前回まで、英語教育と英語の受験制度がどう変わるのかをみてきました。
(前回までの記事はこちら↓)
- 英語教育はどう変わるの?文部科学省の発表をまとめてみた
- 英語改革で受験はこう変わる① 入試制度が変更される理由とは
- 英語改革で受験はこう変わる② 4技能の外部テスト一覧
- 英語改革で受験はこう変わる③ 大学入学共通テストとは何か?
ここでどうしても、この問題にふれないわけにはいきません。
そう、「英語って本当に必要なの?」という問題です。
この問題はいろんなところで議論されていますね。
「いまどき英語くらいできなくちゃ」という人もいれば、「日本人にとって英語は必要ない」という人もいます。
それぞれの理由もさまざまです。
必要だという人の意見をまとめると↓こんな感じ。
- グローバル化
- 今後の日本の経済的発展
- 就職やビジネスで不可欠
- 視野が広がる
- 外国人と付き合える
必要ないという人の意見をまとめると↓こんな感じ。
- 英語を使う日本人は1割もいない
- 外国語より母国語の勉強が大事
- 英語で伝えるより何を伝えるかだ
- アメリカの策謀にまどわされるな
- 伝統と文化うんぬん
どれもそのとおりだと思いますが、どれも肝心なところが議論されていません。
そこでこの記事では、「英語って本当に必要なの?」という問題にたいして、わたしなりの考えを書きます。
わたしの結論はタイトルにもあるように、「9割の日本人にとって英語は必要ないけれど、それでも英語の学習は必要だ」というものです。
理由はたったひとつ。英語の学習がわたしたちの生活を豊かにしてくれるからです。
え?なんでそうなんの?そのわけをいまからみていきましょう。
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本題の前に:論点を整理しよう
本題に入る前に、問題をちゃんと整理しておきましょう。
「英語の必要性」について書いてあるものには、たまに論点がごちゃごちゃになったままの主張もあります。
とってもわかりにくいので、ここではとくに3点、はっきりさせておきます。
「英語学習」って子どもだけの話?大人もふくめての話?
これ、ごっちゃにしちゃうと、話がとってもみえにくくなります。
つまり、
- 「これからの未来をになう子どもたちに英語を学習させるべきか?」という議論と、
- 「いますでに大人になっている人がさらに英会話スクールに通ったり資格を取ったりするべきか?」という議論
この2つをごっちゃにしてしまっては、かみあう議論もかみあわなくなります。
そこでこの記事では、「英語学習」という場合、子どもに限った話とします。
まあわたしが「大人はもう英語なんて勉強しなくていい。必要に迫られた人だけあわててやればいい」という考えだからですが。なぜこう考えているかも後述します。
「英語が必要」って、どれくらいのレベルのことを言ってるの?
これも人によってさまざまですよね。
かんたんなあいさつレベルから、哲学談議のできるレベルまで、「英語の必要性」について賛否を主張している人の数だけ、その想定している英語レベルがちがいます。
もう、なまらわやになるべさー。
そこでこの記事では、便宜上、必要な英語力というのを英検準1級程度と想定します。
TOEFLだと80点台くらいです。
これは2020年度からの新学習指導要領で、高校卒業時に生徒が身につけるべき英語力の上限なんです。
CEFRのバンドでは「B2」に当たります。つまり、
これくらいの英語力を、あくまで便宜上ですが、「必要な英語力」として話をすすめていきます。
(CEFRとかよくわからない方は前々回の記事英語改革で受験はこう変わる② 4技能の外部テスト一覧をお読みください)。
英語を「学習する」のか、「学習させる」のか
英語にかぎらず、教育・学習にはかならず2つの側面があります。
1つは学習する側からみた教育、もう1つは学習させる側からみた教育です。
たとえば「わたしには英語教育が必要だ」という場合、学習する側、つまりわたしという個人からみた英語教育です。
いっぽうで「日本には英語教育が必要だ」という場合、学習させる側、つまり日本という国家からみた英語教育です。
「英語って必要なの?」という議論をみていくときには、その人がこの2つの立場の、どちら側に立っているかを見分けることが重要です。
そうじゃないと議論がこんがらがったり、平行線をたどったり、よくわかんなくなったりします。
もちろん2つの立場、どちらからも見ているという主張もありますが、大別すると2つです。
こうした2つの見方があるということをよく理解してください。そのうえで、いよいよ本題に入っていきます。
大半の個人にとって英語は必要ないけど、日本にとって英語学習は必要
わたしの結論を正確にいうと、この見出しのとおりです。つまり、
「日本人は学校で英語を勉強するが、そのうち9割は大人になってから英語を使わない。でも日本にとって、のこり1割をつくりだすために、英語学習はやっぱり必要」ってことです。
もっといえば、「その1割のエリートがもっと英語を使えるようにするために、学校の英語教育をもっと充実させていくことに賛成」です。
だからわたしは、小3からの英語授業導入に賛成です。
小5から「読み」「書き」の学習をはじめることにも賛成です。
中学・高校と「書く」「話す」内容を増やすことにも賛成です。
また覚えるべき単語数が1000語以上増えることにも賛成です。
こんなことをいうと、「おまえが1割のエリートだからだろ」と反論されそうですが、とんでもない。
わたし、英語ちょー苦手です。中1からつまずいてます。
日本語大好き!だってすぐ読めるから!
(ただ大学時代に留学生と付き合ったときには、英語のありがたさを実感しましたね、彼女との会話はほぼ英語でした)。
それでも、日本にとって英語学習が必要だと思うワケは、のこり1割の英語のできるエリートがわたしたちの暮らしをいろんな分野で豊かにしてくれているからです。
そして、これからの未来のエリートがもっと英語ができたら、わたしたちの暮らしはもっとよくなると思うからなんです。
ちょっと長くなったので、つづきは次回に。
コメント
私は今現在必要と感じているのは1割というのは賛成です。
ですが、本当に必要なのは1割ではないと思っています。
なぜなら英語ができない、かつ、いらない人は「井の中の蛙」だからです。
英語ができる世界を知らないのです。Googleで検索しても、英語のサイトをさけて日本語のサイトを見るか、Googleで変な日本語に翻訳したものを読み、分かった気になっているだけなのです。
最先端のものを調べると英語の文章を作者の意図とともに知りたいと感じます。
英語が直接(翻訳機を使わずに)理解できると、翻訳されたものは、本来の80%も伝わっていないと感じます。
映画も声優や歌手が吹き替えたものは、ハリウッドのものより質はかなり低下します。
それで満足しているのので、分かる世界を知らないからしょうがないのです。
仕事で使わなくともこれだけの違いがあるので、英語ができないと損しているだけです。
・節税対策を知らないで還付金もらえない(高額医療費補助など)
・安い店があるのに、わざわざ高い店で全く同じ商品を買う
・同じ金額で質の低いサービスを受ける
のと同じことです。知らなければ損をしていることに気づきません。
あなたの考えは、1割のために英語教育を拡充すべきであるということですよね?
てことは9割にとっては無駄な教育。その1割のためだけに英語教師の養成にかかる費用を出して、そして今以上に教師の負担を増やすという欠点は、1割のエリートを育てるという利点と釣り合わないと思うのですが。
英語教育を中心とした塾や予備校は近年増えてきていますし、わざわざ学校教育で1割のためだけに実施する価値は無いと思います
現時点ではそうかもしれませんが、
今の子供の将来20年30年後は英語の必要性は
今とは比べ物にならないと思います。