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宗教

世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた

投稿日:2018年9月27日 更新日:

キリスト教とは何か?

イスラーム教とは何か?

そして仏教とは何か?

これら宗教の本質について、非信徒の立場から客観的にわかりやすくまとめているものがあまりに少ない。

そこで自分でまとめることにしました。

キリスト教・イスラーム教・仏教という世界三大宗教の本質的な教えとは何か?

それぞれに分派がたくさんあるけども、どの宗派にも共通するような「これだ」という特徴は何か?

かんたんにまとめたのでどうぞ。


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なお、各宗教の枝葉の知識についてはここでは触れません。

開祖が誰かとか(イエス、ムハンマド、シッダールタ)、聖典は何かとか(聖書、クルアーン、各種仏典)、それぞれの宗教儀礼や信者数とか、そんな話に満足できなくていろいろ調べたのがこの記事を書いている動機なので。

また、私は三大宗教のどれにも属していません。

私(ジュウゴ)の宗教的立場はagnosticです(「無宗教」とは神の積極的な否定を意味するので、無宗教ではない)。

この記事を書いている人間について詳しくは、ついでに参考にした文献も、記事の最後に記します。

興味のある方はおしまいまでお付き合いください。

キリスト教の本質

カレル橋の十字架像(チェコ・プラハ)

人間は罪深いけど、イエスが救世主(キリスト)だったから大丈夫。「復活」がその証拠だよ。

この主張が、キリスト教の本質的な教えです。

そしてこの

  • イエスが救世主(キリスト)だと認めること
  • イエスの復活によってわれわれ人間の罪が購われたと信じること

この2点こそが、おなじ一神教であるユダヤ教やイスラーム教とのいちばんの違いなんです。

 

キリスト教における世界認識

キリスト教はユダヤ教の伝統のなかから生まれました。

イエスがユダヤ人であり、またイエス自身はキリスト教の創始者ではなくユダヤ教の改革者であったことからも、そう言えます。

(このあたり詳しい話は以下の記事参照)

イエスはどんな人間だったのか⑩ そしてキリスト教が誕生する

 

よって、キリスト教の世界認識はユダヤ教の内容をほぼそのまま受け継いでいます。

  1. この世界は絶対的な唯一神によって創造された
  2. 人間もまた神の被造物であり、被造物のなかでは最高のもの
  3. しかし同時に人間は罪深い存在でもある
  4. やがて最後の審判が訪れる。天は裂け、地は割れ、死者は蘇り、神の審判が下される
  5. そのとき罪なき者は永遠の楽園に送られる

キリスト教では特に5を「罪深い者は地獄に、罪なき者は天国に」と解釈します。

 

このような世界認識のもとで生きている人にとっての、いちばんの関心事。

それは、生きている間にどうにかして罪をあがなうことです。

じゃないと、最後の審判のときに地獄で永遠に苦しむことになるから。

(ここでいう罪とは、怒ったり嫉妬したりといった人間すべてが犯さざるをえない罪、または生まれたときから人間すべてがもっている原罪のこと。だから罪を犯さないのは不可能です)。

 

ユダヤ教の場合は、律法を守ることや生贄をささげることなどで、贖罪を目指します。

またイスラーム教の場合も、いろんな教えを守ること、そして神に絶対的に服従することで、罪の回避を目指します。

しかし、キリスト教における贖罪の論理は、これらと違います。

「すでにイエスが身代わりとなってわれわれの罪をあがなってくれた」と解釈するんです。

 

 

キリスト教における救いの論理

イエスは十字架上で処刑され、3日後に復活した。

この「事実」が福音書はじめいろんなところで繰り返し強調されるのは、「われわれの贖罪は果たされている」と主張するためです。

つまりイエスは、われわれ人間の罪を代わりに背負って、磔刑という罰を受けた。

しかし3日後に復活した、それは罪が許された証拠だ。

だからイエスこそ、われわれ人間の救世主(キリスト)である。

これがキリスト教における救いの論理なんです。

 

したがって、ユダヤ教やイスラーム教とちがい、キリスト教には細かい決まり事がありません。

「罪はもう許されている」ので、ただただイエスが救世主であると信じることがいちばん重要です。

人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰による

新約聖書「ガラテヤの信徒への手紙」2.16

ここまでが、どの宗派にも共通するキリスト教の本質です。

ただ、これだけでは個人の信仰に留まり、宗教団体を構成することにつながりません。

そこで、イエスをキリストと信じるならイエスの生前の言行も信じて実践しなさい、というふうになり、教会が組織されていきました。

また、イエスの言行録である福音書がまとめられ、使徒の言葉などもあわせて「新約聖書」となりました。

そして、組織が拡大するにつれて救いの論理(教理)も厳密化されていき、それがいろんな宗派を生んでいくのです。

 

宗派ごとのちがい

まず、救世主であるイエスとは何者かという問題。

ただの人間ではないという認識はどこも共通ですが、こまかい認識で宗派が分かれました(ニケーア公会議、325年)。

「イエスもまた神の被造物」という立場がアリウス派。現在ではエホバの証人モルモン教などもこれに当たります。

「イエスは神と同一である」という立場がアタナシウス派。この立場はのちに三位一体説へと発展します。

 

三位一体説(神とキリストと聖霊は3つでありながら1つである)のなかでも、キリストの神性と人性についてさらにこまかい議論がされました(カルケドン公会議、451年)。

結果、「両性はともに完全でしかも唯一の人格に共存している」という説が採られます。

これに反対して分離したのが東方諸教会

中国に行って景教と呼ばれたネストリウス派や、アルメニア教会などが当たります。

後者はいま、旧エルサレム市街をキリスト地区・ムスリム地区・ユダヤ地区とともに4分割しています。

旧エルサレム市街図。右下は「神殿の丘」
(Wikipediaより)

 

 

次に、フィリオクェ問題。

これは聖霊が神から出るのか、それとも神とキリストから出るのかという問題です。

このフィリオクェ問題に聖像使用問題や典礼のちがい、なによりローマ帝国分裂と西ローマ滅亡後の政治・社会・文化のちがいが合わさって、ヨーロッパの教会は東西に分裂しました(相互破門が1054年)。

東がギリシア正教会。現在でもいわゆる正教会と名のつくものはこれに当たります。

西がローマ・カトリック教会。いわゆるカトリックです。

 

そして、カトリックにたいする16世紀の宗教改革。

これは教理の問題というより、宗教共同体である教会という組織・制度における対立です。

ローマ教皇の権威と聖職者の特権を否定し(=万人祭司主義)、聖書があれば個々人の信仰にとって十分だ(=福音主義)とする立場はプロテスタントと総称されました。

ルター派(ルーテル教会)や、ツヴィングリとカルヴァンの流れを汲む改革派長老派がその2大例です。

キリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図
(Wikipedia)

 

またイギリスでは、当時の国王ヘンリ8世が愛人と再婚したくてカトリックと対立し、国教会となりました。

現在は聖公会といい、カトリックとプロテスタントの中間に位置づけられます。

このイギリス国教会に満足できなくて分離していったのが、16世紀のピューリタン、17世紀のバプテスト教会、18世紀のメソジストなどです。

3つともプロテスタントに分類され、このうちピューリタンはイギリス革命を主導、またアメリカに渡った者もいました。

ちなみに現在アメリカのプロテスタント中、もっとも信者数の多いのがバプテスト教会とメソジストです。

このほかにも今日、プロテスタントだけでも実にいろんな宗派に分かれています。

主要なプロテスタントの樹形図
(Wikipedia)

 

以上のように、キリスト教にはたくさんの宗派(教派)がありますが、どの教派も本質は変わりません。

人間は罪深いけど、イエスが救世主(キリスト)だったから大丈夫。「復活」がその証拠だよ。

この教えが、キリスト教をしてキリスト教たらしめている本質なのです。

 

 

 

イスラーム教の本質

カアバ神殿の黒曜石(サウジアラビア・メッカ)

不道徳で享楽的な人間が、自分で自分を律するなんてムリな話。みんなご主人様(=神)の奴隷になりなさい。

この主張が、イスラーム教の本質的な教えです。

そもそも「イスラーム」という言葉の意味は「引き渡し」。

つまり自分の人格を神(アッラー)にすっかり引き渡して、すべて相手の意のままに委ね、服従することを指します。

こうした神と人との絶対的な主従関係、そしてその積極的な表明こそが、どの派にも共通するイスラーム教の特徴なんです。

 

イスラーム教の世界認識

唯一絶対の創造神、最後の審判、天国と地獄など、イスラーム教は多くの点でユダヤ教・キリスト教の世界観を受けついでいます。

これは創始者ムハンマドの生きた6-7世紀のアラブに、ユダヤ教徒やキリスト教徒のコミュニティが多数存在したためです。

ムハンマド自身、この2教徒を「啓典の民」としてイスラームに先立つものと位置づけています。

しかしムハンマドは、これらユダヤ教とキリスト教を「本来の神の教えから離れている」と批判し、独自の認識を打ち出しました。

 

たとえば「罪」の概念について。

キリスト教には「原罪」という概念がありますが、イスラーム教にはありません。

罪とは生まれながらに持つ性質でなく、逃れられない宿命でもなく、もっぱら悪い行いという意味で用いられます。

よって行為を重視するという意味では、むしろユダヤ教に近い考え方です。

ただイスラーム教では人間とは基本的に不道徳で自堕落で、絶対的な強制力がはたらかないとすぐ悪いことをする存在だとされます。

 

また神の人格について。

キリスト教では神の愛がよく語られますが、イスラーム教では愛情深いと同時にひどく厳格で倫理的な神を想定します。

だからアッラーはクルアーンをとおして、何が良くて何が悪い行いかを細部にわたって教えてくれますが、同時に、最後の審判時には厳粛な裁判官となり、あわれな被告である我々を裁きます。そして罪ある者には恐ろしい地獄が待っています。

 

このような世界認識に立つと、罪を犯さないことが何より重要になりますが、しかし人間にそんなことはできません。

なぜなら人は基本的にどこまでも享楽的で、わがままで、欲望の追求に限りがないからです。

ならばいっそ、ご主人様(=神)にすべてを委ねよう。

これがイスラームにおける救済の論理になります。

 

 

イスラーム教における救いの論理

讃えあれ、アッラー、万世の主。

慈悲深く慈愛あまねき御神、

審きの日の主宰者。

汝をこそ我らはあがめたてまつる、汝にこそ救いを求めまつる。

願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え。

汝の御怒を蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、

汝の嘉し給う人々の道を歩まし給え。

クルアーン1.1-7(開端の章)

ムスリムはこの章句を、日に5回の礼拝のたびに唱えます。

平伏低頭する際にはあわせて「アッラーは偉大なり」ともくりかえします。

こうした礼拝のほか、信仰告白・喜捨・断食・巡礼の「五行」は、どの宗派のムスリムも実践しています。

「ムスリム」とは自分を神にすっかり引き渡した人。名詞「イスラーム」の形容詞形。

こうした実践はすべて、唯一の主人に従い唯一の主人の命令を忠実におこなっていることの表明です。

なぜなら完全なご主人様(アッラー)の忠実な奴隷でいるかぎり、道をまちがえることはないから。

もし主人に従わず、自分のことは自分の勝手とやりだしたら、愚かな人間はたちまち罪を犯してしまいます。

はてさて、人間とは不遜なものよ。

己れひとりで充分で、

他人の助けは一切無用、と。

クルアーン96.6-8(凝血の章)

だからこそ、自分のつまらない自負心などすべて投げうって、神にぜんぶお任せする、ぜんぶ神の意のままに委ねる。

神は慈悲深く、絶対に正しいから、そうしているかぎり我々は正しい道をゆける。

これがイスラーム教における救いの論理なんです。

そして同時に、自分が神の忠実な奴隷であることを日々表明し日々追求していくという実践こそがまた、重視されるのです。

 

 

宗派ごとのちがい

ところで、イスラーム教はキリスト教とちがって、その誕生時から政治と一体でした。

なぜなら、ムハンマドは存命中に彼の支持団体を率いてメディナを統治し、メッカを征服し、アラビア半島を支配することに成功したからです。この点、生前に政治的成功を何も果たせなかったイエスとはちがいます。

よってムハンマドの死後、この政教一致の国家規模の集団(=イスラーム共同体、ウンマ)をどう統治していくかが問題になりました。

こうした共同体のあり方をめぐる対立から、シーア派が生まれます。

シーア派とは、アリー(ムハンマドの従弟でムハンマドの娘と結婚した。第4代カリフ)の子孫のみが正統な指導者(=イマーム)であり、イマームのカリスマ性によって共同体は統治されまた教義も解釈されるべきだとする宗派です。現代ではムスリム全体の10-15%に当たります。

シーア派の系統
(Wikipedia)

 

シーア派のなかでも、歴代イマームの分裂によってさらに分派が形成されました。

たとえば五代目イマーム時に分かれたザイド派は、イエメンにいまも約500万人の信者がいます。

また、七代目イマーム時に分かれたイスマーイール派は、かつてエジプトにファーティマ朝を建国しました。

そして最大派閥である十二イマーム派は、16世紀はじめにイランにサファーヴィー朝を開き、同派を国教としました。「十二代目イマームはいまも隠れており、最後の審判時に救世主としてやってくる」という同派の主張から、十二イマーム派ではイマームの代理を務めるイスラーム学者の権威が高められました。現代でもイランの政体に引き継がれています。

イラン第2代最高指導者アリー=ハーメネイー
(Wikipedia)

 

一方、シーア派にたいする多数派はスンナ派と呼ばれます。

スンナ派の由来は、正統カリフ→ウマイヤ朝→アッバース朝という時代時代の多数派からシーア派などが分離した際、かれら少数派に対抗するために自称されたものです。ようするにスンナ派=多数派です。

スンナ派という名称は、預言者ムハンマドの言動によって規定される聖なる慣行(スンナ)からきています。

ここからわかるとおり、スンナ派では、クルアーンの教えとスンナから導き出される法体系(=イスラーム法)を共同体統治の頂点に置きます。だからスンナ派においては、共同体指導者(カリフ)もまた法の守護者であり、シーア派でいうイマームより多分に世俗的な存在となります。

 

イスラーム法を解釈するのは法学者たちですが、この解釈のちがいによって9世紀頃までに大きく四学派に分かれました(学派の名称はそれぞれ始めた法学者の名前)。

ハナフィー派は、クルアーンの次にスンナよりもキアース(類推、三段論法)を尊重するのが特徴です。現在ではトルコや中央アジアなどで優勢です。

マーリク派は、スンナやイジュマー(合意)の法的根拠にメディナ時代のイスラーム共同体の言動を加えるのが特徴です。現在では北アフリカに広く浸透しています。

シャーフィイー派は、法的基礎の重要度をクルアーン・スンナ・イジュマー・キアースという順にはじめて確立しました。現在ではインドネシアなどで多く信奉されています。

ハンバル派は、個人的意見や論理を認めずクルアーンとハディース(ムハンマドの言行録)に立ち戻れと説く厳格な学派です。現在ではサウジアラビアなどで流行しています。

スンナ派諸学派およびシーア派諸宗派の分布
(Wikipedia)

 

シーア派もスンナ派も、近代以降、そのイスラーム法は欧米列強の植民地支配のもとでかなり限定されました。

つまり刑事・民事・商事の分野で実際に適用される法はほとんど、ヨーロッパ式の世俗法になったのです。

これに反発し、イスラーム法を共同体統治の中心に回帰させようとする動きが、近現代にまたいくつものグループを生みます。

18世紀にはハンバル派の影響を受けたワッハーブ派が、サウジアラビアに王国を建てました。

また1928年にはエジプトでムスリム同胞団が誕生し、1952年の王政打倒や2011年の「アラブの春」等で革命を下から主導しました。

ちなみにパレスチナのハマースもムスリム同胞団から生まれた組織です。

 

こうした原点回帰運動に、積極的な武力行使を伴ったグループがいわゆる過激派です。

ターリバーンアルカイーダISILなどによる無差別テロは、かれらの論理によれば、クルアーンに記されたジハードを忠実に行い神の敵をすこしでも打ち滅ぼし、その「善行」によって天国にいけるまさに聖戦なのです。

 

以上のように、イスラーム教もまたたくさんの宗派に分かれますが、やはり本質は変わりません。

不道徳で享楽的な人間が、自分で自分を律するなんてムリな話。みんなご主人様(=神)の奴隷になりなさい。

この教えが、イスラーム教をしてイスラーム教たらしめている本質なんです。

 

 

長くなったので、続き(仏教の本質)は次回。

世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた(2)







-宗教
-, ,


  1. deefe より:

    イスラム 小乗仏教的
    キリスト 大乗仏教的
    という感じか

    • じゅうご より:

      deefeさん
      コメントありがとうございます。

      >イスラム 小乗仏教的
      >キリスト 大乗仏教的
      >という感じか

      「みんなを救う」という意味ではどっちも大乗的です。
      それもこっちから理想の世界に行くんでなくて、むこうからムリヤリひっつかまえられて救われるというリアクション型なのが、セム的一神教の特徴です。
      そういう意味では浄土真宗はキリスト教・イスラム教にすこし近いかもしれません。

      ただそもそも一神教を仏教の枠組みで理解しようとすること自体ムリがありますね。
      小乗仏教と大乗仏教のちがいについては次の記事にくわしく書いてますのでご覧下さい。

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管理人の重悟(ジュウゴ)です。
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