産業革命によって何が変わったのか?政治・経済への影響を5つ挙げてみる

歴史

前回のつづき、産業革命の影響を説明する3つめの記事になります。

今回は「政治・経済」面での変化を5つまとめてみます。

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政治・経済の変化

前回まで2回にわたり「社会の変化」「生活の変化」を見てきました。

今回は産業革命によって、世界の「政治・経済」はどう変わったのか、ポイントをしぼってみていきます。

なお資本主義と産業革命の関係については、次の記事でくわしく解説する予定です。

 

労働者階級の誕生

産業革命によって、イギリスやヨーロッパ、アメリカの各都市には大量の労働者が生まれました。

前回の記事で見たように、かれらは同じような生活をします。

これによって労働者同士に一体感が生まれ、やがて労働者階級という新たな階級が誕生したのです。

 

イギリスの場合、それまではごく少数の貴族と、少数のジェントルマンという階級しかありませんでした。

ここに19世紀、多数の労働者階級が加わったことで、イギリス政治はそれまでとすこしちがった道をたどりはじめます。

つまり、労働者の声もすこしずつ反映されていくのです。

これが次の項目の「自由主義的政策」につながります。

 

イギリスの自由主義的政策

高校で世界史を習うと、「1820年代以降、イギリスは自由主義的な政策がめだつようになった」などという記述が出てきます。

これ、なぜかというと、労働者および産業資本家の声をイギリス政府(つまり地主であるジェントルマン)が無視できなくなってきたからです。

たとえば1824年の団結禁止法の撤廃は、労働組合をつくらせろ、という労働者の声を反映したものでした。

また1832年の第1回選挙法改正も、都市の労働者の票をもっと重視しろ、という声によって為されたものでした。

 

この時期のイギリスの対外政策も、「地主であるジェントルマンvs.産業資本家と労働者」という構図でとらえるとわかりやすいです。

たとえば1846年の穀物法の廃止は、小麦の値崩れをおそれるジェントルマンたちにたいして、安いパンを求める都市の労働者たちが勝利したものです。

また1834年の、東インド会社による中国貿易独占権の廃止も、お茶の輸入によって利益を独占したいジェントルマンたちにたいして、毎日紅茶を飲みたい労働者と、毎日紅茶を飲ませたい産業資本家が勝利したものです。

そして1833年の奴隷制の廃止も、カリブ海のプランテーション経営と三角貿易によって利益をあげていたジェントルマンに打撃を与えるためのものでした。



2回目の記事でみたように、奴隷制はプランテーション経営にとって、また大西洋の三角貿易にとって欠かせません。

奴隷制がなくなると、イギリス議会のいわゆる「西インド諸島派」と呼ばれたジェントルマンたちは力を失います。

結果として、西インド諸島派に独占されていた砂糖が安い関税で国内に入るようになり、労働者は紅茶にたくさん砂糖を入れて飲むことができます。産業資本家は砂糖で元気になった労働者をバリバリ働かせられます。

これが奴隷制廃止の原因だったんです。けっして人道的な理由なんかじゃないんですね。

 

ちなみにこの約30年後、アメリカのリンカーン大統領も奴隷制を廃止しますが、これも政治的な理由でした。南部のプランテーションを崩壊させて南北戦争を北部の勝利にみちびくためです。「奴隷制は人道に反する」なんて、政治家の建前にすぎません。

ちょっと話がそれましたが、こうした産業資本家と労働者の声によって、19世紀のイギリスは自由主義的な政策をとったのでした

ただジェントルマンが力を失ったかというと、そうではありません。くわしくは10回目の記事で。

 

女性の社会進出

3つめの影響は、女性の社会進出です。

中世以来ヨーロッパではずっと、一般の女性は経済的には家族経営の一員でした。

つまり旦那の農作業を手伝いながら、子育てや家事をおこなってきたのです。

これが産業革命によって、役割が劇的に変わります。旦那とちがう仕事につくようになったのです。

 

パパは港で荷物運びに、わたしは工場で機械操作に、あら、パパよりわたしの稼ぎのほうがいいわ、なんて例もおこってきます。

つまり産業革命によって、女性が単独で賃金を稼げるようになったんですね。

これによって女性の社会的地位もすこしずつ向上していきます

のちに人類が2度の世界大戦を経験すると、武器工場などで働いた女性の地位はさらに向上し、やがて女性の社会進出は当たり前のようになっていきます。

(このあたりの詳しい話はフェミニズムの連載で解説しています↓)

フェミニズムとは何か?その本質と起源
フェミニズムとは何か? どんな背景から生まれた思想・運動なのか? フェミニズムはどんな歴史をもっているのか? そしてその意味・役割とは何か。つまりフェミニズムによってわたしたちの社会は、制度は、生活はどう変化したのか? ...

 

また女性が家族経営から解放されて単独で働くということは、社会全体でみると、それだけ働き手が増えることでもあります。

だから日本はいま、経済の行きづまりを解決するひとつの方法として、女性の社会進出をさらに進めようとしているわけです。

 

19世紀の覇権をイギリスが握る

4つめの影響は、19世紀の国際社会においてイギリスがその中心となったことです。

歴史学では、強力な経済力をもっていて、政治的・軍事的に国際社会の中心となる国を「覇権国家」と呼びます。

近世以降の覇権国家は4つあり、16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、そして20世紀のアメリカです。

産業革命の結果、19世紀の世界はイギリスを中心に動くようになったのでした。



ただイギリスの覇権は、産業革命だけが要因ではありません。

むしろ世界の経済システムがイギリスを中心としたものになったことがおおきな要因です。

つまりイギリスが産業と金融の中心となり、アフリカやカリブ海、アジアなどが原料供給地となって、世界規模での役割分担がすすんだことによります。

このあたりのくわしい話は以下の本が詳しいのでおススメします。

ちなみに現代アメリカの覇権は、1970年代にベトナム戦争によって終了したと、川北先生に聞いたおぼえがあります(記憶違いだったらごめん)。

じゃあ21世紀初頭の現在は、覇権国家なしの多極化世界ってことになるんでしょうか。それとも「覇権国家」という枠組みで考えること自体、もう時代にあわなくなってきてるんでしょうか。おもしろいですね、ワクワクしますね。

 

社会主義が生まれる

最後の影響は「社会主義」という思想と運動が生まれたことです。

山川出版社の『世界史用語集』によれば、社会主義思想とは以下のようなものです。

19世紀前半の西ヨーロッパに出現した、資本主義のうみだす諸矛盾を解消し、労働者を中心として平等・公正・友愛に基づく社会を実現しようとする様々な思想。
理論的には、私有財産制の廃止、生産手段(土地や機械)の共有・共同管理によって、経済的に平等で調和のとれた社会を実現しようとする考え方。
19世紀後半からは、この思想をとなえる労働運動が広まった。
(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』山川出版社、p212)

もうちょっとわかりやすい解説は次回の記事でしようと思います。

かんたんにいうと、産業革命によって現代的な資本主義が完成して、貧富の差とか悲惨な労働環境とか生まれたから、もっと労働者にとってより良い社会にしようという思想です。

この思想を主張した人のなかでいちばん有名なのは、あのマルクスとエンゲルスですね。1848年に「共産党宣言」をした2人です。

かれらの思想に基づき、やがて20世紀にはソ連などの共産主義国が誕生するんですが、現在はすでに純粋な共産主義が終了しちゃったのは別の記事でみたとおりです。

とにかく、こうした社会主義という考え方が生まれたのも、もとをたどれば産業革命による影響といえるでしょう。


まとめ

  • 労働者階級が誕生した
  • 19世紀のイギリスが自由主義的政策をとるようになった
  • 女性の社会進出がはじまった
  • 世界の覇権をイギリスがにぎった
  • 社会主義という思想と運動が生まれた

以上の5つが、産業革命による政治・経済上の変化です。

 

ただ政治・経済上の変化において、いちばん大切な項目をまだ話していません。

それは「現代につづく本格的な資本主義体制の完成」です。

これについて、次回でくわしく述べたいと思います。

  • 資本主義とは何か?
  • 産業革命とどのように関係しているのか?
  • 資本主義はどんな歴史をたどってきたのか?
  • 資本主義によって何が変わったのか?

こうした疑問に答えていきます。

資本主義とは何か?産業革命とどう関係しているのか?何が変わったのか?

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