2019年中に書きたいものを以下6つほど。覚書用として。
具体的なアップの時期はわかりません。
歴史:フェミニズムの歴史的役割
辻邦生の『背教者ユリアヌス』を読んで、なぜかキリスト教徒がフェミニストと重なったことが調べだしたきっかけ。
排他的で、偏狭で、向こう見ずで、保身が狡猾。
そんなイメージをフェミニズムにたいして抱いていた自分に気づく。
んで調べだして偏見を正されると同時に、そのイメージが1970年代のウーマン・リブから来ていることも知る。
そこからさらにフェミニズムの歴史的役割について、いま考察中。
個人的には産業革命後の工業化社会の産物であり、人類の人口爆発にたいする淘汰圧であると考えているが、さて。
フェミニズムという、運動をともなった思想を、歴史的に概観して位置づける、そんな連載にしてみたい。
メアリ・ウルストンクラフトとか、市川房枝とか、いろいろおもしろい人物も出てくる。
ボーヴォワールはサルトルの恋人らしい。
まずは彼女たちの著作を読んでから。
注意すべきは、フェミニズムについて書くときにフェミニズムの土俵で書かないこと。
つまり「個人的なことは政治的なこと」「一個人の感情もまたジェンダー論たりうる」といった思想を、外から眺めること。
自分は男だからか、はたまた歴史学をかじったからか、こういう考えにはつい反発して思考停止がちになる。
そうではなく、すなおな驚きをもって、なぜこういう考え方・観点が出てきたのかという視点でいること。
フェミニストの、そしてフェミニズム嫌いの「べき」論につきあわない。
5月中に書き始められたらいいな。
歴史:人間ムハンマド
井筒俊彦の本を読んで以来、イスラーム教についてずっと考えつづけている。
その一環で、三大宗教のまとめを書いたし、アジアの歴史も書いた。
イスラーム教とは何か?
これはおおよそ掴めた気がした。
イスラーム教はどう広まったのか?
これもだいたいわかった気がした。
では、イスラーム教をはじめたムハンマドとは何者だったのか?
これがまだ全然わかってない。
ムハンマドが生まれた頃の、アラブ世界の情勢。
ジャーヒリーヤ、ベドウィンたちの精神。
幼いころの不遇が、彼の人格形成にどう影響したのか。
妻ハディージャの献身。ハディージャはムハンマドのどこに惚れたのか。
商人としてどれほど成功していたのか。
なぜ40歳前後から岩山で瞑想にふけるようになったのか。
「読誦せよ!」の超自然的体験。
既存宗教の改革から、やがて彼がイスラームという新宗教の設立へ舵を切っていったわけ。
ムハンマドの戦上手、臆病さと大胆さ、一夫多妻…。
こうした事柄を、ムハンマドの生涯に沿って描いてみたい。
ちょうど人間イエスの連載で描いたように。
少なくともあと2冊はそういう本を新たに読んでからだから、夏以降のアップになるかな。
- カレン・アームストロング『ムハンマド-世界を変えた預言者の生涯-』
- イブン・イスハーク、イブン・ヒシャーム『預言者ムハンマド伝』
- あと、「ハディース」もちゃんと読まなきゃ
歴史:近現代のロシアの歴史
TEAM NACS第16回公演「PARAMUSHIR」をwowowで観たのがきっかけ。
いやー、森崎リーダー偉大!
そしてヤスケンの怪演は圧倒的!
自分も「PARAMUSHIR」をなんと読むのか知らず、そんな地名も知らないまま観た。
んで観終わって、考えた。
ロシアの本能ともいうべき領土拡大の欲求は、どこから来ていて、どう現れてきたのか?
回答はすでにある。
あとは記事をまとめるだけだ。
この「記事をわかりやすくまとめる」というところで挫折して、しばらく下書き状態で放ったまま。
今年中には仕上げてアップしたい。
近代国家にはそれぞれに特徴というものがある。
イギリスにも、フランスにも、中国にも、アメリカにも、まるでひとりの人間のような性格がある。
という仮定をして歴史を眺めると流れをつかみやすい、と思っている。
ロシアという人の性格を知れば、ロシアの近現代史がわかりやすいし、プーチンの行動もその理由を推測しやすい。
そんなテーマで、書き上げたい。
歴史:アメリカ覇権の終焉
このブログでもほうぼうで触れてきたテーマ。
最近アップした部活記事でもこう書いた。
そして、男子高校生にサッカーがダントツ人気の理由。 それはいまの子どもたちが、アメリカの覇権の終焉を敏感に感じとっているからではないでしょうか。 野球・バスケ・アメフトといったアメリカ発祥のスポーツ…。 またテニス・ゴルフ・ボクシングなどのアメリカが本場のスポーツ…。 こうしたアメリカ的価値を背負ったスポーツに、もはや日本の子どもたちは魅力を感じなくなってきている。
(中略)
つまりアメリカ文化は日本の若者にとって「普遍」じゃなくなってきた、ってことです。 子どもたちは、そういう流行とか世相とかに敏感。 だから音楽はテイラー・スウィフトよりも防弾少年団のほうが好きだし、映画は『アベンジャーズ』よりも『劇場版コード・ブルー』が好き、という小中高生が増えているような気がします。 「アメリカ的文化=普遍」というパラダイムが、日本ではもう終了した。 それがサッカーに人が流れているいちばんの理由かもしれません。
この記事を書いた理由も、アメリカ覇権の終焉をさぐる一環でした。
近代世界システム的な言い方をすると、1970年代に、アメリカのヘゲモニーは終了した。
だから2019年現在はすでに、「パクス・アメリカーナ」が終わった時代。
いったい、アメリカの覇権終焉は、現代社会にどのような形で現れてきているのか?
政治・経済のみならず、文化や価値観といった点でも考察していきたい。
こういう思いでずっといる。
近々、正面からこのテーマにむきあって、連載として書いてみたいと思っている。
おそらく、かつてのローマやイギリスの例がアナロジーとして使えるだろう。
でも、まだ考えも記事の方向性も固まっていない。
なので、アップ時期は未定。
なにか良書があればどなたか教えてください。
最後の努力 上 ローマ人の物語 35 (新潮文庫) [ 塩野 七生 ]
科学:いまだ地動説が正しいと信じている人へ
前々から書きたいと思っているテーマのひとつ。
端的にいえば、言いたいことは以前の記事で書いたこれ↓
天動説も地動説も世界を見るときのただのモデルであり、どちらがウソでどちらが真実だとか、そんなことはいえない。
本当は「地動説というモデルのほうが主流になった」と言うべき。
(「え?でも実際、地球が太陽のまわりをまわってるでしょ」と思ったあなた。「実際」って、だれが見たんですか?この世界に地球が公転しているところを生で見た人間は存在しません。学校で習った図も、テレビ番組で流れるCGも、ぜんぶ地動説モデルにもとづいて観測結果を構築しなおしただけのイメージです。地動説とはあくまで、ここ400年ほど支持しつづけられている仮説にすぎないんです。「科学的事実」とはたいてい、そういうもんです。)
いま読むと、ぜんぜんちゃんと言えてないな。
地動説vs.天動説にひそむ深いテーマに、きちんと切り込めていない。
事実とは何か?
観測とは何か?
科学とは何か?
これらのテーマにきちんと向き合って、世間の常識を根本から問い直す記事を書きたい。
のだけど、なかなかどうして、難しい。
現実・事実・世界とはいったいなんなんだという話をちゃんとするには、古代ギリシアから近現代までの哲学を網羅して、さらに現代の量子論や心理学まで射程にとらえないといけないし。
トーマス・クーンの『科学革命の構造』とかにも、触れないわけにはいかないし。
そして数学と数学史もおさえないと、プトレマイオスやニュートンや、現代における地動説の扱われ方とかちゃんと理解したことにならないし。
今年はすこしずつにじりよって、書けるようにするつもり。
数学:数の歴史
これも前から書きたいと思っているテーマ。
柱は2つ。
子どもは成長とともに数の概念をどう獲得していくのか?
数の世界は歴史とともにどう拡大してきたのか?
前者は自分の仕事の知見が活きるので、すぐにでも書けそう。
後者はもうすこし勉強が必要そう。
とくにゼロの概念がどうしてそんなに大切なのか、いまひとつ理解していないこと。
また小数と無理数がイスラーム文明のなかでどのように生まれたのか、あまり知らないこと。
そして超限数、つまりカントールが切り開いた実無限の世界を、虚数への拡張と同列に論じていいのかどうかわかっていないこと。
この3点が解決され次第、記事を書いていくつもり。
吉田洋一『零の発見』をくりかえし読んでもいまいちピンとこないような頭の持ち主なので、これもまた時間はかかるかも。
以上6テーマのほか、
なども追々やっていく予定です。
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