『あまちゃん』から考察する田舎① 近所付き合いが消えた理由

日記
北三陸観光協会のロケ地

片田舎からこんにちは、ジュウゴです。

ひさしぶりに『あまちゃん』(2013年NHK朝の連続ドラマ小説)を観返してます。

やっぱ宮藤官九郎ドラマ、最高!

 

んで観つづけているうちに、ふと、2つの疑問が浮かびました。

「田舎の人間も近所付き合いしてないな、そういやうちの両親も最近ぜんぜん…」。

「夏ばっぱは地元を『袖ケ浜』と言うのに、春子とアキは『北三陸』って言うぞ」。

この2つ。なんでだろ?

 

そこでいろいろ調べてみたら、戦後の田舎の激変が見えてきたんです。

「田舎は人口が減った」なんてことだけじゃなくて、もっと根深いやつが。

具体的にわかったこと↓

  • 田舎から近所付き合いが消えた時期は2段階ある。理由もそれぞれ3つずつくらいある。
  • 地元、つまり帰属意識の対象は、戦後に「集落」から「行政区」に広がった。

ちょっと驚きました。

自分の住んでる田舎にこんな変化が起きてたとは。

でもそう考えると、いろいろつじつまが合うことがあります。

祖父と親父と自分とでは、近所付き合いのスタンスが全部ちがうなって。

祖父にとっての地元は「旧町名」だけど、親父や自分にとっての地元は「市」または「山陰」だって。

 

この近所付き合いの消滅と、地元の拡大。

こうした2つの変化はそのまま、「地域コミュニティの消滅」につながります。

つまり、もはや田舎の人間にとっても、「地域」は強い帰属先じゃなくなったんです。

くわえて、バブル崩壊以降は「職場」に対しても帰属意識を持てなくなりました。

だからすべての日本人にとって、いま残されている強い帰属先は「家族」だけなんです。

 

これが現代に生きる人々の不安の元なんじゃないでしょうか。

趣味仲間の希求、SNSの流行、中高生の結婚願望、社会貢献活動に参加する人の増加、ナショナリズムの高まり…。

みんな、誰かとつながりたい、ひとつでもたくさんのものに帰属していたいんじゃないか。

こうした現代日本人の帰属意識についても、予想できるわけです。

 

ってことで、これから4回にわけて、田舎から見る現代日本を『あまちゃん』を通して考察します。

いつ、なぜ、どのようにして、田舎から近所付き合いは消えたのか?

「地元」拡大の原因とは?その結果として地域帰属意識はどうなったのか?

そして現代人はなぜ趣味仲間を求め、SNSを日々チェックするのか?

こうした疑問に答えていきます。

 

 

1回目の今回は近所付き合いの消滅について。

数々のデータをもとに、解き明かします。

…『あまちゃん』の面白さや能年玲奈(のん)の笑顔とはかけ離れた、お堅い内容になりそうです。ただ田舎出身の人、田舎に住んでる人、社会学に関心のある人には、興味深い記事になってるはずです。あ、「『あまちゃん』まだ観てない」って人はネタバレになるから、観てから読んでね!


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いつから、なぜ、近所付き合いは消えたのか

『あまちゃん』では、2008年から物語がスタートします。

東京からやってきた天野春子と天野アキを迎えるのは、北三陸というド田舎の大人たち。

夏ばっぱ(天野夏)はじめ海女クラブの人たちや、北鉄の大吉や観光協会の菅原さん、それにユイちゃんとその家族などです。

かれらはみんな、近所付き合いをしていません。

すくなくとも作中では一度も近所付き合いのシーンが出てこないのです。

これ、2008年時点の田舎の現状を忠実に再現してると思います。

 

近所付き合いの消滅は2段階にわけて

1950年代まで、田舎における近所付き合いは濃厚でした。

互いの家にしょっちゅう出入りしたり、おすそ分けしたり、近所はみな顔見知りだったり。

いわゆる『サザエさん』や『三丁目の夕日』の世界ですね。

 

それが、高度成長期以降、徐々に田舎での近所付き合いが減少します。

そして1997年から2004年にかけて、さらにグッと減少するんです。

それがわかるグラフが、これ↓

厚生労働白書(18)より

 

つまり、田舎における近所付き合いの減少は2段階で考えられるんです。

1段階目:1960~1990年代にかけてのゆるやかな減少。

2段階目:1990~2000年代にかけての急激な減少。

いったいなにが原因なのか?


1段階目の理由:所得・産業形態・人口

まず考えられるのが、各家庭の所得の増加。

高度経済成長によって生活に困らなくなったんで、近所同士助け合わなくても生きていけるようになったんですね。

世帯ごとの経済的自立が進んだってやつ。

 

それから、日本の中心産業が農林漁業から製造業・サービス業へ移ったこと

つまり近所同士で仕事も一緒って状況がなくなったから、しぜんと近所付き合いも減ったと考えられます。

昔は袖ケ浜の女はみんな海女さんやってたけど、いまは有志がそれぞれちがう住所から集まってって感じだしね。

 

そして3つめの理由は、田舎の人口減少

下の表を見てもらうと、1960年代と1990年代以降の2段階で、田舎は人口減少しているのがわかります。

都道府県別の人口推移
(wikipedia「過去の都道府県の人口一覧」を元に作成)
*赤は前期増、青は前期減を表す。

最初の人口減少は、第1次ベビーブームが終わったから。

次の人口減少は、第2次ベビーブームが終わって、第3次がいまだに来ないからと推測できます。

ついでに田舎の人口減少には「都市への人口流出」って要素も常に加わります。

 

人が少なくなると町内会も活気づかないし、わが子が「近所の子と遊ぶ」っていう状況も生まれません。

おのずと近所付き合いも減っていくわけです。

この田舎における人口減少は、1990年代~2000年代の急激な近所付き合い減の理由にもつながります。


2段階目の理由①:コンビニ

1960年代から1990年代前半にかけては、近所付き合いはゆるやかに減っていました。

つまり、以前ほど濃厚な付き合いじゃないけど、それなりに付き合ってた。

それが1990年代後半以降、一気に付き合いがなくなります。

もはや田舎であっても、「隣は何をする人ぞ」って状況。

これだけの急激な変化には、上で挙げた人口減少以外にも、いくつか理由があります。

 

まずコンビニの増加

1990年代から2000年代前半にかけて、コンビニが急速に普及したんです。

コンビニ店舗数の推移
(© HighCharts FreQuentより)

特にローソンはいちはやく田舎にも出店していて、1997年に47都道府県を制覇してます。

1990年以降の制覇までの道のり(初出店の年)をならべるとこんな感じ↓

  • 1992年:山口
  • 1993年:栃木
  • 1995年:山形
  • 1996年:島根、鳥取
  • 1997年:青森、秋田、高知、沖縄

さすが街のホットステーション!

ついでにジュウゴの家族の話をすると、うちの実家は山陰なんですが、1996年にはじめてローソンができたとき母親が「ついに全国区のコンビニが来た!からあげくん!」と騒いで開店初日の朝から並んでました。それまで山陰のコンビニといえばポプラだけだったんです。

 

コンビニがあったら、調味料が切れたって「隣の家から貸してもらう」必要はありません。

ひとり暮らしの老人も、近所の親切な奥さんから昨日の晩飯の残りをいただいて「いつも悪いね」と言う必要がありません。

それで、近所付き合いは一気に減少したんだと思います。


2段階目の理由②:共働きの増加

1990年代後半~2000年代の近所付き合いの消滅、その2番目の理由は、共働き世帯の増加です。

1980年以前は、片働き世帯、つまり夫だけ仕事に出て妻は家にいるという家庭が大多数でした。

それが1980年以降、徐々に両者の数が近づき、1997年にはついに共働き世帯が片働き世帯を逆転したんです。

共働き世帯・片働き世帯の推移
(国土交通白書2013より)

 

近所付き合いって、たいてい主婦が中心です。

その主婦が昼間、家にいなかったら、近所付き合いが激減するのも道理ってわけです。

 

加えて言うなら、核家族化が進行したことも近所付き合い減少の要因でしょう。

たとえ共働き世帯でも、おじいちゃん・おばあちゃんが家にいたら近所同士の交流もありそうですが、核家族の場合は「昼間の家は無人」になるからです。


2段階目の理由③:あいついだ児童殺傷事件

近所付き合い消滅の最後の理由は、あいついだ児童殺傷事件です。

 

1997年、酒鬼薔薇聖斗事件。

当時14歳の少年が複数の小学生を襲い、2名死亡、3名重軽傷。

切断された被害者の頭部が「声明文」とともに校門に置かれた。

 

2001年、付属池田小事件。

男が小学校に侵入して児童を襲い、8名死亡、15名重軽傷。

犯人は宅間守(当時37歳)、凶器は出刃包丁だった。

 

この2つの事件は連日ニュースで大々的に取り上げられました。

そしてこれらの事件後、とくに付属池田小事件の後、子どもの安全対策を重視する風潮が強まりました。

学校警備の強化、防犯ブザーの普及、「知らない人と話さない」教えなどです。

もともと近所付き合いが減っていたなかで、こうした風潮により、「地域の他人同士が仲良くする」という状況は完全に消滅したのです。

 

こうして、日本の田舎の近所付き合いは無くなりました。

『あまちゃん』を見返しても、高校生のアキに声をかけるのは顔見知りの大人だけだもんね。

顔見知りじゃなかったら、副駅長や勉さんなんて、ただの不審者だもんね。

吉田副駅長と、琥珀掘りの勉さん

 

 

まとめ

○田舎の近所付き合いが減少した時期は2つ。

  1. 1960~1990年代のゆるやかな減少
  2. 1990~2000年代の急激な減少

 

○1段階目の、ゆるやかな減少の理由は主に3つ。

  • 高度経済成長による所得の増加によって、世帯ごとの経済的自立が進んだ
  • 産業形態の変化によって、近所同士での共同作業がなくなった
  • 第1次ベビーブームの終了と、都市への流出による、人口減少

 

○2段階目の、急激な減少の理由も主に3つ +α。

  • コンビニの普及によって、近隣での相互扶助が必要なくなった
  • 共働き世帯の増加と、核家族化によって、昼間は無人の家が多くなった
  • あいついだ児童殺傷事件によって、地域の他人は警戒すべき対象となった
  • +第2次ベビーブームの終了と、都市への流出による、人口減少

 

さて、つづいては戦後日本の「地元」が拡大したことを見ていきます。

つまり、帰属対象である地域が「集落」から「行政区」に広がった、その時期と理由を考察します。

なぜ夏ばっぱは地元を「袖ケ浜」というのに、春子とアキは「北三陸」というようになったのか?

そこには「昭和の大合併」や、大吉の嫌う「モータリゼーション」が関係していました。

『あまちゃん』から考察する田舎② 地元は「集落」から「市」へ

コメント

  1. イチ より:

    大変興味深い考察を見せていただきありがとうございます。
    私は現在社会福祉士を目指し大学で勉強しております。講義の中で地域福祉の推進の話が頻繁に出て来ますが、私はそれを聞く度今の地域の現状では、地域福祉の推進何てものは無理なんじゃないか、と地域福祉の限界を感じずにはいられませんでした。
    なので、帰属意識で地域を見ると言う新しい切り口に私はとても感じ入ってしまいました。
    自分でも調べてみたいと思っておりますが、地域と帰属意識について書かれている書物をご存じでしたら教えて頂きたく存じます。
    また、この類いの論文を書くときには、論説の引用をさせて頂きたいのですが、許可頂けますでしょうか?

    • じゅうご より:

      イチ様
      コメントありがとうございます。
      地域福祉という観点からお読みいただいたこと、ジュウゴにとっても新鮮でした。
      この連載は先行研究なしにジュウゴの妄想?で書いた記事なので、「地域と帰属意識について書かれている書物」は思いつきません、ごめんなさい。
      近いものだと、国土交通政策研究所の平成5年の報告書は、当時参考にしました↓
      https://www.mlit.go.jp/pri/houkoku/gaiyou/H05_5.html

      引用はご自由にどうぞ。
      社会福祉士というお仕事についてジュウゴはまったくわかりませんが、弱肉強食の資本主義の現代で弱者をどう救うかという問題は21世紀の重要テーマだと思います。勉強がんばってください。

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