こんにちは、ジュウゴです。
歴史を勉強していると、かならず「産業革命」という言葉にぶつかります。
世界史だと、18世紀後半のヨーロッパで。
日本史だと、1880年代の明治を舞台に。
ただ学ぶうちに、いくつか疑問が生じます。
- いったい産業革命とはなんなんだ?簡単に説明してくれ
- なぜイギリスで最初におこったんだ?要因を教えてくれ
- なぜ綿紡績や蒸気機関が重要なんだ?理由を言ってくれ
- 産業革命によって何が変わったんだ?影響をぜんぶ挙げてくれ
- 資本主義とどう関係があるんだ?かいつまんで解説してくれ
これぜんぶジュウゴが抱いていた疑問です。
そんで大学で西洋史学を専攻しました。
ってことで、これから全11回にわけて、これらの疑問にひとつひとつ答えていきたいと思います。
1回目は「産業革命とはそもそも何か?」について。
その本質と枝葉をきっちり分けていきます。
また「産業革命」という名前の由来についても解説していきます。
[この連載の記事一覧]
産業革命とは何か?
まずは結論から。
産業革命の本質は、工場で機械をつかって製品を大量に生産するようになったことです。
それまでは、服も、食器も、家具も、ぜんぶ手作りだったんです。
この変化を「産業革命」と呼ぶんですね。
以上。
・・・と、ここで終わってもなんですから、あとは枝葉の話を。
まず、いつ産業革命がおこったか、その年代ですが、18世紀後半から19世紀にかけてです。
かなり幅があるのは、フランス革命やアメリカ独立革命のように、政治的な事件じゃないから。
だって、工場といってもたくさんあるし。機械が導入される時期なんてまちまちだし。
つぎに産業革命のおこった場所ですが、ご存じのとおり最初はイギリスです。
なぜイギリスが最初だったのか?これは2回目の記事と3回目の記事でくわしく解説します。
そして、産業革命のおきた要因・原因は何か?
これは産業革命の本質をよーく考えたら、おのずと出てきます。
産業革命の要因とは?
「工場で機械をつかって製品を大量に生産する」。
これが産業革命の本質でした。
Q.じゃあ、まず工場がなくちゃいけないじゃん。誰が建てるの?めっちゃ金かかるんじゃない?
A.お金持ちです。もしくは銀行から借金した人です。
→いずれにしろ、大量のお金(資本)があったことが第一の要因。
Q.機械も買ってそろえるんでしょ、大量生産できるような。誰が開発したの?
A.発明家や改良家です。ハーグリーブスやアークライトなどが有名(5回目の記事で詳述)。
→当時のヨーロッパは、科学と技術の進歩がすごかったことも要因(ニュートンとか思い出して)。
Q.製品をつくるには材料が必要だよね。どこから仕入れてくるの?
A.植民地からです。イギリスの場合、インドやカリブ海から(2回目の記事で詳述)。
→当時のヨーロッパが世界中に植民地を持っていたことも要因。原料の供給地として。
Q.大量につくるには人手も必要だよね。たくさんの労働者をどうやって確保したの?
A.この時期のヨーロッパは、人口が急激に増えていたから大丈夫でした(3回目の記事で詳述)。
→人口増加も要因。そんで人口増加はなぜかというと、農業技術が改良されて食糧が増えたから(農業革命)。
Q.大量に作っても、売れなきゃ意味ないじゃん。誰が買うの?
A.植民地で金持ちになった人たちです。かれらは「本国の貴族とおなじ生活がしたい!」って欲望バリバリなんで。
→だから植民地は、消費先としても要因だった。
以上の5つが、産業革命のおもな要因です。
いまいちどまとめると、
- 大量の資本
- 科学技術の進展
- 植民地(原料の供給地としても、消費先としても)
- 人口増加
ということになります。
なぜイギリスで最初に産業革命がおこったかも、これらの要因をみればわかっちゃいますね。
まあ、次の記事でよりくわしく解説するってことで。
よくある誤解と見落とし
産業革命の要因については、いたるところで述べられています。
しかし、よくある説明のなかには、誤解が1つ、見落としが1つ、それぞれあるので、ここでついでに言及しておきます。
誤解について
まず誤解ですが、「(第2次)囲い込み運動によって土地を失った農民が、都市に出て労働者となった。これが大量の労働力を生んだ」というもの。
これ、完全にまちがいではないけれど、的を射ていません。(囲い込み運動については3回目の記事で)
囲い込み運動によって農民から労働者になった人数より、単純な人口増加によって労働者となった人数のほうがはるかに多いんです。
だから「大量の労働力」という要因の説明としては、「囲い込み運動」より「人口増加」のほうが適切です。
たとえばイギリスの場合。下の表をみてください。
16世紀から19世紀にかけての、イギリス人口の推移です(スコットランドとアイルランドはのぞいています)。
18世紀後半から19世紀にかけて、人口が劇的に増えてるのがわかります。
これ、農業の改良(農業革命)によって食糧が増えたせいです。
想像力を豊かにしてください、人間が飢えなくなったのはここ200年ほどのことですから。
それまで何万年、何十万年と、人類は飢えによって20代、30代でバタバタ死んでいたのです(アフリカの多くの地域では現代でもそうです)。
というわけで、農業革命→人口増加→大量の労働者となったんです。
見落としについて
もうひとつ、「見落とし」のほうです。
産業革命の要因を説明したもののなかで、見落としている点は何かというと、「大量の製品を消費する人は誰か」という視点です。
教科書もそうなんですが、大量につくる!生産する!という点ばかり強調して、じゃあだれが買うの?という点があまり述べられていません。
消費者がいなければ生産者もいないから!
それで誰が消費するの?という答えは、上に書いたように、植民地でお金持ちになった人々です。
プランテーションを経営したり、貿易で儲けたりした人たちですね。
ちなみに新大陸の植民地でお金持ちになった人たちは、産業革命と同時期に、イギリス本国から独立してアメリカという国をつくります。
この人たちが裕福な生活を望んで、「これ綿織物の服やて、なんて薄くて軽いんやろ」「鉄砲を大量に買うてみてん、虎狩りに必要やろ」などと大量に製品を買ってくれたおかげで、産業革命が進んでいったんです。
現在の歴史教科書に「消費者という視点」がぬけているのは、たぶん、マルクス主義のなごりですね。
戦後に大流行したマルクス主義はなんせ、生産・労働重視だから。たぶんですが。
「産業革命」という名前の由来
最後に、「産業革命」という名前の由来について。
このことばを使いだしたのは、19世紀ヨーロッパの学者たちでした。
有名どころでは、共産主義運動で知られるエンゲルスなども使っています。あのマルクスの盟友ですね。
かれらは19世紀の社会を見渡して、それが100年前とずいぶんちがうことに気づきます。
- 農村より多くなった都市の人口。
- 街と街をつなぐ鉄道。
- 運ばれる大量の製品と労働者。
- 時間に追われ、長時間労働を強いられる毎日。
- 貧困と疫病をまきちらすスラム。
いったい、いつからこんな社会になったのか?
あの牧歌的な農村の暮らしは、おだやかでゆったりと流れる時間は、いったいどこへ行ってしまったのか?
きっとこの100年のあいだに、とてつもなく大きな変化が起きたのだ。
だからわれわれの生活はこんなにも変わってしまったのだ。
この劇的な変化はまるで革命だ。そう、あのフランス革命のように・・・。
こうして19世紀の学者たちは、「この100年の社会の変化」にたいして「産業革命」という名前を付けたのです。
漠然としてますねー。
もともとがこういうわけだから、いまでも「産業革命とは何か」がわかりにくいのも当然ですね。
(産業革命の本質については上に述べたとおりですが、それによる変化については、6回目、7回目、8回目の記事でくわしく解説します)。
ちなみに、「産業革命」という言葉が学術用語として定着したのは、19世紀後半のイギリスの経済学者、アーノルド・トインビーが本のタイトルに使ってからです。
彼の著作では「Industry Revolution」となっています。
いま、「産業革命」は英語で書くと「Industrial Revolution」です。
まとめ
- 産業革命は18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスからはじまった。
- その本質は「工場で機械をつかって製品を大量に生産するようになったこと」。
- 産業革命がおこった要因は5つ。大量の資本、科学技術の進展、人口増加、原料供給地としての植民地の存在、消費先としての植民地の存在。
- 「革命」なんて名前が付いたのは、19世紀の学者たちがこの100年の社会変化を大げさにとらえたから。
こうしてみると、「産業革命」という呼び名はいまはもうふさわしくないのかもしれません。
革命というほど急激な変化ではないですし。
社会の変化という点でみれば、当時よりも21世紀の現代のほうが急激ですし。
事実、「産業革命という呼び名は廃止して、『工業化』と呼ぶことにしよう」という主張もあります。
革命という言葉のひびきに、どうしても引っ張られちゃいますからね。
「工業化」ならば、より正確な単語でしょう。
ただ、なぜ「工業化」がイギリスで最初に起きたのか?
これは歴史上のミステリーのひとつです。
そこで次回から、この疑問をみていくことにします。
コメント