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ヨーロッパ

ジェントルマン資本主義によってイギリスが「世界の銀行」になった

投稿日:2017年6月13日 更新日:

前回につづいて、イギリスの「ジェントルマン資本主義」について解説します。

(以前の記事はこちらから↓)
1回目:産業革命とは何か
2回目:なぜイギリスが最初だったのか その1
3回目:なぜイギリスが最初だったのか その2
4回目:なぜイギリスが最初だったのか ジェントルマンの役割
5回目:なぜ綿工業からはじまったのか
6回目:産業革命によって何が変わったのか 社会編
7回目:産業革命によって何が変わったのか 生活編
8回目:産業革命によって何が変わったのか 政治・経済編
9回目:資本主義とは何か、産業革命との関係は
10回目:イギリスの「ジェントルマン資本主義」について
11回目:イギリスの「ジェントルマン資本主義」について その2(今回の記事)

 

今回はジェントルマン資本主義がイギリスの帝国主義とどう関わるのか。

つまり、シティの金融ジェントルマンたちの利害が、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのイギリス帝国の植民地拡大にどうつながっていったのか、具体的にみていきます。


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世界中に広がったイギリスの植民地

20世紀初めのイギリス植民地

そのまえに、イギリスの植民地がどこだったか復習しときましょう。

20世紀初めのイギリス領を地図で表すと、↑のようになります。

いやーすごいですね。まさに「大英帝国」って感じです。

 

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスは植民地をさらに拡大させ、この世界の覇権をにぎります。

これを古代ローマになぞらえて「パクス=ブリタニカ」と呼んだりします。



地図をくわしくみると、オーストラリアやニュージーランド、カナダなどは白人植民地であるのがわかります。

つまり国のなかったところにイギリス人が入植して、新たに国をつくったところです。

それに対してアジアやアフリカでは、もともとあった国や地方勢力を滅ぼして、イギリスが支配していきました。

つまりインドエジプト南アフリカといった地域の国々です。

 

なぜイギリスは、こうした国々を支配していったんでしょうか?

「ジェントルマン資本主義」論の考えに沿って、ひとつひとつ見ていきましょう。

 

 

インド支配の理由

イギリスのインド進出は3つの時期に分けて考えることができます。

①1623年のアンボイナ事件以降、インド経営に力を注いで、アジア貿易に参入しただけの時期。

②1757年のプラッシーの戦い以降、インドの地方勢力同士の抗争に加わって、勢力を拡大させた時期。

③1858年以降、ムガル帝国を滅ぼし、直接統治する時期。

 

このうち、①と②を担ったのはイギリス東インド会社です。

そして③の、直接統治を推し進めたのが、シティの金融ジェントルマンたちの利害だったんです。

 

イギリス政府はなぜインドの直接統治を選んだのか

1834年、東インド会社はイギリス政府の意向により、商業活動を停止させられます。

これは8回目の記事でみたように、イギリス国内で自由主義的政策を求める声が高まり、東インド会社の貿易独占権がつよく非難されたからです。

これで東インド会社は「会社」って言葉がつくくせに、インド統治をおこなうだけの行政機関になりました。

ところが1857年から、インドで大反乱がおきます(シパーヒーの反乱)。

イギリス政府は軍隊を動員してなんとか反乱をおさめたものの、「もう東インド会社には統治を任せられん」と感じます。

ここでイギリス政府には2つの選択肢があったはずです。

1.東インド会社に代わる新たな間接統治機関をつくる

2.直接統治にのりだす

ご存じのように、イギリス政府は2.を選択しました。
これはなぜか?

直接統治にすれば、「インドの発展」という建前のもと大々的なインフラ整備をすることができ、その元手に投資する金融ジェントルマンたちが儲かるからです。

鉄道建設という絶好の投資先

とくにインフラ整備でたくさんお金がかかるのは、鉄道の建設でした。

インドでは、日本がまだ幕末のころから鉄道建設がはじまり、延ばしに延ばしつくりあげた路線は合計6万km以上。

現在でも世界有数の鉄道大国です。

鉄道建設のためには、建設資金を調達しなければいけません。

ここに、シティの金融ジェントルマンの資金が流れこんだんです。

そしてイギリス政府はジェントルマンたちの利害を考えて、「元利保証制度」というものもつくりました。

この「元利保証制度」とは、払い込まれた資本はインド政庁が全額保証する、しかも年5%の利息を営業成績に関係なく返しつづけるというものでした。

つまり投資側にすれば、投資した金額の5%が毎年かならず儲かるという仕組みです。

こうして金融ジェントルマンたちはインドの鉄道建設に多額の投資をして、儲けていきました。

鉄道建設は、建前こそ「インドの経済発展」でしたが、実際はシティの利益を考慮しての政策だったんです。


インド公債でも5%の儲けが保証

ただこの「元利保証制度」には欠点がありました。

営業成績に関係なくインド政庁が全額負担してくれるなら、鉄道会社にとってみれば株主や投資家に対する責任を負わなくていいということになります。

それで10以上ある鉄道会社はみな、放漫経営になっていきました。

採算を度外視して路線を延ばし、たくさんSLを走らせ、毎年のように大赤字を出しました。



その赤字をぜんぶインド政庁が負担したから、インド政庁の財政は火の車。

借金を補うため、シティの金融市場で大量の公債を発行しました。

 

これをまた、シティの金融ジェントルマンたちが買ったんです。

しかもこの公債も5%の利息保証。買ったらかならず儲かる。ジェントルマンうはうは。

 

このような政策ができるのも、インド政庁≒イギリス政府だからですね。

もしインド人自身の政府だったら、自分たちの税金がめぐりめぐってロンドンの資産家たちの懐に入ることを、許したりしないはずです。

イギリスによるインドの直接統治が、シティの金融ジェントルマンの利害と一致していたというのは、以上のような内容だったのです。

 

 

エジプト支配の理由

エジプトは1805年、ムハンマド=アリーによってオスマン帝国から実質的な独立を果たしますが、その77年後にイギリスに占領されます。

この占領は当初から「債権保有者のための戦争」と呼ばれました。

つまりここでも、エジプト国債を保有する金融ジェントルマンたちの利害に沿って、植民地化がなされたのです。

 

エジプトの財政危機が支配のはじまり

19世紀前半、オスマン帝国からの独立を果たしたムハンマド=アリーはエジプトを急速に近代化させます。

その後、アリーの孫イスマーイール(イラン・サファーヴィー朝の創始者とは別人物)は、おじいちゃんを見習って、インフラの整備をすすめます。
スエズ運河を開通させ、鉄道を走らせ、港を整備し、電信を渡しました。

ただこうしたインフラ整備には、インドの例でも見たように、多額の資金が必要です。

それでイスマーイールもまた、公債を発行してインフラ整備の資金としました。

しかしあまりに多くの公債を発行したため、1870年代にエジプト財政は危機に陥ったのです。

なんせ国家歳入の半分以上が公債の利子と返済に充てられるほどでしたから。

エジプト公債を買っていたのは、イギリスとフランスの資本家たちでした。

とくにシティの金融ジェントルマンたちが多額の公債を保有していました。

ジェントルマンにしたら、エジプトが財政破綻でもしたら困ります。デフォルト(債務不履行)に陥って「もう払えませーん」なんてことになったら大損こくからです。

そこでイギリス政府はジェントルマンの利害を忖度して、フランスを誘い、エジプト財政を共同管理しはじめます

1876年からのこの介入が、イギリスによるエジプト支配のはじまりでした。


 

エジプト支配はジェントルマンの利益を守るため

1881年、民族主義者であり軍人のウラービー=パシャが反乱をおこします(ウラービーの反乱)。

イギリス政府は軍隊を派遣して、この反乱を強制的に鎮圧しました。

なぜなら、エジプトが民族主義者の政権となれば、公債をチャラにすることは目に見えていたからです

つまりイギリス政府はここでも、シティの金融ジェントルマンの利害のために動いたのでした。

また、イギリス政府が動いてフランス政府は動かなかった理由も、ジェントルマンという存在の有無にあったんですね。

イギリスはその後、エジプトを保護国化します。

建前は「秩序を回復し、民主主義を導入する」でしたが、秩序が回復しても、民主主義社会になっても、イギリスはエジプトの占領をやめませんでした。

財政再建には長い時間がかかったからです。

エジプト国民に重税を課し、エジプト人公務員を大量削減してでも、イギリスは財政再建にとりくみ、毎年公債の支払いをおこない、結果としてシティの金融ジェントルマンたちの期待に応えました。

これがエジプト支配の実態でした。


 

 

南アフリカ支配の理由

インドとエジプトの支配は、主にインフラや公債に投資する金融ジェントルマンの利害に沿ったものでした。

いっぽう南アフリカの支配は、鉱山業と深くかかわっています。

つまり、ダイヤモンドや金を採掘する鉱山会社。

それらを流通させる貿易会社・商社。

またこれらの採掘事業・流通事業へ投資する金融会社。

以上の商売をおこなうジェントルマンたちによって、イギリス政府が突き動かされた結果が、南アフリカの植民地化だったんです。


 

南アフリカ支配の前史:ダイヤモンド鉱山が発見される

南アフリカにはすでに17世紀から、オランダの「ケープ植民地」がありました。

スエズ運河が開通するまで、ヨーロッパ―インド間の船は喜望峰まわりだったため、南アフリカはずっと重要な場所だったのです。

その後19世紀初めにイギリスが、ナポレオン戦争のゴタゴタのすきをついて、ケープ植民地を奪います。

地元のオランダ人(=ブール人)たちは北に逃れて、「トランスヴァール共和国」「オレンジ自由国」という2つの国をつくっていました。

この2つの国を、19世紀後半、イギリスは占領していくのです。

だからインドやエジプトの場合とちがって、南アフリカの植民地化は西欧人vs.西欧人という戦争でした。

 

1870年代に、南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見されます。

カネの匂いに敏感なロンドン・シティのジェントルマンたちはさっそく南アフリカに殺到し、資本を投資し、鉱山会社を立ち上げ、流通経路を確保して儲けていきます。のちのイギリス植民地相セシル=ローズもダイヤモンドで大儲けした一人です

かれらはさらに金を儲けるため、「ブール人国家が自由な貿易を阻害している」という主張のもとイギリス政府を動かし、トランスヴァール・オレンジ両国に戦争をけしかけさせます。

ただ相手もよく組織された近代国家。

1881年の戦争ではイギリスが敗北し、トランスヴァール・オレンジ両国は独立を守りました。

 

南アフリカ支配のはじまり:金鉱山も発見される

ところが1886年に、今度は金鉱山が発見されました。

すでに欧米諸国は金本位制度だったため、ダイヤモンドのとき以上の資本が南アフリカに集まります。

とくにシティは金本位制度における世界の金融の中心。

1890年代には5000万ポンドを超える投資が南アフリカの金鉱山に向けられました。

ロスチャイルドやベアリングをはじめ、シティの金融業者はこぞって南アフリカにカネを殺到させたのです。

 

金融・流通業にとって自由貿易とは絶対の正義です

なぜなら自由貿易がいちばん儲かるからです。
(TPP交渉にたいする農協と経済同友会の主張のちがいを見ればよくわかる)

だからまた、さらなる利益を求めるシティのジェントルマンたちと、ブール人国家とのあいだで衝突がおこります。

なかには穏健派も少なくなかったのですが、結果として強硬派にひっぱられる形で、イギリスvs.トランスヴァール・オレンジ両国という争いの第2弾が開始されました。

1899~1902年のこの「南アフリカ戦争」では、ブール人側がはげしいゲリラ戦をくりひろげたことで長期化し、イギリス軍は22000人の兵と2億ポンドのカネを消費しました。


 

南アフリカ支配のその後

ブール人国家に勝利したイギリスは、1910年に「南アフリカ連邦」を誕生させます。

この新しい国のもとで、ダイヤモンドと金の採掘・流通がさらにすすみ、それに投資するシティのジェントルマンたちもさらに儲けていきました。

たとえばセシル=ローズのつくった「デビアス」というダイヤモンド会社は、南アフリカのダイヤモンド鉱山を独占し、また流通経路を世界中に構築したことで、ダイヤモンドの市場価値を自由に決められるようになりました。

その後の広告戦略もあわさって、いまではダイヤモンドが高価な贈り物とされるようになったのは周知のとおりです。

そして、このデビアスに投資したロスチャイルドなどのシティの金融ジェントルマンもまた、世界中からカネを得ていったのです。

 

ちなみに南アフリカ連邦では、イギリス人とブール人の対立を緩和するため、共通の敵=黒人をつくって、差別するようになりました。

この政策が「アパルトヘイト」と呼ばれ、近年まで継続していたのもご存じのとおりです。

 

 

まとめ

ここまでインド、エジプト、南アフリカを例に、「ジェントルマン資本主義」が19世紀後半以降のイギリス帝国の拡大とどう関係していたのかを見てきました。

この「ジェントルマン資本主義」とイギリス帝国拡大の関係は、他にもいたるところで見受けられます。

ナイジェリアにおけるスズの採掘と、パーム油の流通。

アフリカ東岸や海峡植民地(マラッカ、シンガポールなど)における貿易船の往来。

ビルマにおけるルビーの利権・・・。

世界中のあらゆる場所で、シティの利害がイギリス帝国の拡大をおしすすめました



そしてイギリス帝国の拡大によって、シティには世界中からカネと人と情報が集まり、世界経済の中心として発展していきました

この意味で、イギリスの発展は「世界の工場」だったからではなくて、「世界の銀行」だったからといえます。

 

その後、20世紀の2度の大戦によって、シティはウォール街に、ポンドはドルに、金融ジェントルマンはニューヨークの大富豪たちにとって代わられますが、いまでも世界経済に一定の影響力をおよぼしていることには変わりありません。

「ジェントルマン資本主義」論は、現代の世界を理解するうえでも役に立つ歴史認識だといえるでしょう。

 

全11回にわたった産業革命についての記事もこれで終わりです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

*参考文献(未紹介のものに限る)
秋田茂編著『パクス・ブリタニカとイギリス帝国』ミネルヴァ書房、2004年
歴史科学協議会「歴史評論」1998年5月号

(以前の記事はこちらから↓)
1回目:産業革命とは何か
2回目:なぜイギリスが最初だったのか その1
3回目:なぜイギリスが最初だったのか その2
4回目:なぜイギリスが最初だったのか ジェントルマンの役割
5回目:なぜ綿工業からはじまったのか
6回目:産業革命によって何が変わったのか 社会編
7回目:産業革命によって何が変わったのか 生活編
8回目:産業革命によって何が変わったのか 政治・経済編
9回目:資本主義とは何か、産業革命との関係は
10回目:イギリスの「ジェントルマン資本主義」について
11回目:イギリスの「ジェントルマン資本主義」について その2







-ヨーロッパ


  1. あんぱん より:

    はじめまして!イギリスで最初の産業革命が始まった理由を調べていたところたどり着きました…!流れが凄くわかりやすいです!大学の授業を聞いても参考書を読んでも流れが掴めず、試験対策に困っていたので助かりました( ; ; )ありがとうございます!他の記事もとても面白いです!ブログの更新楽しみにしていますね(*^^*)

    • じゅうご より:

      ありがとうございます。
      すこしでも参考になればうれしいです^^)
      ここんところ更新が滞っていたので(汗)
      歴史関連の記事もまた更新していきますね。
      試験、がんばってください!

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管理人の重悟(ジュウゴ)です。
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