フェミニズムという現代思想を外側からながめるこの連載。
前回は人間社会が男性上位である理由を考察しました。
今回はフェミニズムがなぜ・どのようにして生まれたのか、その理由と過程をみていきます。
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先に結論をいえば、フェミニズム誕生の理由は「自活する女性が増えたこと」です。
そして自活する女性が多くなったのはなぜかといえば、いちばんの背景は産業革命(工業化)です。
産業革命の結果、単独で稼ぐ女性が多くなり、なかには自分の稼ぎだけで豊かな生活を送れる人も増え、彼女たちがもっと利益をと訴えた。こうしてフェミニズムが生まれたんですね。
以下では、歴史のなかで女性がどのように自活していったのか、その結果フェミニズムがどのようにして生まれてきたのか、その過程を概観します。
年代的には16世紀から19世紀にかけて。
つまり世界的に国際商業が活発になった時代から、フランス革命を経て、イギリス・フランス・アメリカで工業化が進展した時代までとなります。
産業革命前:稼ぐ女性が出てくる
じつは産業革命前にも、自活する女性はちょっといました。
そういう女性が出てきた背景を、まずはみてみましょう。
商品経済の発達
農耕牧畜の初期からすでに人類は、世界各地で物々交換をおこなってきました。
貨幣が広まると、こうした交換はさらに活発になって、広域経済圏が生まれました。
自給自足じゃないこういう経済を「商品経済」といいます。
古代ローマ帝国とか、中近東とか、インドとか、中国とかでそれぞれ発達した経済のことですね。
16世紀になると、アジア全域がひとつの商品経済圏となります。
これはモンゴル帝国によってアジアがひとつになり、そのあと各地域の帝国が長期安定したためです。
こうしてアジアは経済がぐんと活発化し、その富を求めてヨーロッパも進出してきます(大航海時代)。
[詳しくは以下の記事]
こうなるとどうなるか?
世界各地で、農耕・牧畜じゃない仕事に従事する人が増えたんです。
つまり商工業・サービス業に携わる人の割合が全体の2~3割ていどにまで増加しました。
機織りや接客なら、力仕事じゃないので、女でもできます。
こうして、16世紀以降、夫や父親とは別の仕事につく女性がちょっと増えました。
教育熱が高まる
ただ、誰でもできる仕事なら給料も安いので、自活していけません。
商工業・サービス業で身を立てるには、男女を問わず、専門的知識が必要となります。つまり読み書き計算などの能力です。
そこで、庶民のあいだで教育熱が高まっていきました。
日本の場合でいうと、江戸時代になって社会が安定し、かつ農村にまで商品経済が浸透してきた1700年代後半から、寺子屋が増えていきました。
日本の寺子屋が男女共学だった一方で、ヨーロッパでは女子の初等教育はほとんど行われませんでした。
それでも、「商品経済の浸透」という点ではヨーロッパも同じだったので、パパが娘に勉強を教えたりして、教育をうける女性もすこしずつ増えていきました。
こうして、なかには本を書けるほど教養のある女性も出てきたのです。
後述するメアリ・ウルストンクラフトなどもそのひとりです。
出版もさかんになる
また、商品経済が浸透し、商工業・サービス業に携わる人の割合が上がると、都市の人口が増えました。
商人は人・モノ・カネ・情報の集まるところに住むからです。
「都市化」という現象は産業革命によって本格化しますが、じつは商品経済の発達によっても起こっていたんです。
関係ないけど、この表をみていちばんショックだったのは「イスファハーンは世界の半分」じゃなかったコト。大阪にも負けてるやん…。
このころ(1700年代)、ヨーロッパでは出版文化が盛んになりました。
これはすでにルネサンス期に活版印刷が改良され、製紙法も中国から伝わっていたから。そして都市の人口が増えたので、雑誌や新聞が商売として成り立つようになったからです。
都市の人々は『ロビンソン・クルーソー』や『ガリヴァー旅行記』の連載に夢中になったり、新聞を読んで政治談議をたたかわせたりしました。
小説家という職業と、世論の誕生です。
こうして、教育と才能のある女性であれば文筆家として自活し、しかも世論に訴えることができる、そんな背景も18世紀ヨーロッパに生まれたのでした。
都市に暮らす豊かな市民
このようにして、1700年代のヨーロッパに、文筆家として都市で自活する女性が出てきたのです。
とくにこの時代はイギリスとフランスが2代強国だったので、ロンドンとパリにそういう女性が出現しました。
- メアリ・ウルストンクラフト
- オランプ・ド・グージュ
草創期のフェミニストと呼ばれるこの2人はいずれも、文筆業で生計を立てた独身女性です。
他にもテロワーニュ・ド・メリクールやエッタ・パルム・デルデール、またイギリスの「ブルーストッキング」サークルのメンバーなど、財産があり教養もある女性が一定数現れたのでした。
彼女たちは都市に暮らす豊かな市民として、おなじ階層の男たちと多く交わりました。
商品経済の発達は豊かな平民(=中流階級、中産層、ブルジョワジー)の数を増やしてもいたのです。
そこで彼女たちは気づきます。
「彼らとわたしは同じレベルのエリートのはず。それなのに、なんで彼らだけ恵まれてるの!?」
この不満と怒りと嫉妬が、フランス革命をきっかけとして噴出する。
これがフェミニズム思想のはじまりです。
フランス革命期の「草創期フェミニスト」
「17世紀の危機」以来100年以上おおきな動乱のなかったフランスにおいて、1789年からはじまったフランス革命は久々の社会的混乱でした。
この混乱に乗じて、みずからの主張を訴える女性が現れます。
以下ではウルストンクラフトとグージュの2人に焦点をしぼって、彼女たちの主張をみてみましょう。
メアリ・ウルストンクラフト
メアリ・ウルストンクラフトは1759年生まれのイギリス人で、文筆家です。
幼少期に近所の老牧師から教育を受け、19歳になると専制君主的な父親から逃げるように家を出、自活を開始。コンパニオン、家庭教師、学校運営などを経て、1787年から文筆業に入りました。この間、夫のDVから逃げてきた妹を匿ったりもしています。
フランス革命がはじまると、革命を擁護する記事を発表。そして1792年には『女性の権利の擁護』を発表して注目を得ます。
ウルストンクラフトが主張した女性の利益は主に3つ。
- 選挙権や被選挙権などの政治的権利
- 労働による経済的自立
- 男性と平等な教育を受ける権利
また彼女は、ミルトンの『失楽園』やルソーの『エミール』にみられる「男にとって理想の女性像」を、その著書のなかで批判しました。
オランプ・ド・グージュ
オランプ・ド・グージュは1748年生まれのフランス人です。
肉屋の娘に生まれ、料理人と結婚しましたが、夫に先立たれると、ひとり息子をおいてパリに出ました。もちまえの上昇志向と美貌でまたたくまに高級娼婦として名を上げ、フランス革命前には8万リーブルもの財をなしました。ちなみに「オランプ・ド・グージュ」は偽名、年齢も7歳サバを読み、出自も貴族の落とし子であると主張していました。
娼婦業に限界を感じたグージュは文筆業を開始、雑多な文章をたくさん書いていたところに、フランス革命がはじまります。
1791年、「人間と市民の権利の宣言(人権宣言)」の形をマネして、「女性と女性市民の権利の宣言」を発表。
- 女性の投票権
- 高位高官に女性が就く権利
- 租税負担の男女平等
- 母親による父子関係の申告は合法である
- 財産の夫婦共有
などを訴えました。
賛同する女性は少なかった
つまり彼女たちは、
- 生産力で男と同等になったので
- 政治にも参加させろ
- 家庭でも対等にさせろ
- 女らしさを強制するな
- 女の本来の姿はもっとすばらしい
と主張したわけです。現代のフェミニズムにつうじる要素がすでに出そろっていることに気づくでしょう。
しかしながら、彼女たちに賛同する人は多くありませんでした。
男性はおろか、女性でさえ非難と軽蔑をあらわにしました。
フランス革命時の内務大臣の妻で、当時もっとも政治力のある女性だったマノン・ロランはこう言っています。
(男性に向かって)「私たちは、心による支配のみを、あなた方の心の中における王座のみを望んでいるのです」。
これは、ウルストンクラフトやグージュと同じ境遇である女性が圧倒的少数だったからです。
つまり「都市に暮らす自活した独身女性」なんて、ほとんどいなかったのです。
たとえば1801年時点で、イギリスの人口割合は「都市27.5%、農村72.5%」でした(國方敬司「イギリス農業革命研究の陥穽」より)。またこの当時、フランス女性の5分の4が文盲でした。
仮に都市に住んで読み書きもできる女性が全体の10%いたとして、そのうち結婚せず自活していた女性はさらに少数でしょう。そんなマイノリティの主張が受け入れられるほど、当時の社会は甘くありませんでした。
中世の文筆家クリスティーヌ・ド・ピザンの場合と同じく、こうした女権運動は「少数派のたわごと」として歴史から姿を消すはずだったのです。
しかしそこに、産業革命の波がやってきます。
産業革命期:稼ぐ女性が増える
産業革命の全体像については別記事ですでに解説済みなので、ここではフェミニズムに関する事柄だけを取り上げます。
女性にとって重要だったのは、「人口増加」と「工業化」によって「都市化」が進み、結果として単独の収入源をもつ女性が増えたこと。これがフェミニズムを誕生させる直接の契機となりました。
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家事使用人として
まず女性たちは家事使用人(サーヴァント)、つまりメイドとして単独の収入を得はじめました。
これはとくにイギリスにおいて顕著でした。
産業革命前にも家事使用人という仕事はメジャーでしたが、産業革命によってその絶対数が増えたことが下の表からもわかります。
なぜ、家事使用人という仕事に就く女性が増えたのか?
- 農村人口が過剰になったので手ごろな働き先として
- 都市に暮らす中産階級の共働きの妻は家事をする時間がないから
という、供給と需要の2つが理由です。
加えていえば、家事使用人は家の主人に従う代わりに、衣食住と教育の面倒をみてもらえるというメリットがありました。
10代で生まれ故郷から追い出され、都会にひとり飛びこんだ少女にとって、これは大きかったんです。
とくに読み書きを教えてもらえるということは、教育制度が整備されていなかったこの時代、工業化社会で身を立てるための将来の準備にもなりました。
工場労働者として
家事使用人の増加と同時に、工場ではたらく女性も増えました。
以下の表は1841年から1921年にかけてのイギリスの業種別人口割合です。
下段が女性人口ですが、みてわかるとおり、繊維業では1841年段階ですでに30万人以上、ほかの業種でも徐々に就業人数が増えているのがわかります。
こうして産業革命によって、単独の収入源をもつ女性が何百万人と出てきたのです。
このうち何割かが「教養があり自活する独身女性」となることは、先にみてきました。
そして母体が増えれば当然、そうした特殊な女性も数が増えることになります。
教師・家庭教師・文筆家として
1851年のイギリスの国勢調査からは、女性の職業別人口がより詳しくわかります。
学校教師や家庭教師(ガヴァネス)といった専門職に就く女性が一定数いたことがわかります。(ちなみにこの当時の看護婦は家事使用人と同程度の扱い)。
また同年の調査で、25歳以上の独身女性が約180万人、全体の8.9%いたそうです。
つまり「教養があり自活する独身女性」の絶対数が、フランス革命期よりも増えたのです。
こうした女性たちがフェミニズム運動を起こしていきます。
- ジョルジュ・サンド(フランス)文筆家
- フローラ・トリスタン(フランス)文筆家
- ジョセフィン・バトラー(イギリス)夫の収入
- エリザベス・ケイディ・スタントン(アメリカ)夫の収入
- スーザン・ブローネル・アンソニー(アメリカ)教師
- ルクリーシア・モット(アメリカ)教師
- ルイーザ・メイ・オルコット(アメリカ)教師、若草物語の著者……
ここに挙げた初期フェミニストたちは、バトラーとスタントン以外、独身を通したり、離婚して自立した女性たちです。
だからフェミニズム思想とは、男の庇護下に入らない自活女性たちが男性上位社会とじかに接することで「不平等だ!」と声をあげたもの。
そしてフェミニズムが運動になったのは、そういう女性が産業革命によって一定数以上まで増えたからなのです。
まとめ
- 16世紀以降、商品経済の発達によって、単独の収入源をもつ女性がちょっと増える。
- なかには教育を受け、出版業にたずさわる女性も出てくる。
- 彼女たちは都市の豊かな市民として同レベルの男たちと交わる。そこで男女の格差に気づく。
- 1789年からのフランス革命をきっかけに、そういう女性たちが声をあげる(ウスルトンクラフトやグージュなど)。しかし少数派すぎて失敗。
- そこに産業革命の波がやってくる。家事使用人や工場労働者として、単独で稼ぐ女性が激増。
- 母体が増えたので、「教養があり自活する独身女性」も一定数になる。
- よってフェミニズムが「たわごと」でなく「運動」になる。
以上がフェミニズム誕生の理由と経緯でした。
次回はフェミニズムという思想・運動がどのように展開したのか、19世紀半ばから21世紀の現代までを一気にみていきます。
1回目の記事でも書いたとおり、第一波フェミニズム・第二波フェミニズムという区切りはふさわしくないと考えているので、一記事で済ませる予定です。
以下、余談ながら……。
現代日本でも、3分の1の女性は専業主婦になることを望んでいるそうです。
これは「妻に専業主婦になってほしい」男性の割合より高いみたい(5分の1)。
なぜか?日本がいまだ男性上位社会だから?
ちがいますね。ラクしたいからですね。
フェミニズムはここんところを見落としています。
つまりフェミニズムとは主体的に生きたいと望む女性によって生み出された思想・運動ですが、大半の女性はそうじゃないんです。「ひとりで主体的に生きていきたい」と「愛する男に身も心も委ねたい」の間をたえず揺らいでいるのが女性ではないでしょうか。
だから大半の女性は、フェミニズムと距離を置こうとします。だって男性上位社会を攻撃して破壊すれば、それはそのまま、男を裏から支配することの放棄につながるからです。数千年つづけてきた「表面上は支配されるラクな立場」を捨てて、男と対等に資本主義社会で勝負していく、それ、正直しんどいからです。
ぶっちゃけると、わたしもフェミニズムは好きじゃありません。フェミニズムにかぎらず、「こうあるべき」と主張するあらゆる思想が嫌いです。「べき」論でみる歴史ほどつまらないものはないからです。
しかし、男も女も好む好まざるにかかわらず、長期的には、フェミニズムは人類にとって必要な思想だったとも考えています。人間という生物にとって、というほうが正確です。だからフェミニズムの連載を書きはじめたんですが、このことについては5回目以降の記事でくわしく解説していきます。
[次の記事]
→男と女の歴史③ フェミニズムの歴史を一気に概観する
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コメント
資本主義のお金持ちに都合のいいように、フェニミズムが利用されているという御意見。家族解体がフェミニズムの目的。 そう思いたい人の気持ちもわかりますが、家や家族の形態が国家の要求を満たすものになっています。ひとりひとり、男であれ女であれ、ひとりの人間として、幸せな人生とは何か、それを考えさせないように、とにかく結婚して、子供を作ってということになっているのは、国がそうなってほしいからなのですよ。資本家やお金持ちとか、は関係ない話です。男に従属する女性の幸福など、ありません。男性は女性に従属したいですか?フェミニズムとは人間の人権の問題です。国家や社会の男性の優位は続いてきました。一旦手に入れた男性の既得権益を手放したくない。もし既得権益がなくなれば、それこそ女性と対等にかかわらねばならなくなる。それを恐れているのが今まで既得権益を享受していた人たちでしよう。
突然すみません。
女性が男性に服従する事で、裏で男性を支配していた、という論拠が全く提示されていないように思います。