産業革命について4回目の記事です。
「なぜイギリスで最初に産業革命がはじまったのか」を説明する記事のラストとなります。
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前回まで、産業革命に必要な4つの要因(大量の資本、植民地の存在、人口増加、科学技術の進展)をそれぞれくわしく解説してきました。
しかし前回も述べたように、これだけでは「なんでイギリスが最初なの?」という説明は完成しません。
「ジェントルマン」というイギリス特有の存在を説明してはじめて、産業革命がイギリスでおこった理由をぜんぶ納得できます。
そこで、ジェントルマンとは何か?かれらが産業革命でどんな役割を果たしたのか?
この2点について見ていきましょう。
ジェントルマンとは何か
いまでは「ジェントルマン」といえば、単に「紳士」という意味です。
しかしイギリスの歴史において「ジェントルマン」とは、かつて別の意味を表していました。
ジェントルマンの定義
歴史の流れの記事でもすこし触れましたが、ジェントルマンとは16世紀~20世紀のイギリス社会を牽引した、地主を主体とする資産家たちのことです。
内訳は、貴族階級に属するものが約200人弱、平民に属するものが数万人です。
だから身分的には貴族と平民のあいだに当たりますが、「貴族」とか「武士」のように固定された階級ではなく、たとえば「ヒルズ族」とか「ハリウッドセレブ」などのように、社会的に一定の地位と名誉を認められた階層の人たちをいいます。
ジェントルマンたちのおもな収入源は土地収入と金利です。
つまりかれらは広大な土地を持っていて、農民に農地として貸し与えたり、産業資本家に工場の立地として貸し与えたりすることで、毎月たくさんの地代を稼いでいました。そして稼いだお金を人に貸して、その金利(利息)だけでじゅうぶんに生活していけるほど、お金持ちの人たちでした。
ようするにジェントルマンとは、汗水たらして働かなくても生きていける豊かな人々、有閑階級の人々だったのです。
ジェントルマンたちは共通の生活様式を保っていました。
肉体労働をしないこと。
つねに礼儀正しくあること。
幅広い教養を身につけること。
ティータイムには紅茶に砂糖を入れて飲むこと。
こうした共通の生活様式によって、ジェントルマンたちは自分たちが「ジェントルマンであること」を自覚し、連帯感をもっていました。
また、残り大多数のイギリス市民たちもこうした「ジェントルマンであること」にあこがれ、必死にお金を稼いで子孫をジェントルマンにすることを夢見ていました。
ジェントルマンの成り立ち
もともとのジェントルマンの母体は、中世の騎士階級に当たります。
14~15世紀という中世の末期、火砲が発明されたことで戦術が変わり、騎士は戦争での役割を失っていきました。
それで騎士階級は軍役を免除され、代わりに退職金をもらって、地方の地主となっていきました。
こうした地方地主をイギリスでは「ジェントリ」と呼びます。
ジェントリたちは農民から地代を取り立てて生活し、なかには大地主となるものも現れました。
つまり地方での権力を増していったのです。
そこで16世紀、チューダー朝の王さまはこのジェントリを取り込むため、かれらを王室議会の議員としました。
政治的発言権を持つようになったジェントリたちはさらに力を増し、やがて17世紀のピューリタン革命と名誉革命によって王さまから権力を奪い、貴族とともに政治の中心となりました。
このジェントリたちに、一部の貴族が加わって、「ジェントルマン」という階層が誕生したのです。
だからジェントルマンとは、17世紀から20世紀初頭にかけて、イギリスを支配した人たちということになります。
ジェントルマンの役割
ジェントルマンは有閑階級であるため、金とヒマをもてあましています。
またかれらは中世の騎士道精神を受け継ぐとともに、ルネサンス時代のヒューマニズム精神も取り込みました。
そのため、社会に奉仕することこそがジェントルマンの役割だと、自他ともに考えるようになりました。
ジェントルマンの多くは政治家となり、17世紀以降のイギリスにおいて、国や地方の政治を動かしていきました。
またインフラの整備や、領地内の住民への福祉活動などを、みずからの資金でおこなっていきました。
もちろん多額の寄付も、有望な産業や技術にたいする投資もおこなっています。
現代でいえばビル=ゲイツなど、多大な成功をおさめて社会貢献活動をおこなっている人を想像するとすこし近いかもしれません。
ただ、このように土地と金をもって社会に貢献できるのは、長男にかぎられていました。
たとえジェントルマンの家柄に生まれても、次男坊、三男坊は家を出て独立しなければならなかったのです。
そこで次男坊、三男坊たちの多くは、医者や弁護士や軍人、植民地の農場経営者といった職業につくことで、社会に貢献していきました。
18世紀以降には、これらの職業につく人もジェントルマンとみなされていきます(または疑似ジェントルマンと呼びます)。
以上のような諸々の性質をジェントルマンがもっていたことで、イギリスは史上はじめて産業革命を達成するのです。
では、ジェントルマンの性質と産業革命がどのようにつながっていくのか、それを見ていきましょう。
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産業革命においてジェントルマンが果たした役割とは
前回までの記事で、産業革命に必要な要因とは「大量の資本、植民地の存在、人口増加、科学技術の進展」の4つだと話しました。
この4要因にそって、ジェントルマンが果たした役割をそれぞれ見てみましょう。
大量の資本の提供
工場を建て、機械を導入し、たくさんの労働者を雇うには、大量のお金(資本)が必要です。
そのお金は植民地との貿易でイギリス国内に貯まったのですが、じゃあ誰のもとに貯まっていたかというと、ジェントルマンのふところです。
そしてジェントルマンは貯めるばかりじゃなく、その資本を産業のために提供しました。
なぜならジェントルマンは大金持ちであると同時に、社会に奉仕する存在だからです。
社会にとって有益となりそうな産業には先行投資を惜しまなかったんですね。
以前、「マネーの虎」というテレビ番組がありましたが、ちょっと似ているかもしれません。
植民地の獲得は次男坊・三男坊の働き先を得るため
前々回の記事で、イギリスはフランスとの植民地獲得戦争に勝利して広大な植民地を得た、これが産業革命がイギリスで最初におこったおおきな理由だと書きました。
ではなぜ、イギリスはそんなにたくさんの植民地を必要としたのか?
極論すれば、ジェントルマンの次男坊・三男坊の働き場所を得るためでした。
新しい植民地ができると、そこでプランテーションを経営する人材が必要です。
また新しい土地では病気も多いので、医者も必要になります。
モノや奴隷を船で運ぶには、輸送船を守るための海軍と軍人も必要です。
そして植民地社会が成熟してくると、そこでおこる争いごとを解決するための弁護士も必要になります。
イギリス議会で政治にかかわるジェントルマンの長男たちは、かわいい弟のために、働ける場所を用意してあげたんですね。
これが、イギリスの植民地獲得の真相です。
インフラ整備によって大量の人とモノが運ばれた
人口増加そのものは前回の記事でみたように、第2次囲い込みによる農業革命が原因です。
ただ、そうして増えたたくさんの労働者と、さらには大量生産される製品を運んだのは、ジェントルマンが整備したインフラだったんです。
つまりイギリスの場合、道路や鉄道、港や運河などの社会資本は、国家予算ではなくてジェントルマンの私的なお金で整備されたのです。
日本などの後発国の場合、産業革命は国家目標だったため、インフラ整備は国がお金を出しておこないました。
しかし18世紀当時のイギリスでは、まだ人類は産業革命なんて経験していません。インフラを整備してそれがなんの得になるのか、だれもわからないわけです。
そんななか、当時のジェントルマンたちは、ただ社会への奉仕という精神でもって多額のお金を出し、鉄道を敷いて、蒸気機関車を走らせ、港を整備し、蒸気船を作らせたんです。
このジェントルマンたちの「社会への奉仕」という精神と、かれらの資金力がなければ、たくさんの労働者も大量の製品も運ばれなかったでしょう。
だから産業革命はジェントルマンたちのインフラ整備によって、はじめて可能になったのでした。
最新の科学技術に資金提供
前回の記事で、産業革命の要因として大事な科学技術は、蒸気機関・石炭の利用・製鉄の3本だと述べました。
これ、どれもめちゃくちゃお金がかかります。
蒸気機関車のエンジンを想像すれば易々と作れるものでないことはすぐわかりますし、石炭を掘るには大量の人と機械が必要です。製鉄もまた、現代日本の製鉄・製鋼企業の工場を思い浮かべてもらえば、どれだけお金のかかる施設かイメージできると思います。
これらの開発と改良に資金を提供したのも、やはりジェントルマンでした。
これもまた、かれらの社会奉仕の精神と資金力のなせるわざです。
加えていえば、ジェントルマンが幅広い教養をもっていたことも要因でしょう。
ジェントルマンの多くはパブリックスクールからオクスフォードやケンブリッジといった名門大学に進むので、当時急速に発展していた近代科学についても、教養を身につけていたはずです。
ワットの蒸気機関も、ダービーの製鉄技術も、すぐに採算はとれないけれど将来有望な技術であると、ジェントルマンは見抜いて、そして投資したのではないでしょうか。
ちょうど、ビル=ゲイツが新エネルギー向けの投資ファンドを設立したように。
まとめ
以上、ジェントルマンとは何か、かれらが産業革命において果たした役割とは何かを見てきました。
ここまでの3回分の話をすべてまとめると上のようになります。
そして、すでにお気づきの方もいるかもしれませんが、ここまでの話と次回以降にする話もすべて、じつは川北稔先生の説にもとづいています。
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次回は「産業革命がなぜ綿工業の分野からはじまったのか?」について解説します。
→次の記事:産業革命はなぜ綿工業の分野からはじまったのか?その理由を簡単に解説
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