イエスの生涯をめぐる連載の6回目です。
ここから2回にわたって、イエスの宣教活動の内容、つまりイエスの言いたかったこと・したこと・伝えたかったことを解説します。
キリスト教的解釈でなく、イエス自身の思想と言動を、つまり「歴史的イエス」をできるかぎり再現してみようと思います。
(その他の記事はこちらから↓)
紀元28年頃、イエスは洗礼者ヨハネのもとを去り、故郷ガリラヤにもどって、宣教活動をはじめました。
イエスは村々を回って教えを説き、12人の弟子をはじめ多くの者がイエスに付き従うようになりました。
イエスの宣教活動は2年ちょっとでしたが、そこで多くの言葉を残しました。
彼はいったい何を語ったのか?
誰に、何を訴えたかったのか?
新約聖書からキリスト教のドグマを注意深くとりのぞけば、そこにイエスの本心が見えてきます。
イエスの言いたかったこと、したかったこと。
それは次の4つです。
権力にたいする激しい憤り
弱者に寄り添うこと
真に正しいことをせよ
神の国の到来
今回は「権力にたいする激しい憤り」と「弱者に寄り添うこと」について、見ていきましょう。
なお、イエスは宣教をする際にいろんなたとえ話を多用しました。
それらの解釈も書いていきますが、ジュウゴとは別の解釈をする人もいると思います。
「こんな読み取り方もあるよ」という人は、ぜひコメント欄からどうぞ。
へびよ、蝮の子らよ、地獄の刑罰を
イエスの根幹にあったのは、この社会の支配体制すべてに対する激しい怒りでした。
聖なるカナンの地を支配し、ユダヤ人の独立をさまたげるローマ。
そのローマの犬となって民衆を苦しめるヘロデの息子たち。
かれらにうまく取り入って、権力と金をほしいままにする祭司階級(サドカイ派)。
おなじく権力と金を持ち、民衆を搾取している資産家たち。
そして民衆の味方のふりをして、じつは支配側である律法学者。
イエスはかれらすべてを、激しい言葉で非難します。
政治的支配者への批判
あるとき、イエスの弟子であるヤコブとヨハネの二人がイエスに近づいて、こう言いました。
「先生、先生が栄光をお受けになるときには、ひとりをあなたの右に、ひとりを左に座らせてください」。
つまりヤコブとヨハネは、やがてイエスが権力をもった際に自分たちを重用してくれと頼んだのです。
これに対して、イエスは弟子をみな呼び集め、こう言い放ちました。
新約聖書「マルコによる福音書」10.42-44
ここで言われる「異邦人の支配者と見られている人々」とは、ローマ人のことです。
そして「偉い人たち」とは、ヘロデの息子たちや神殿祭司階級のことです。
イエスはこう言いたかったんです。
権力を求めるな、むしろ弱い者のままでいろ、と。
そしてこの言葉には、政治権力への反発が込められています。
おれらの支配者ということになってるローマ人や、偉い人ってことになってるユダヤの権力者たち。
あいつらのマネなんか絶対にするな、と。
こうした政治権力への反発は、次の言葉でよりストレートに表現されています。
新約聖書「ルカによる福音書」13.31-32
分封領主ヘロデ=アンティパスのことを、イエスは「あのきつね」と呼んだのです。
あのきつねがおれを殺そうとしたってかまわない。
おれは今日も明日も、することをするだけだ。
あいつにそう伝えてやれ。
イエスの、政治的支配者層に対する激しい反発が、ここからみてとれます。
経済的支配者への批判
イエスはまた、金持ち・資産家への批判もおこないました。
2回目と4回目の記事でも書いたように、イエスの時代、ガリラヤでは大土地所有制が広まっていました。
民衆は日雇い労働者としてこき使われる一方で、資産家たちは都市で優雅にくらしていたのです。
この経済格差に、イエスは皮肉をこめて怒りをぶつけます。
ある資産家が、イエスに「永遠の生命が欲しい」と申し出る場面があります。
イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。 いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。
すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。
イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
新約聖書「マルコによる福音書」10.17-22
イエスはこの資産家に対し、なかば呆れ、なかばバカにし、そして憤っているのです。
金があるうえに永遠の生命までほしい?
やれやれ、あんた、モーセの十戒くらい知ってるだろ、それ守りなよ。
守ってる?そこまで言うなら、おまえ、自分の金をぜんぶ貧乏人に分け与えてみろよ。
永遠の生命とか言う前にさ、できるかい。
そしてイエスは続けてこう言うのです。
新約聖書「マルコによる福音書」10.23
このように、イエスは政治的・経済的支配者を批判するとき、彼独特の皮肉をこめて語ることが多くありました。
しかし、こと宗教的支配者(神殿祭司階級や律法学者)を批判する段になると、イエスの言葉はもっとストレートで、もっと激しい怒りを含みます。
神殿祭司階級への批判
4回目の記事で見たように、イエスの時代、神殿祭司階級はユダヤ人社会の中心でした。
最高裁判所があり、行政もおこなう。
全ユダヤ人から「神殿税」として収穫の十分の一を取り立てる。
祭司たちはみな名門貴族でもあり、大地主でもある。
そして行事ごとにエルサレム神殿で儀式をおこない、民衆から敬われる。
イエスはこんな神殿祭司階級を、ユダヤ教の本質から外れた悪として非難したのです。
では、神殿祭司階級の何が悪だとイエスは思ったのか。
いろいろありますが、ひとつ例を挙げましょう。
有名な「よきサマリア人の例え」です。
するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、あるサマリア人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか。
新約聖書「ルカによる福音書」10.30-36
ちなみに「レビ人」とは下級祭司のことです。
またサマリア人とは4回目の記事でみたように、差別されてきた人々です。
このイエスの例えは、律法学者から「わたしの隣人とは誰のことですか」と尋ねられた、その返答でした。
祭司ってのはだいたいこんなやつらだ。
弱者を支配して、搾取して、儀式だけ仰々しくこなしてる。
「隣人を愛せ」ってのは律法の初歩中の初歩なのに、しやしない。
サマリア人のほうがよっぽどユダヤ教の本質に忠実だ。
律法学者さん、あんたも隣人とは誰か云々するまえに、このサマリア人のように実行してみろよ。
律法学者への批判
このように、イエスの糾弾の矛先は律法学者へも向けられました。
律法学者とは、タナハ(ヘブライ語聖書)をはじめユダヤ教の聖典の研究をする人たちのことです。
主に聖典の解釈を研究し、ときどき町の会堂(シナゴーグ)に行ってはパリサイ派や一般民衆にその解釈を教えていました。
大学教授みたいなもんで、ようするに知的エリートです。
イエスはさまざまな場面で、さまざまな点で、律法学者を批判します。
2点ほど挙げると、
①律法のこまかい決まりばかり言って、肝心の本質を見失ってること↓
イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、 手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。
ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。
主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。 それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。
新約聖書「ルカによる福音書」13.10-16
イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。
新約聖書「マルコによる福音書」7.5-8
ユダヤ教では安息日に働いたり、手を洗わずに食事したりしてはいけません。
(くわしくは3回目の記事を参照)
でも、そうした決まりも大切だけど、それよりも病人や貧しい者たちにとっては、病気を治してもらうこと・日々の食事があることのほうがよっぽど大事だろう。
イエスはこう主張したのです。
②見栄ばかり取りつくろっていること↓
新約聖書「マルコによる福音書」12.38-40
(中略)
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
(中略)
へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか」。
新約聖書「マタイによる福音書」23.23-33
イエスはこうした律法学者に我慢がならなかったのです。
民衆の味方のふりをして、こまかい決まりで民衆を押さえつけている。
先生と呼ばれて、外面ばかりよく見せて、律法中でいちばん大事なことができてない。
以上のように、イエスはこの社会のあらゆる支配階級にたいして批判をぶつけました。
それはイエスが常に弱者の立場からものを言っていたからです。
パリサイ派は本当にイエスの敵だったのか
最後に、パリサイ派についてもふれておきます。
上の例でも出たように、イエスはパリサイ派も非難しています。
というか、福音書を読むと、パリサイ派を批判している箇所が圧倒的に多いんです。
しかし実はイエスは、パリサイ派だけを重点的に攻撃したわけではありません。
じゃあなぜパリサイ派だけこんなにやり玉にあがっているかというと、福音書記者が福音書を書くとき、パリサイ派を攻撃するイエスの言葉だけを多めに採用したからなんです。
1回目の記事でも見たように、各福音書はどれも紀元70年~120年ごろに書かれました。
じつはこのまえに、紀元66年からユダヤ人によるローマへの大反乱が起きています。
そして紀元70年に反乱は鎮圧され、エルサレムは陥落、エルサレム神殿も炎上しました。(ちなみに焼け残った西側の外壁が「嘆きの壁」です)。
その後もしばらくヘロデ朝はつづきますが、紀元92年からパレスチナはローマの直轄領となりました。
だから、福音書の書かれた時点で、すでにヘロデの子孫および神殿祭司階級は(ほぼ)消滅してたんです。
んで、そもそも福音書が誰に向けて書かれたかというと、ローマ帝国内にいる、キリスト教に関係するすべての人に向けてです。
もうこの頃になると、キリスト教はユダヤ教から分離して、ユダヤ人以外にも伝わるようになっていました。
というか、ユダヤ人よりも他の民族のほうがキリスト教徒は多いくらいでした。
かれらキリスト教徒の中には、当然ローマの政治家や資産家もいたでしょう。
だからローマの悪口も、資産家の悪口も、あまり言えなかったんです。
政治家や資産家は初期のキリスト教会にとって、いろいろ援助してくれる後ろ盾でもあったからね。
それで結局、イエスが批判した中で残っていたのは、パリサイ派だけ。
これが、福音書にパリサイ派への批判が多い理由でした。
つけくわえるなら、神殿崩壊後のユダヤ教はパリサイ派が主流になります。
だから、ユダヤ教から分かれ、ユダヤ教とのちがいを鮮明にしたいキリスト教にとって、パリサイ派はかっこうの批判の的でもあったんです。
以上、パリサイ派への批判が福音書に多い理由でした。
次はイエスの言いたかったこと・したかったことの2つめ、「弱者に寄り添うこと」について見ていきます。
貧しい人たちは幸いである
イエスの宣教対象だったのは、ガリラヤに暮らす底辺の人々でした。
貧農や日雇い労働者、下級役人、娼婦、乞食、病人などです。
上で出てきたヤコブ・ヨハネの兄弟からして、もともとはガリラヤ湖で網を投げる漁師でした。
イエスは、かれら弱者に徹底的に寄り添い、弱者なりの生き方を提示していきます。
イエスの宣教の場
まず、イエスの宣教がどんな状況だったのか、イメージを共有しましょう。
彼はけっして立派な会堂や、都市の広場で教えを説いたわけではありません。
むしろ田舎のみすぼらしい会堂、そして貧しい村々や山の上で、その教えを説きました。
イエスは洗礼者ヨハネのもとを去ると、ガリラヤにもどり、ガリラヤ湖周辺で2年間の宣教をおこないました。
主な拠点だったのはカファルナウム(カペナウム)という町。
イエスの時代もいまも、都市といえるのかどうか微妙なほど中程度の規模の町です。
この時代すでに、セッフォリスとティベリアスという大都市が2つ、ヘロデ=アンティパスによって建設されていましたが、イエスはどちらの都市も避けて通っています。
イエスの宣教対象は弱者、この社会に虐げられている人たちだったからです。
貧しい村々の一角で、小高い丘や山の上で、イエスは名もない人々に説教しました。
イエスが「よきサマリア人の例え」を話したとき、群衆はきっと、「おれもよき隣人になろう」などとは思わず、むしろ祭司の描写にやんやと湧いたでしょう。
祭司ってのはおれら弱い者を助けたりしないんだ、そうだそうだ、と。
またイエスが安息日に病気の女を治したとき、群衆はきっと、驚きつつも、イエスの怒りに同調したでしょう。
会堂司(律法学者)はいちいちおれらの生活に口を出すが、おれらにとっちゃ病気や明日のパンのほうが気がかりなんだ、正義づらして上から決まりを押しつけるな、と。
このように、イエスの話はつねに弱者の生活に寄り添ったものでした。
だからこそ、多くの名もなき民衆がイエスの教えを聞き、イエスに従ったのです。
罪人や取税人といっしょに食事
イエスが弱者に寄り添ったことがよくわかる記述があります。
イエスは弟子たちとともに多くの村々で歓待を受けましたが、以下の場面は、ある村で食事に誘われ、罪人や取税人といっしょに食事をしていたときのことです。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
新約聖書「マルコによる福音書」2.16-17
罪人が何を指すのかわかりませんが、取税人とは税吏のこと、ようするに下級役人です。
「役人なら支配者側だろう」と思うのはまちがい。NHKの集金係を想像してください。
かれらは税を直接とりたてることで民衆からは恨まれ、そして上司からはノルマと賄賂によって搾取されています。
イエスはここで、わたしは弱者側に立つと、はっきり宣言しているのです。
同時にここでは、朱に交わろうとしない律法学者と、すすんで社会の底辺の人々と交わろうとしたイエスが、対比的に描かれています。
そしてここからは、イエスと洗礼者ヨハネとの違いもみてとれます。
洗礼者ヨハネは取税人に対し、「必要以上に取り立てるな」と言って突き放しました。
しかしイエスは取税人と一緒に食事して、おなじ生活・おなじ気持を分かち合おうとしたのです。
これがイエスのスタンスなのでした。
ところで、イエスはどうやって生計を立てていたんでしょうか。
毎日毎日、人の家でごちそうになるわけにもいかないですよね。
おそらく彼は、大工仕事のかたわら、悪魔祓いとして生計を立てていたんだと思います。
悪霊を追い出し、病をいやす
福音書には、イエスが悪霊を追い出したり病気を治したりする場面がたくさん出てきます。
一例を挙げると、こんな感じです。
すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。
新約聖書「マタイによる福音書」9.32-33
イエスの時代、悪魔祓いはそんなにめずらしい職業ではありませんでした。
村々を回っては、悪霊を追い出し、また病をいやす。
治してもらったほうはお礼の施しをする。
こういう光景をたまに見かけました。
イエスもこうしたひとりとして、悪霊を追い出し、病をいやすことで、生計を立てていたんだと思います。
ただ、イエスの力はちょっと常識では考えられないほど、奇跡じみていました。
イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。
すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。
それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。
そこでイエスは、「村にはいってはいけない」と言って、彼を家に帰された。
新約聖書「マルコによる福音書」8.22-26
奇跡を起こす人
福音書の記述によると、イエスは
死んだ少女を生き返らせたり、
5きれのパンと2匹の魚を5000人に分け与えたり、
大荒れの海を「静まれ、黙れ」と言って凪にしたりしています。
現代のわたしたちは合理主義にすっかり慣れてしまっているので、これらの話を聞いてもすぐに「ウソだろう」と否定したくなります。
しかし、1世紀のパレスチナに生きた人々にとってはちがいました。
イエスの業(わざ)と奇跡は、まぎれもない現実であり、そして彼がなんらかの力ある者であることの証拠でした。
イエスに多くの民衆が付き従った理由。
その最大の理由は、イエスの教えそのものよりも、イエスのおこした奇跡の数々だったのです。
イエス自身、これをわかっていたのか、行く先々でことごとく悪魔祓いや治癒、奇跡をおこしています。
けれど、イエスがかれら民衆にしたかったことは、これらの奇跡だけではありません。
イエスはかれら民衆に伝えたいことがありました。
弱い者としての生き方、真に正しい行いについて、そして神の国の到来についてです。
(「真に正しい行い」と「神の国の到来」については、次の記事で詳述します)
弱者としての抵抗を説いた「山上の垂訓」
「山上の垂訓」という有名な説教があります。
新約聖書「ルカによる福音書」6.20
から始まる、イエスの訓話です。
この「山上の垂訓」のなかで、イエスは、弱者としての生き方、弱者なりの支配者への抵抗の仕方を説いている。
ジュウゴにはそう思えてしかたありません。
だいたい、貧しくて幸せなわけがないのです。
清貧なんて思想は金持ちが考えつくことで、生まれながらの貧乏人にとって、日々の苦労も屈辱も、貧しいからこそふりかかるのです。
まぎれもなく、貧乏は不幸です。
イエスはそんな貧しい人々を前にして、「幸いあれ!」と叫ぶことで、この社会は・世界はおかしいぞという痛切な想いを共有することから、話をはじめたかったんじゃないでしょうか。
ところが現実には、弱者はいたるところで打たれ、奪われ、こき使われます。
そんな現実世界で、どのように生きたらいいのか。
イエスはこう言います。
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断るな。
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
新約聖書「マタイによる福音書」5.38-45
「目には目を、歯には歯を」のやり方で抵抗したところで、ムダなだけだ。
主人が右の頬を打ったら、左の頬も向けてやれ。
律法学者が訴えてきて、罰として下着を取ろうとしたら、上着もついでに与えてやれ。
雇い主が1マイル行かせる労働をさせようとしたら、「おれと一緒に2マイル行きましょう」と言ってやれ。
求める者には与えてやれ、借りようとする者を断るな。
敵を愛し、迫害する者のために祈る。
そうすることで、おれたち弱者はおれたちを支配する者と同じ地平に立てるんだ。
そう、平等なんだ。
だって自然は誰にでも、太陽を昇らせ、雨を降らしてくれるじゃないか。
屈折した弱者なりの抵抗。
忍従のなかで強者と平等たろうとする心のありよう。
イエスが伝えたかったのは、こういう弱者の生き方だったと思います。
けっしてキリスト教徒のように、寛容の精神とか、隣人愛とか、そんなものを訴えたかったわけじゃないんですね。
まとめ
以上、イエスの宣教内容・イエス自身の思想を「権力への怒り」と「弱者に寄り添うこと」という2つのテーマに沿って見てきました。
ここまでの要旨をまとめます。
あらゆる支配者層への激しい批判
- ローマの間接支配に対して、「あいつらのマネをするな」と言う。
- ヘロデの息子に対して、「あのきつね」と批判する。
- 神殿祭司階級を、ユダヤ教の本質から外れた支配者として非難する。
- 律法学者を、口先ばかり・見栄ばかりで決まりを押しつける偽善者と糾弾する。
- パリサイ派もまた決まりを押しつける者として批判する。
- ただパリサイ派への批判が福音書に多いのは、福音書の書かれた当時の時代状況のせい。
弱者に寄り添い、弱者なりの生き方を示す
- イエスの教えを聞き、付き従ったのは、社会の底辺に生きる人々。
- イエスもまたすすんでかれらと交わり、かれらに寄り添う姿勢を鮮明にした。
- その結果としてのイエスの行動が、悪魔祓いや病気の治療。
- これに加えて奇跡も行ったことで、イエスの人気が高まった。
- そしてイエスはかれらに、弱者なりの生き様を提示した。
さて、ここまでイエスの教えを見てきましたが、彼の考えを理解するにはこれだけでは不十分です。
イエスが考える「真に正しいこと」とは何なのか?
そしてイエスの思い描く「神の国」とは何なのか?
この2点を理解してはじめて、イエスの言いたかったことがトータルでみえてきます。
ってことで、次回はイエスの宣教内容の後半です。
乞うご期待。
→イエスはどんな人間だったのか⑦ イエスの宣教内容とは(後半)
(その他の記事はこちらから↓)
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