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自己紹介に代えて2:司馬作品はウソでもおもしろい

投稿日:2017年4月13日 更新日:

こんにちは、重悟(じゅうご)です。

前回(自己紹介に代えて:『坂の上の雲』とわたし)につづいて、わたしが思春期にハマった司馬遼太郎の作品について書いていきます。


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司馬作品はフィクションです

あたりまえなんですが、司馬遼太郎は作家であり、歴史家ではありません。

作家にとっていちばん大切なのは作品をおもしろくすることで、事実に忠実であることは二の次。

よって、司馬作品にはけっこうウソが含まれています

いや、歴史のなにが本当でなにがウソかなんてわかるわけはないんですが、すくなくとも「これは史料にない」「これは当事者が実際に見聞きしたこととちがう」って部分がけっこうあります。

ようするに司馬作品は歴史「小説」であり、フィクションなんです。

 

思春期のわたしには、それがわからなかったんですね。

司馬作品に書いてあることはぜんぶ本当で、司馬さんはそれはもうたくさんの史料を調べて事実どおりに書いている、だから教科書よりも司馬作品のほうが本物の歴史だ、くらいに思っていました。

わたしと同じように思っていた人もけっこういるんじゃないでしょうか。

 

たとえば『坂の上の雲』のなかで、児玉源太郎という陸軍の総参謀長が出てきます。

本のなかでは優秀な作戦家として描かれていて、日本陸軍の作戦をすべて考え、南下してくるロシア陸軍と互角以上に戦います。

また旅順(りょじゅん)という要塞を攻略中の第3軍のもとにひょいと出向いて、児玉がひそかに作戦を指揮したことで、あれだけ苦戦していた旅順がすぐに陥落したみたいに書かれます。

でも、じっさいに児玉が第3軍を指揮したという記録はどこにもないんですね。

だから旅順要塞が落ちたのは、児玉の介入によるものか、それとも第3軍の功績なのか、わからないんです。

それを司馬遼太郎は、かぎられた二次史料をもとにイメージをふくらませて、児玉の功績のように書いたのです。

 

フィクションをあたかもノンフィクションのように書くのがバツグンに上手いんですね、司馬遼太郎という作家は。おかげでわたしもずっとだまされていました。

こんな例は、司馬作品のいたるところにあります。

 

ウソをウソと思わせない司馬作品のすごさ

平服姿の児玉源太郎

春や昔~「坂の上の雲」ファンサイト~ より

(サイト管理者様のご厚意により、写真をお借りしました。『坂の上の雲』の登場人物たちがたくさんの写真付きで載っています。『坂の上の雲』ファンにはもうよだれもののサイトですのでぜひ訪れてみてください)

わたしのように司馬遼太郎作品の内容を「真実」だと思いこむひとが多いせいか、最近は書籍でもネットでも、司馬作品のウソをあばくような記事をたくさん目にします。なかには「ウソを書いた」という一事でもって、司馬遼太郎という作家を否定するような記述もあります。

でも考えてみたら、一作家の本の内容を「ウソだよ」と声高にさけばなければいけない状況って、すごいことですよね。

だって、作家ってフィクションを書くものじゃないですか。

それなのに「あの作家が書いていることはフィクションだ」という主張があること自体、それだけ司馬作品の影響力が大きかった、いまでも大きいことを表していると思います。

 

ウソをウソと思わせない。これって、作家にとっては最高のほめことばです。

だからいまでもわたしは、司馬遼太郎は偉大な作家だったと感じています。

思春期のわたしをここちよくだましてくれてありがとう、おかげで歴史が好きになりましたと心から言えます。

 

以下の、児玉源太郎が第3軍司令官である乃木希典(まれすけ)から指揮権をゆずりうけるシーンなんて、まるでその場にいたかのような描写です。

 

「そこで、わしは乃木の友人として」
と、児玉は、友人という非組織的な言葉をつかった。
「乃木の友人として伊地知に腹蔵のない意見をのべたいと思う」
乃木は、うなずいた。
「しかし」
と、児玉はいった。
「わしが意見をのべて、そのなりゆきの次第によっては、伊地知も意地になり、激昂するかもわからない。それはこまる。伊地知が意地になってわしの意見を用いなければ、わしはなんのために旅順にきたかわからない」
乃木はさらにうなずき、
(そのとおりだ)
と、素直におもった。乃木にすれば、児玉が単に乃木の友人という資格で意見をのべるだけでは、伊地知参謀長としては、それを聞く必要はないのである。伊地知は乃木が直属上官であり、児玉からの指図をうける筋はない。
「そこで」
と、児玉はいった。
「おぬしのその第三軍司令官たる指導権をわしに、一時借用させてくれぬか」
みごとな言い方であった。言われている乃木自身でさえ、この問題の重要さにすこしも気がついていなかった。乃木はその性格からして、おそらく生涯このことの重大さに気づかなかったであろう。
(司馬遼太郎『坂の上の雲』5巻86‐87ページ)

ウソをウソと思わせない描写力。それが司馬作品のすごさのひとつですね。

歴史をどうとらえるかは思想の表明なので・・・

ここまで2回にわたって、司馬作品にたいするわたしの考えを書いてきました。

最後に「司馬史観」、つまり司馬遼太郎の歴史のとらえ方にたいして、いまのわたし自身の考えを書こうと思っていましたがやめておきます。

長くなるし、なによりとってもデリケートな問題だからです。

自分の歴史認識を表明するとすぐに「左」や「右」というカテゴリでくくられちゃいますからね。左右だけじゃなくて「下」とかあればいいのに。

気がむけばそのうち書きます。

 

代わりに、これからいろんな歴史上の人物や出来事を書いていきたいと思っています。

わたしはヨーロッパの歴史専攻でしたので、とくにヨーロッパの偉人たちや、科学の歴史についても書く予定です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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自己紹介に代えて:『坂の上の雲』とわたし







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