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歴史 アジア

アジアの歴史の流れを超簡単にまとめてみた その3

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「世界史におけるアジア史全体のおおきな流れ」を解説する記事、最終回。

今回は15世紀~現代です。

前6世紀~6世紀については1回目の記事を。

7世紀~14世紀については2回目の記事をごらんください。

 

3回目は、モンゴル帝国崩壊後のアジアがどんな歴史をたどったのか?

全体的な流れを簡単にわかりやすく言うと、以下のとおりです。

  • 15-16世紀:「モンゴル帝国よもういちど」と、英雄たちが夢見た時代。
  • 17-18世紀:各地域の帝国がつづいたことで、東アジアは安定し、西アジアは衰退した時代。
  • 19-20世紀:欧米列強により侵略され、それに抵抗した時代。

それぞれくわしく見ていきましょう。

15-16世紀:大モンゴル帝国よ、もういちど

1400年頃のアジア世界

モンゴル帝国がゆるやかに解体していくなか、15-16世紀にはアジア各地で「帝国をもういちど」と成り上がっていく英雄たちが現れる。

おもな英雄は5人。

14世紀末の朱元璋ティムール

16世紀初めのイスマーイールバーブルセリム1世

前2者、後3者はともに同時代人だった。

 

明とティムール朝

東アジアでは元が衰退し、飢饉も頻発。
この混乱で幼い朱元璋も親兄弟をうしない、乞食僧となって流浪する。
が、紅巾の乱に参加して頭角をあらわし、やがて対抗勢力をおさえてを建国(1368年)。
世界史上、もっとも悲惨な境遇から出世した王朝創始者となる。

朱元璋は遊牧民を北へ駆逐し、中国を漢民族の手にとりもどす。
それでモンゴル系遊牧民はオイラト韃靼(タタール)という勢力となって北にとどまることに。

また朱元璋という男は「成り上がる」という夢以外は徹底したリアリスト。
功臣も容赦なく殺して、子孫の邪魔をとりのぞく。
それで孫の永楽帝時代に、明は最盛期をむかえる。

 

おなじころ、中央ユーラシアではチャガタイ=ハン国が東西に分裂。
西チャガタイから、軍事の天才ティムールが出て、王朝建国(1370年)。
ティムールは西アジアも征服し、オスマン帝国をやぶり、キプチャク=ハン国もおびやかし、インドにも遠征する。

ティムールの夢は大モンゴル帝国の再興だった。
その総仕上げとして、1404年、彼は20万の兵をひきいて明征服に出発する。
ところがその途中、病気になって死亡。
おかげで中国は漢民族のままとなる。

その後ティムール朝は100年あまり続いたが、一族同士の争いが絶えず、遊牧ウズベクによって滅ぼされる。
ちなみにティムール朝の時代、イランのイスラーム文化が中央ユーラシアにもたらされる。とくに神秘主義(スーフィー)が流行し、教団がたくさん生まれる。
この中からやがて、イスマーイールが現れる。

 

サファーヴィー朝とムガル帝国とオスマン帝国

1501年、サファーヴィー教団の教主イスマーイールはイラン北西部で王朝建国。
信者を従えて、またたくまにイラン全域を支配する。
この教団がシーア派の十二イマーム派だったため、いまでもイランはこの宗派の土地となる。

(イスラーム教の各宗派については以下の記事でくわしく解説しています)
世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた

(また、神秘主義についても以下の記事の最後でくわしく解説しています)
世界三大宗教の本質を簡単にまとめてみた(2)

1560年頃のアジア世界

 

おなじころ、中央ユーラシアではバーブルが出現。
彼はティムール直系の子孫だったので「大モンゴル帝国よ、もういちど」と夢見て奮闘。
しかし遊牧ウズベクに敗れまくる。イスマーイールから大軍を貸してもらっても負けた。

んでしかたなく南下。アフガニスタンを拠点にインドへ勢力をのばす。
鉄砲を導入したらやっと勝って、国名をそのままモンゴル帝国とする。
でもインド人はなまってムガル帝国と呼んだ。

 

おなじころ、西アジアの西端ではオスマン帝国がすでにバリバリ。
1453年にはコンスタンティノープルを陥落して、ビザンツ帝国をほろぼしてた。
その「征服者」メフメト2世の孫が、「冷酷者」とよばれたセリム1世
連戦連勝だった「無謬の救世主」イスマーイールに、ただひとり土をつけた男。

セリム1世はサファーヴィー朝に勝ったあとも、マムルーク朝を滅ぼし、帝国の領土を約3倍に増やす。
そしてアッバース朝のカリフを殺し、メッカとメディナを保護下におき、名実ともにイスラームの盟主となる。
これだけのことをわずか8年で成し遂げて、跡を「壮麗者」スレイマン1世に託し、亡くなる。

イスタンブールはオスマン帝国の首都であり、かつてのコンスタンティノープル。
(2019年2月、ガラタ塔からの夜景を叔父が撮影して送ってくれました。)

 

こうして15-16世紀には、英雄たちの活躍によって、各地域世界に帝国が誕生する。
この「地域別世界帝国」が長くつづいたことで、東アジアは安定を、西アジアは衰退を経験することになる。

 

17-18世紀:「地域別世界帝国」の安定と衰退

1700年頃のアジア世界

ひとつの地域世界をひとつの帝国が支配している場合、その世界の命運は帝国の中枢に左右される。

有能な皇帝が三代つづいた清王朝。

すでに最盛期をすぎていたサファーヴィー朝&オスマン帝国。

このちがいがそのまま、17-18世紀における東アジアと西アジアのちがいになった。

 

清の拡大と安定

中国の東北地方(いわゆる満州)から出た女真族は1616年にを建国。
南下して、明をほろぼし、中華を支配する。
ちなみに騎馬遊牧民であった女真が中国を支配するのは金につづき2回目。だから当初は国名を「後金」としていた。

アジア史(後半)の年表

清は有能な皇帝が三代つづいたことで、拡大と安定を手にする。
康熙帝(在位1661-1722)は台湾を平定し、モンゴル系遊牧民をやぶる。
雍正帝(在位1722-1735)はチベットを支配下におく。
乾隆帝(在位1735-1795)はイスラーム化していた東トルキスタンを支配下におき、新疆とする。

こうして中央ユーラシアの東側の多くが清の支配域となり、これが現代の中国にほぼそのまま引き継がれる。
中央ユーラシアで残るは、西トルキスタン、つまり現代でいえば中央アジアのみとなる。

清の拡大

 

西トルキスタンの諸部族

15世紀ころから、西トルキスタンではウズベクトルクメンと呼ばれた遊牧民が活躍。
またウズベクから独立したはぐれ者たちはカザフと呼ばれた。(自称は「カザク」で、独立不羈の者というトルコ語。「コサック」とおなじ語源)
あと、西トルキスタンに定住していた集団はタジク人

これらの部族名がそのまま現代にひきつがれる。
・ウズベキスタン
・トルクメニスタン
・カザフスタン
・タジキスタン
これにキルギスをあわせて現代の中央アジア。

ちなみに「~スタン」とは「~の国」というペルシア語。
ティムール朝のときからイランと中央アジアはより結びついたから、とうぜん言葉も入る。
だからトルクメン人が、1736年にイランのサファーヴィー朝をほろぼしたのもある意味とうぜんの流れ。

 

西アジアの衰退

東アジアが拡大し、中央アジアがなんとかふんばってた時代、西アジアだけは衰退。
なぜなら帝国の最盛期をすでに過ぎていたから。

各帝国の最盛期の比較

サファーヴィー朝、オスマン帝国とも、17-18世紀には帝国の中枢が権力争いに明け暮れた。
とくにオスマン帝国では、皇帝が宮廷にこもって、女たちとイチャイチャばかり。
こうなると帝国はもう衰退期。

 

そして帝国であることの最大のデメリットは、軍事や技術を権力が独占し、革新が進まないこと。
だからオスマン帝国は、小国家どうしでつねに競い合っていたヨーロッパに、17世紀以降おくれをとる。
常備軍をつくり、銃と大砲をつかって戦術訓練してきたヨーロッパ軍に、連戦連敗。
オスマンの領土はすこしずつヨーロッパに奪われていく。

こうした帝国の弊害は、やがて東アジアをも襲う。
ヨーロッパが競い合って産業革命をはたした19世紀、ついに清でさえ、軍事的・経済的にヨーロッパの後塵を排するようになる。

アジア各地域と欧米の人口推移

林玲子「世界歴史人口推計の評価と都市人口を用いた推計方法に関する研究」をもとに作成。
人口がそのまま各地域の力関係を表すわけではないが、このグラフをみればその一端がみてとれる。
たとえば15世紀以降、西アジア以外の地域がいずれも増加していること。
とくに新大陸からもたらされたトウモロコシ・ジャガイモ・サツマイモなどによって東アジアと欧米の人口が急増していること。
18世紀に最大の人口をもっていたのは東アジア、とくに中国であること。
それが19世紀に、欧米のさらに急激な増加によって追い越されたこと。
これには産業革命による都市化の進展、そして経済成長があったことなどである。

 

19-20世紀:欧米列強の侵略と、アジアの抵抗

1915年のアジア世界

有史以来、ここまで(18世紀まで)ずっと、世界の中心はアジアだった。

ところが19世紀以降、欧米が世界の中心にとって代わる。

これはヨーロッパ発の近代世界システムが地球中を覆いつくしたから。

 

近代世界システムとは?

15-18世紀のアジアでは、地域別に各帝国がその世界を支配した。
つまりイスラーム世界のティムール朝、西アジア世界のオスマン帝国、東アジア世界の清などだ。
これがいわゆる「世界帝国」。政治的統合をともなうシステム。

いっぽう、15-18世紀のヨーロッパでは、ついにひとつの帝国がヨーロッパ世界を支配することはなかった。
ポルトガル・スペイン・オランダ・フランス・イギリスなどの国家群が、軍事と経済で相争ってきた。
だからヨーロッパは帝国の弊害なく、革新が進んだ。
これがいわゆる「世界経済」。政治的統合をともなわない、経済優先のシステム。

この2つのシステムをまとめて「世界システム」と呼ぶ。

 

後者の、世界史上でもヘンテコなシステム(=近代世界システム)内で、18世紀後半から産業革命がひろまる。
それが資本主義の本格的な成立につながる。つまり経済規模が爆発的に膨張した。

ふくれあがった経済は海外にさらなる市場を求める。
政治的統合という手綱をもたない怪獣たちは、ただその経済的欲望だけで、アジアに襲いかかっていく。
19世紀にはアジアを追いぬいたその軍事力・経済力を背景に、つぎつぎとアジアの人々を、低賃金で働かせる労働者に仕立てていく。
つまりアジアは「現地工場(=周辺)」に、ヨーロッパは「本社(=中核)」へと、分業がすすむ。
こうして、近代世界システムが地球を覆っていく。

 

欧米列強による世界分割

中核のなかでも特にアジアを積極的に侵略したのが、ロシアイギリス
ロシアはシベリアを中心に、南へ東へと支配をひろげていく。
イギリスはインドを中心に、北へ東へと支配をひろげていく。

オスマン帝国はロシアに北半分の領土をうばわれる。
イランもロシアと不平等条約を結ばされる。
中央アジアもぜんぶロシアの支配下となる。
インドはムガル帝国が滅び、イギリスの植民地となる。
そして清もイギリスと2回戦って2回とも敗れ、欧米に食い物にされる。

1915年頃のアジア世界

かろうじて生き延びていた2帝国、オスマンと清は考える。
「ヨーロッパの学問と技術を導入すれば今度は勝てるかも」。
これがタンジマートと洋務運動。
しかし、そもそものシステムがちがうから、帝国という体制のままでやってもうまくいかない。
ここでようやくアジアは気づく。
近代世界システムの中でうまくやるためのポイントは、国民国家だと。

 

「国民」という幻想の誕生

近代世界システムには政治的統合がないので、富の再分配がおこなわれない。
だからカネはつねに中核に集まる。周辺はいつまでたっても貧しいまま。
よって、アジアがこの従属状態から抜けだすには、自分たちも中核の仲間入りするしかない。
つまり現地法人をたちあげて、本社との関係を切るしかない。

つよい会社をつくるには、目的を同じくする集団で構成するのがいちばん。
そこで「民族」や「国民」という幻想が生み出される。
薩摩人も長州人もみんな天皇の臣民だ、とか(1868年、明治維新)。
「民族・民権・民生」の三民主義だ、とか(1911年、辛亥革命)。
インド国民会議で民族教育だ、とか(1906年、カルカッタ大会)。
イラン人はタバコをボイコットだ、とか(1891年、タバコ=ボイコット運動)。

 

こうして、日本人とか中国人とかがあるという社員教育民族教育の結果、国民国家が誕生する。
20世紀はじめには国民国家成立に失敗した地域でも、ドイツvs.アメリカの覇権争い(2度の世界大戦)が終わると、つぎつぎに成功していく。
結果として、20世紀後半にはアジアは欧米の支配からぬけだす。
そして近代世界システムのなかで、どうにか中核になろうと、国家どうしがんばる。

 

 

そして現代・未来へ

2019年のアジア世界

ヨーロッパ発の近代世界システム(=資本主義)が地球を覆いつくし、東アジアが欧米に追いついた現代。

なぜ追いつけたのは東アジアだったのか?

そしてこれからのアジアはどうなっていくのか?

最後に見てみましょう。

 

東アジア経済発展の理由

中核のなかでも他を圧する力がある国を覇権国家(ヘゲモニー国家)と呼ぶ。
第2次世界大戦後の世界で、それはアメリカ。
だからアメリカの従属国となった日本と韓国にとって、アメリカはあこがれのまと。
「アメ車みたいなの、自分でつくりたいな」
「テレビってすげーな」
こうして欧米の工業製品の国産化がはじまる。

 

国内に製品がいきわたると、今度は海外に販売しだす。
原料を輸入できるかぎり、作れば売れるから、さらに経済成長。
こうして日本や韓国、さらにイギリス植民地だったシンガポールや香港が発展する。

これをみた中国の鄧小平が、社会主義国家ながら市場経済を導入しはじめる。
移行期を終えた1990年代から、中国ものすごい経済成長。
香港も返還されて、さらに加速。またたくまに世界第2位の経済大国となる。
だって人口がケタちがいだもん。

こうして東アジアが欧米に追いついた。
21世紀からは人口2億人をこえたインドネシアもここに入ってくる。
いっぽうで、石油の輸出に頼っていた中近東諸国は停滞。
一部の王族だけが金持ちになるしくみはいまだたいして変わらず。

 

これからのアジア

1973年、ベトナム戦争の敗北によって、アメリカの覇権が終わる。
覇権国家はその後も数十年、流通と金融で世界をリードするが、やがてその優位も失われる。

また近代世界システムを支えてきた国民国家という概念も、1980年代からのグローバリゼーションによって揺らいでいる。
人・モノ・情報・カネが地球上を瞬時にいきかうようになると、国家というしばりは企業にとってむしろ枷になるから。
よって資本主義は最近、無国籍であること、地域間の連携、規制緩和による自由競争を求めだした。

 

こうした動きによって格差が増大し、その犠牲になった人々から反発の声もあがっている。
また、そういうナショナリスティックな世論を利用して、国家はその権力をさらに強化しようともしている。
去年(2018年)の出来事だけでいえば、
イランのアメリカ敵対視と経済制裁。
トルコの議会制から大統領制への移行。
中国・習金平主席の任期制限の撤廃etc.。

 

これからのアジアは、東アジアのどこかが新たな覇権国家となるか、あるいは近代世界システムが徐々に崩壊してまったく新たなシステムが生まれるか、そのどちらか。
いずれにしても、いまは過渡期。

あとはみなさんの想像におまかせします。

 

 

まとめ

モンゴルのあとを受けて、英雄たちがアジア各地域世界に帝国を建てる。

東アジアは有能な皇帝がつづいて拡大・安定する。でも西アジアは衰退する。

そこにヨーロッパの近代世界システムがやってきてみんな呑みこまれちゃう。

中心に返り咲くには国民国家だ!ってんで、国民という幻想が生まれる。

んで東アジアはようやく欧米に追いつく。(いまココ)

これが1400年から現代までのアジアの歴史。

3回目は以上。

 

以上で、「世界史の流れを簡単に説明」のアジア版は終了です。

なお、3回の記事のなかで取り上げなかった参考文献は以下のとおり。

 

 

アジア史はまだまだ勉強中です。

詳しい方、そこちょっとちがうよって気づいた方、コメント欄からアドバイスいただけると助かりますm(_ _)m







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管理人の重悟(ジュウゴ)です。
30代、ライター兼ブロガー。

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