前回のつづきです。
今回は産業革命による生活面での影響を5つ見ていきます。
[この連載の記事一覧]
生活の変化
産業革命によってイギリス人の生活はおおきく変わりました。
そして産業革命がひろまった現代、世界中の人々の生活も以前とはおおきく様変わりしています。
それ以前と以後でどのように変化したのか、具体的に見ていきましょう。
食生活の変化
産業革命以前、農村に暮らすイギリス人の多くは自給自足の生活をしていました。
しかし産業革命によって都市化が進み、人口の多くが都市で暮らすようになると、自給自足はできなくなります。
都会のせまいアパートにはじゅうぶんなキッチンもないし、周囲に農園もありません。
たとえ家族暮らしであっても、パパもママも息子も娘もみんな、朝から働きに出てしまいます。
そこで都会の労働者たちは、短時間でとれる軽食を朝に食べるようになりました。
つまり、砂糖入りの紅茶と、屋台で買うパンやポリッジなどです。ちなみにポリッジとはオートミールのお粥のことです。
とくに砂糖入り紅茶は重宝されました。なぜなら砂糖の糖分によって元気がでるし、紅茶のカフェインが脳と体をシャキッとさせてくれるからです。
こうして、イギリス風の朝食スタイルが生まれたのです。
紅茶に砂糖を入れるという習慣は、最初はジェントルマンなど金持ちの贅沢でしたが、産業革命後は、労働者たちの元気の源として必要だったんですね。
資本家にとっても、労働者にバリバリ働いてもらうために、紅茶と砂糖は大切だったわけです。
それで19世紀のイギリスは、より安い紅茶と砂糖を求めて、東インド会社の独占禁止や奴隷制廃止などの自由主義的政策をとっていくのですが、これについては次の記事でくわしく解説します。
「時間厳守」という考え方が生まれる
工場で機械を動かして働く場合、みんなが同じ時間に出勤している必要があります。
「ジュウゴ君は二日酔いで、午後から来るそうです」なんてことになれば、ジュウゴ担当のレーンが止まって、製品がつくれないですもんね。工場長はカンカンに怒って、ほかの労働者に当たり散らすでしょう。
それで産業革命の進展と同時に、「時間厳守」が美徳とされるようになりました。つまり遅刻は悪徳とされたのです。
農村で家族経営だったら、時間なんてそんなにこまかく守る必要はありません。
自分の都合と天気をみながら「そろそろはじめるか」と動き出せばいいし、日曜にはたいてい飲んだくれるので、翌日は「聖月曜日」と呼んで、多くの人が午後から働いていたんです。
しかし産業革命によって、この「聖月曜日」という習慣もイギリスから消えてなくなりました。
酒を飲むより紅茶を飲むこと、パブに行くよりコーヒーハウスに行くことが「いい生活の見本」ともなりました。
こうして人々は時間にしばられるようになったのです。
これが産業革命による第2のおおきな影響です。
時間給となった
3つめの生活上の影響は、労働の対価が成果ではなく時間で払われるようになったことです。
職人がひとつひとつ手作業で綿織物を織っていた時代は、できあがった綿織物という成果にたいして、お金が支払われていました。
しかし工場で機械をつかって、たくさんの労働者によって、大量で均一の製品ができあがるようになると、こうした成果報酬では払いようがありません。
そこで資本家は、労働者の「働いた時間」にたいして賃金を支払うようになったのです。
つまり時給や日給、月給という給料方式に変わったのでした。
この時間給によって「時間厳守」という考え方はさらに強まり、現代までつづくことになります。
ちなみに、時間を正確に守るには精巧な時計が欠かせません。
なんせガリレオ=ガリレイの振り子時計では、1日で10分の誤差が出ますから。
そこで18世紀のイギリスでは、時計職人による時計の改良がすすみました。
有名どころだと、1734年にジョン=ハリスンが開発した海洋クロノメーターや、1754年にトーマス=マッジが開発したレバー式脱進機などが挙げられます。
前者は船に搭載され、時刻と太陽高度から自船の正確な経度がわかるようになりました。ジャック=アタリによれば、これによってイギリスはフランスとの植民地獲得戦争に勝利することができたとのこと。
また後者は懐中時計に利用されて、外出先でも正確な時間がわかるようになりました。
トーマス=マッジのレバー式脱進機は現在の腕時計にも使われています。
オンとオフが分離する
労働が時間で区切られるようになった結果、賃金労働者の生活はオンとオフに完全に分かれることになりました。
つまり働く時間と余暇の時間が分離したのです。
ちなみにいまでも、自営業や農家の人にとっては完全なオフとかありません。だから正確にいえば、オンとオフが分離するような時間給の賃金労働者がものすごく増えたということです。
この分離によってどうなったかというと、レジャーが発達しました。なぜなら賃金労働者は休日に時間とお金をもてあますからです。
具体的には、景勝地に観光にでかけたり、遊園地や行楽地に行って楽しむようになりました。
またレジャーのための移動手段として鉄道がさらに延線され、都市と景勝地・遊園地をつなぎました。
こうして、休日にお出かけしてレジャーを楽しむという習慣が生まれたのです。
日本の場合もそうですね。たとえば阪急鉄道が宝塚という温泉地に歌劇団と遊園地をつくり、梅田ー宝塚間に線路を引いて客を呼びこんだように。
交通網の発達とラッシュアワー
生活上の変化、最後は交通網の発達と、それにともなうラッシュアワーの発生です。
鉄道は都市→レジャー先という移動も担いましたが、同時に郊外→都市という移動も担いました。つまり通勤です。宝塚という街が梅田に通う人々の住宅街としても発達したことを考えるといいでしょう。
そこで鉄道網はますます発達を遂げました。同時に住環境のわるい都市の中心から離れて、郊外に住宅地が数多くつくられていきました。
こうして鉄道は産業革命以後、モノだけでなく人もたくさん運ぶようになったのです。
また2つめの影響で書きましたが、労働者たちは時間厳守を定められ、働きはじめる時間も終わる時間もみんな一緒です。
こうして通勤時と帰宅時のラッシュが生まれました。
ラッシュアワーというのもまた、産業革命によって生じた影響だったんです。
まとめ
- 自給自足のできない都市の労働者向けに、砂糖入り紅茶などのイギリス風朝食が生み出された。
- 工場労働にとって都合のいいように、時間厳守が美徳とされはじめた。
- 労働の対価は時間給で支払われるようになった。時計の発達もこれをうながした。
- 賃金労働者のオンとオフが分離した結果、レジャーが発達した。
- レジャー・通勤などのため鉄道網がさらに整備され、ラッシュアワーも生まれた。
以上の5つが、産業革命によって生じた生活上の変化・影響です。
次回は産業革命によって「政治・経済」の分野ではどんな変化がおこったのか、みていきます。
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