよかった」っていう懐古主義におちいる気質はわたしのなかにも多分にあって、ふと気づくと「なんだ最近の若者は」とか「なんて世の中になってしまったんだ」とか、現実を否定的にとらえようと、そして過去を肯定的にとらえようとする自分がいます。
でもね、変化を否定したら、それはもう老人なんです。
実年齢じゃなくて、頭の年齢が。
歴史が好きで、まがりなりにも大学まで歴史を勉強させてもらった人間が、社会の変化にたいして思考停止してるようじゃ、歴女ならぬ歴男として失格です。
だからジュウゴはいつも自戒として、「嘆くよりまず不思議に思え」と肝に銘じてます。
どんな変化に対しても、子どものように不思議に思えと。
「なんでこうなったんだ!(けしからん!プンプン!)」じゃなくて、「なんでこうなったの?(ふしぎー、おもしろいー、そだねー、いいと思うー)」って。
そんな子どもの頭で、前回まで、地域コミュニティの崩壊を考察したつもりです。
ほんで出た原因が、1回目・2回目の記事で書いたものだったんです。
(箇条書きすると、各家庭の経済的自立、産業形態の変化、都市化による人口減少、コンビニの全国展開、共働き世帯の増加、核家族化の進行、あいついだ児童殺傷事件、昭和の大合併、モータリゼーション、大学進学率の増加の計10コ。詳しくは以前の記事を読んでね)。
だからジュウゴには、「戦後教育」とか「個人主義」とか「グローバリゼーション」とかに原因を求める論調も、納得できません。
これらの言葉って、定義されてるようで実は人によって使い方がまちまちの概念だからです。現状を嘆く老人がただ、どうとでも解釈できる概念をやり玉に挙げてるだけみたいに思えます。
とにかく、良いも悪いもなく、地域コミュニティは消滅しました。
そんな田舎の現状をちゃんと描いて、それでいてユーモアたっぷり、しかも時々ウルッとさせてくれる。
『あまちゃん』はそんなドラマです。
だから大好きだ!
勉さん愛してる!
地縁・血縁・腐れ縁
いきなり話がそれたんで、もとに戻します。
現在の田舎から地域コミュニティが消えたってことは、つまり「地縁」がなくなったってことです。
また親戚付き合い、つまり「血縁」も、同じような理由で希薄化傾向にあります。
(とくに各家庭の経済的自立、産業形態の変化、都市への人口流出、核家族化の進行、大学進学などが原因)
じゃあいま田舎に残ってるコミュニティって何かといえば、「腐れ縁」。
付き合い長いからしょうがないっていう関係でつながってる、腐れ縁コミュニティなんです。
例えば、海女クラブ。
これは職場コミュニティですが、それ以上にみんな20~30年来の付き合いで、若いころから苦楽をともにしてきた仲間です。
だから、かつ枝と組合長がくっついたり離れたりを繰り返してきたことも、美寿々が男と何度も駆け落ちしたことも、あんべちゃんが大吉と半年で離婚したことも、みんな承知なわけです。
かつ枝「な、わかったか。みんな、いろいろあんのよ。いろいろあって、今日があんのよ」
美寿々「アキちゃんのお母さんが特別なわけでねえの。みんないろいろあって、最終的にここさ帰ってくんの。おたがいわかってっから、黙って受け入れるの」
(9話より)
これが長い付き合いってやつです。
ただ実際には、こんな同じメンバーで何十年もつづく職場って多くはないでしょう。
よりありそうな関係は、北鉄の大吉と観光協会の菅原です。
2人はともに北三陸の活性化を考える仕事仲間ですが、それ以上に、高校の先輩と後輩。
だから大吉は、たとえ菅原がジオラマ制作ばかりやってても、喫茶リアスに行ったら仲良くします。
だから菅原は、たとえ大吉が「ゴーストバスターズ」ばかり歌っても、笑って合いの手を入れます。
仕事仲間という関係に、同窓生という腐れ縁がプラスされることで、この2人の結びつきは強まってる。
そこに春子はじめいろんなメンバーが加わることで、喫茶リアス・コミュニティとでもいうものが形作られてるんです。
勉さんがこの喫茶リアス・コミュニティの一員なのも、何十年来の店の常連だから。
「長い付き合い」というのは、たとえ現代の田舎であっても、コミュニティを成立させるりっぱな要素なんです。
「長い付き合い」は我慢の理由になる
人間は長い付き合いだと、人の嫌な側面も、めんどくさいことも、あるていど我慢するようになります。
美寿々はすぐ若い男に惚れるが、しょうがない、あいつの性格だからな…。
菅原はろくにホームページも作れず、ジオラマ作ってばっかりだが、悪いやつじゃないからな…。
こんなふうに、我慢して受け入れるようになります。
そしてこの我慢こそが、コミュニティを安定して継続させることにもつながるんです。
ここに、地域のNPOや趣味サークルなどが抱える問題の本質があります。
地域活性化のため、つながりを広げるため、いま新たなコミュニティがいろいろと模索されています。
ただどれも、「継続」という問題を抱えています。
これは金銭面の理由もあるでしょうが、それ以上に、嫌な人もめんどくさいことも我慢しなければいけない、その我慢がきかないってのがいちばんの理由でしょう。
だから10年、20年と続けることが難しいのです。
ちなみに、PTAをみんなやりたがらないのも同じような理由です。
1980年代頃まで、PTAは地域コミュニティにのっかって成立していました。
だから、付き合いにくい親も、めんどくさい事務作業も、「近所だから」という理由で我慢できていたんです。
しかし地域コミュニティの消滅によって、この我慢の理由も消えました。
結果、PTAには人間関係のしんどさと、事務作業のめんどくささだけが残った。
だからいま、みんなやりたがらないんです。
けっして「最近の保護者が昔より利己的だから」じゃないんですね。
どうしようもない親なんて、昔も同じようにいたからね。
ま、共働きの増加もおおきな理由ではありますが。
帰属意識をもてる新規コミュニティの創造はむずかしい
以上のように、現代の田舎においてコミュニティを継続・安定させる要素は「長い付き合い」だけになりました。
つまり腐れ縁が、いま田舎にあるコミュニティ成立の条件なんです。
そして、この腐れ縁コミュニティだけが、家族以外に帰属意識をもてる唯一のコミュニティでもあります。
なぜなら人の帰属意識は、対象となるコミュニティが安定して継続しててはじめて、発生するからです。
「わたしたち、○○中学の同窓生」。
「おれたち、スナックの5年来の常連仲間」。
「わしら、職場でずっと一緒の腐れ縁」。
こうした「古くからの顔なじみ」でつくるコミュニティが、かつての地域コミュニティにとって代わる、唯一のものです。
そう考えると、現代社会において帰属意識をもつことのできるコミュニティを新たに作るには、強制的にでも数年以上顔を合わせつづけるという外部圧力が必要ですが、ちょっと難しいですね。
なぜなら、そんな外部圧力はすでに「学校」にしかないからです。
そんな力は、「職場」からもすでに失われてしまってるからです。
「職場」も失った現代人の頼りは「家族」
『あまちゃん』のなかで、北三陸鉄道駅長の大吉は、北鉄を愛しています。
反面、ユイの兄である足立ヒロシは、2か月半で東京の仕事をやめて帰ってきました。
このちがいは、よく言われるように、バブル崩壊以降、職場にたいする帰属意識がほぼ消滅したからです。
なぜ消滅したのか?
帰属意識=自己愛+教育
ここまでずっと「帰属意識」「帰属意識」言うてきましたが、そもそも帰属意識とは2回目の記事で書いたように、何かの集団(コミュニティ)に属しているという感覚のことです。
「おれは麦わら海賊団の一員だ!」っていう感覚です。
この帰属意識は、人がもともと持っている自己愛に、教育や経験がプラスされることで発生します。
たとえば、家族への帰属意識。
これは生まれてから家族とすごした様々な経験がプラスされることで発生します。
この場合の帰属意識を「家族愛」などと呼びますね。
また、地域への帰属意識。
これは現代の場合、義務教育期の社会科の授業と、大人になってから市外・県外に出たときの経験によって育まれます。
いまはもう近所付き合いがなく、集落というコミュニティも拡散してしまったので、帰属意識をもたらすのはこの2つだけです。
この場合に生じる帰属意識は「郷土愛」「地元意識」などと呼ばれますね。
また、国家への帰属意識。
これも社会科や道徳などの学校教育と、大人になってから国外に出た経験、くわえて日々の情報による自己教育によって育まれます。
この場合に生じる帰属意識は「愛国心」「ナショナリズム」などと呼びます。
そして、会社への帰属意識。
これは主に、社員教育によって育まれます。
生じる帰属意識の名は「愛社精神」や「忠誠心」。
しかし今、この愛社精神・忠誠心をもつ人は以前より格段に減りました。
会社がもはや、安定して継続するコミュニティではなくなったからです。
「会社は不安定なもの」に戻った
すこし上のほうで、人の帰属意識は対象となるコミュニティが安定して継続していてはじめて発生する、と書きました。
帰属意識とは自己愛の延長なので、対象がかんたんに揺らいだりしたら自分のアイデンティティも揺らいじゃって困るからです。
その点、家族も、地域も、国家も、一般的にいえば安定しています。
すくなくとも、明日いきなり消えたりはしません。
だから帰属意識の対象としては、合格です。
バブル崩壊以降、会社はこの点で不合格になったんです。
明日いきなり倒産したり、解雇されたりってことが、現実的な可能性として広く認知されたんです。
だから現代の労働者は、とくにバブル崩壊後に社会に出た若者は、会社への帰属意識を持とうとしません。
会社に強い帰属意識を持ったらアイデンティティの危機を迎えるかもしれないと、本能的に感じているからです。
いくら飲み会を開いても、朝礼で社訓を叫ばせても、ムダですね。
洗脳しやすい人、会社というものの不安定さに鈍感な人以外は、帰属意識をもたないでしょう。
ちなみに、わたしはそれで健全だと思います。
だって企業への強い帰属意識って、高度経済成長期特有の、近代史のなかでも特殊な事例だから。
(参考:松山一紀「日本人労働者の企業帰属意識」など)
明治・大正・昭和前期にかけて、転職なんて当たり前、会社の倒産もしょっちゅうだったから。
よって、2か月半で会社辞めてストーブさんになる。そんな生き方も、歴史をながめればごくふつうなんです。
大吉が北鉄を愛する理由
「じゃあ、なんで大吉はあんなに北鉄を愛してるんだ」という疑問が残りますが、理由は3つあります。
1つ、大吉はバブル崩壊前に就職したこと。
大吉の北鉄就職は1984年です。
だから「会社は安定」という異常期に、大吉も社会に出たんです。
会社への帰属意識があるのも、ある意味当然でしょう。
2つ、北鉄が第3セクターであること。
つまり半官半民なので、第2セクター(私企業)よりは安定してるんです。
何度もいうように、帰属意識の前提はコミュニティの安定なんで。
たまに勝手に電車を止めて海を眺めても、クビを切られることもないんで。
3つ、春子への愛。
会社への帰属意識って、ほとんどの場合、受動的なんです。
社員教育によって忠誠を誓わされ、飲み会によって上司と仲良くすることを強制される。
自分からすすんで会社を愛するなんて、自分なりの使命感をもたないかぎりムリなんです。
じゃあ大吉の、北鉄にたいする使命感は、いったいどこから来てるのか。
4話で、大吉自身が語ってます。
大吉「北鉄は市民の大切な足だ。たとえ一人でも利用客がいるうちは走らねばなんねぇ。そのためには観光。人が急には増えねぇんだから、外から呼ばねばしょうがねぇべ」
春子「えらいね」
大吉「え?」
春子「えらいよ、大吉さんは。こんな残念な町の残念な電車のために、よくそんなに必死になれるよね」
大吉「やめでよー。照れくせぇべ」
春子「全然ほめてないし」
(中略)
春子「だったらさ、東京に出るとか、仙台とか、盛岡で働くとかさ、選択肢はいろいろあったわけでしょ。なにもこんな田舎のために人生犠牲にしなくてもさ」
大吉「…待ってたんだべ」
春子「え」
大吉「春ちゃんが帰って来るの、ずっと待ってたんだべ」
春子「大吉さん…」
続きはDVD観てね!
アキが海に落ちる回だよ。
確実な帰属先は家族だけ
さて、以上みてきたように、現代人の多くからは職場への帰属意識がなくなりました。
とくに1970年代生まれ以降、大吉よりも約10歳若い世代から、企業帰属意識は希薄になりました。
つまりいま(2018年)の20代、30代、40代にとって、会社はもはや自己を規定するものの一部じゃありません。
ただ、仕事をする場です。
結果、現代人が強く帰属できるコミュニティは、家族だけになったのです。
かつては、田舎の人間だったら、集落もそうだったのに。
バブル崩壊前までは、職場もそうだったのに。
2つ、3つとあった「強く帰属意識をもてるコミュニティ」が、いまは1つだけになりました。
人間は、帰属先が少ないと不安になります。
どこかに属したい、誰かとつながりたいと、切実になります。
その結果、何が起きたか?
「帰属できる新たなコミュニティ探し」をみんながするようになったのです。
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また記事が長くなってしまった・・・。
つづきは次回!
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