夏の終わり、Cocco、死

日記

今日、車で帰る途中、

カーブを曲がったらとつぜん、

目の前にまっ白な太陽が現れた。

 

両脇に山すそをしたがたえて、

まるで天にいざなうよう。

 

夕方なのにそれは白銀に光って、

雲も、木々も、家並も、電線も、車も道路も

キラキラと照らし出す。

 

あまりにまぶしくて目を細めたら、

ちょうどそのとき車内のBGMが

Coccoの「遺書。」に切り替わった。

すこしだけ昔を思い出す。

Coccoを大好きだった友人の自殺未遂。

バスタブにたゆたう血の筋。

刃物。救急隊員。

明け方に見上げた雲の遠さ。

 

そういえば7日前に、僕は、

育ての祖母を亡くしたんだった。

 

わが子のように育ててくれた。

頑固で、りりしくて、白髪がきれいで、

つぎはぎの質素な服ばかり着て、

そのくせ幼い僕を高級な蕎麦屋に連れてって、

「もっと食べろ」とせっつく。

 

彼女は若いころ、

子どもを嫁ぎ先に残して離縁させられた。

以来、ずっとひとり暮らし。

幼い僕は毎日のように遊びに行っては、

夕闇のなかを、手をひかれて帰るのが日課だった。

 

一度だけ、彼女が吐露したことがある。

地元に帰ってからの勤め先には、

風の強い橋を渡らなければいけなかった。

風の音で、人の声も聞こえないほど。

だから帰り道、橋のいちばん上で、

欄干にもたれて、泣いたよ。

そうすれば誰にも聞かれないからね。

 

最後は僕のことも、

実の子どものことも、

みんな忘れて、赤ん坊のようになって

死んでいった。

 

あの雲の向こうの

まっ白な世界のどこかにいるんだろうか。

 

カーブのつづく国道を

なおも走っていると、

ふたたび目の前に現れた太陽は

もうオレンジ色に染まりはじめていた。

 

Coccoの歌も

いつのまにか終わっていた。

 

ふと、夏の終わりを感じて、

僕は、

おばあちゃんの死を受け入れた。

 

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