こんにちは、重悟(ジュウゴ)です。
これから歴史と科学と教育を中心に、おもしろくてタメになる記事をアップしていきます。
はじめの投稿は自己紹介に代えて、司馬遼太郎の作品を紹介します。
なぜなら、司馬作品がわたしの思春期のほぼすべてだから。
中1から読みはじめて、中学・高校とそれはもうどっぷりハマりました、はい。
いまは熱も冷めていますが、わたしの人間形成において司馬作品が与えた影響はものすごく大きいんです。
だからタイトルにもある『坂の上の雲』の内容を書くまえに、すこしだけわたしの中学・高校時分の「司馬中毒」話をきいてください。
司馬作品は麻薬よりひどい
わたしが司馬遼太郎の本に出合ったのは、祖父のすすめがきっかけでした。
はじめはオーソドックスに『竜馬がゆく』。
どはまりしましたね。
竜馬になら抱かれてもいいと思いましたね。
「竜馬ぁー!」と心で叫びながら毎日読んでいました。
あ、ジュウゴは男です、念のため。
そこから『燃えよ剣』や『項羽と劉邦』や短編を読みあさり、中2で『坂の上の雲』に出合ってわたしの司馬作品中毒が決定的になります。
高校になると部活のせいで読むペースは落ちましたが、だいだいの作品は読んでしまいました。
大学で歴史を専攻しようと思ったのも、司馬作品の影響です。
中学・高校のころの自分を一言でいうなら「司馬遼太郎信者」。
人生において大切なことはぜんぶ司馬作品に書いてあると思っていましたし、歴史の見方も「司馬史観」そのものでした。
戦前の昭和は軍部が暴走した暗黒の時代で、幕末や明治こそいい時代だったと本気で信じていました。
いまおもえば、なんか、宗教にも似たハマりようです。
麻薬よりもひどい、そんな中毒性が、司馬遼太郎の作品にはあるんですよ。
とくに思春期の多感で純粋な中坊(自分で言っといてはずかしい)が読んでしまうと。
わたしが「司馬中毒」から抜け出したのは、大学に入ってからでした。
司馬作品以外のいろんな本と出合い、いろんな経験をし、そして大学でアカデミックな歴史手法を学んだことが原因です。
尊敬する教授から「司馬作品は歴史ではない」と言われたこともきっかけでした。そのことばを聞いたときにはショックでしたけれど。
いまでは司馬作品について、ひとつの創作物として冷静に振り返ることができます。
そこで司馬遼太郎の代表作である『坂の上の雲』について、その内容と感想を述べてみたいと思います。
胸アツ必死!『坂の上の雲』は明治日本の男達のドラマ
『坂の上の雲』は明治の日本を舞台にした歴史小説です。
明治のはじめから日露戦争までを描いています。
主人公はいちおう秋山好古(よしふる)、秋山真之(さねゆき)、正岡子規の3人ですが、ほかにもいろんな人たちが登場します。
ちなみに好古と真之は兄弟で、おにいさんの好古は陸軍の騎兵旅団長、おとうとの真之は海軍の参謀を日露戦争において務めました。
小説のテーマをものすごくかんたんにいうと、「明治の日本人たちはすばらしかった」。
このテーマが文庫本8冊という長大な物語のなかで、くりかえし語られます。
もちろん、みんながみんなすばらしいわけではないし、なかには「無能」と作者に評価された人も出てきます(乃木希典とか伊地知幸介とか)。
ただ全体的には、近代国家となって間もない日本が大国ロシアに戦争で勝つために、私心をすてて国のために働いた男たちの活躍が生き生きと描かれています。
『坂の上の雲』の魅力はなんといっても、この男たちの生き様です。
わたしがいちばん好きな話は、西郷従道(つぐみち)にかんするエピソード。
この従道は西郷隆盛の実弟です。
日露戦争のせまりつつあるときに海軍大臣をつとめました。
明治の日本海軍を整備したのは山本権兵衛という人ですが、西郷従道はこの権兵衛を上司としてつねに支え、権兵衛の思うように腕をふるわせた度量の広い人物として描かれています。
以下の引用は、主力艦を買うお金がなくて困りはてた山本権兵衛が、西郷従道に相談をした場面です。
中2のわたしはここを読んで、感激のあまり涙と鼻水でまくらをぬらしまくりました。
権兵衛は、万策尽きた。西郷になにか智恵はないものかと訪ねると、西郷は事情をききおわってから、
「それは山本サン、買わねばいけません。だから、予算を流用するのです。むろん、違憲です。しかしもし議会に追及されて許してくれなんだら、ああたと私とふたり二重橋の前まで出かけて行って腹を切りましょう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です」
三笠は、この西郷の決断でできた。
西郷と権兵衛とは、海軍建設においてはそういう関係だった。
(司馬遼太郎『坂の上の雲』3巻61ページ)
ちなみに戦艦の三笠(みかさ)は日露戦争で旗艦として活躍しました。
日本海海戦では東郷平八郎がのりこみ、あの「東郷ターン」を先頭にたっておこなった艦としても有名です。
三笠は当時としては世界でも最新鋭の戦艦で、建造をうけおったイギリスのヴィッカース社の職人たちは、自国の戦艦よりも優秀なふねを極東の小国にすぎない日本のためにつくりあげました。「あの小国がこれだけのお金を出して国を守ろうとしている」と、意気に感じたのかもしれません。
おもいのほか長くなったので、次回につづきます。
次回は、司馬遼太郎作品のウソについて。
→自己紹介に代えて2:司馬作品はウソでもおもしろい
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