2019年度の入試が終わり、新学年が始まります。
生徒もわたしも一段落したこのタイミングで、「なぜ勉強するのか」について改めて考えてみたいと思います。
なぜ勉強するのか?
今年も多くの生徒が進学していきました。
県外の大学へすすんだ子は引っ越しをすませ、都会での暮らしにワクワクしたりシラバスを眺めて授業計画を練ったりしているでしょう。
また進学校へすすんだ中3生(新高1)などは、すでに大量の課題に圧倒されたりしています。「受験が終わったらまた猛勉強か」と、ちょっと憂鬱になる子もいたりします。
なぜ勉強するのか?
この時期にはいつも考えさせられます。
というか、心の底ではいつも考えてきました。
それは20代前半からずっと教育の仕事に就いてきて、「なんで勉強しなくちゃいけないの」と、何百回と質問されてきたからです。
勉強は楽しいだけじゃない
わたしは勉強が楽しくなるように心がけています。
たとえばいま連載中の数学指導法にしても、いかに生徒がムリなくムダなくできるようになって、勉強おもしろい!と思ってもらえるか、そう考えつづけてきた結果のノウハウです。
しかし、勉強は楽しいときばかりじゃない。
部活も習い事も、仕事もまたそうだけど、つらく苦しいときもある。
そんなとき、わたしたちは目的を問いたくなります。
なぜいま、これをしているのかと。
ウソの混じった回答
だから子どもの「勉強する理由ってなに?」という問いは、なまはんかな考えで答えていい質問じゃない。
「やらなくちゃいけないものだから」
「将来ぜったい役に立つから」
「社会的に成功するから」
「知ることは人間の義務だから」
これらの回答はいずれも、ちゃんと答えているようで答えてない。
なぜならウソが混じっているからです。
教育を受けることは義務じゃないし、人類の英知を人類みなが知る必要もない。
また勉強したって役に立たない科目もあるし、勉強した人がみな社会的な成功をおさめるわけでもありません。
子どもは、大人以上にウソを見抜きます。
だから、いずれの回答も子どもにはあまり響きませんでした。
「視野を広げるため」は本当?
そこでわたしの次なる回答は「視野を広げるため」でした。
- 数学を学ぶ目的は、論理的思考が身について、視野が広がる。
- 英語を学ぶ目的は、外国の文化に触れられて、視野が広がる。
- 国語を学ぶ目的も、さまざまな文章に出会うから、視野が広がる。
- 理科を学ぶ目的も、近代科学のパラダイムに接して、視野が広がる。
- 社会を学ぶ目的も、いまの社会を相対視できるから、視野が広がる。
そのように考えて、中学生・高校生に伝えてきました。
しかしよく考えると、この回答も「勉強する理由」ではありません。
視野が広がるのは、あくまで「勉強した結果」であり、目的ではないからです。
勉強してきたらいろいろ違う世界や違う見方ができるようになって、それは勉強してよかったことかな…。
大人が過去をふりかえってこう思う、という感想にすぎないのです。
それに、視野が広がったところで実生活でいつも役立つかというと、そうでもない。
どちらかといえば趣味の領域に属します。
「歴史を学んだことで、現代社会を相対的に見ることができるようになったんだ」。
したり顔でこう言っていた自分も、いま考えれば、ちょっと的外れの回答をしているマヌケです。
だから子どもたちの反応も「ふーん…」というものばかりでした。
いったい、勉強する意味・勉強する目的とはなんなのでしょうか。
3つの「勉強する理由」
なぜ勉強するのか?
いま、30代の大人であるわたしが真剣にできる回答は、3つです。
- エリートになるため
- 相手の気持ちを理解するため
- だまされないため
それぞれ、くわしく説明します。
1.エリートになるため
回答のひとつは「エリートになるため」です。
医者、弁護士、国家官僚、大企業や外資系企業の役員、公認会計士や税理士、大学教授や民間の研究員、飛行機パイロット、不動産鑑定士、一級建築士、システム・エンジニア……。
こうした職業は前提として「勉強ができること」が求められます。
なので、以上に挙げた職業に就きたい人は、しっかり勉強しないといけない。
とくに英語と数学と理科がよくできる必要があります。
どれも、仕事で日常的に使う知識だからです。
またこういうエリート職は給料が高く、社会的な地位も高いとみなされます。
なので、お金をたくさん欲しい人、そしてみんなから「先生」と呼ばれたり「すごいですね」と言われたり「おれは社会の役に立っている」と実感したい人もやはり、しっかり勉強しないといけない。
これが、勉強する理由のひとつです。
2.相手の気持ちを理解するため
じゃあ、べつにエリート職には就きたくない、もっと他のものになりたい人にとって、勉強する意味とはなんなのか?
2つめの回答は「相手の気持ちを理解するため」です。
とくに国語と社会を勉強する理由が、これです。
たとえば、夫婦あるいは彼氏彼女が、メールかLINEで以下のやりとりをしたとします。
女「今日、なに食べたい?」
男「べつになんでもいいよ」
あなたが男の場合、このやりとりの後に相手の女性が不機嫌になったとして、その気持ちを理解できますか?
あなたが女の場合、「べつになんでもいい」という返事をした男の気持ちを、理解できますか?
また、
男「今日、なに食べたい?」
女「べつになんでもいいよ」
この場合、上の例と男女ともにちがう気持ちであることを、理解できますか?
こうしたやりとりから相手の気持ちを理解する力。
それが国語力なのだと、わたしは考えます。
また、それぞれの育ってきた環境がちがうから、好き嫌いは否めない。
夏がダメだったり、セロリが好きだったり。
こうしたお互いの背景を理解する力。
それが社会で育まれる力なのだと、考えます。
3.だまされないため
「いやいや、勉強できても、相手の気持ちがわからない人いっぱいいるよ」。
たしかに、そのとおりです。
ただ正確にいえば、そういう人は相手の気持ちをわからないのではなくて、相手の気持ちをわかろうとしないだけではないでしょうか。
つまり、わかる能力はあるけど、わかろうとしないだけ。
だからやはり、国語と社会ができる人は、相手の気持ちを理解する能力はもちあわせていると思います。
そして、そうした人は、他人からだまされることも少ない。
これが「なぜ勉強するのか」にたいする3つめの回答です。
社会で生きていくうえで、悪いやつらにだまされない。
そのために、勉強するのです。
言葉たくみに契約書にサインさせようとする人。
ぜったい裏切らないからと自信満々で答える男。
思い通りにならないたび泣きわめいて訴える女。
「君のためなんだ」と超過勤務を命じる上司。
遊ぶ金ほしさにウソにウソを重ねる部下。
この社会では、ときに自分にとってマイナスにしかならない人と出会います。
そういう人にだまされない。いいように使われない。
そのためには頭が切れること、つまり正しい思考とすばやく決断する能力が必要なのです。
以上、「なぜ勉強するのか」にたいする回答3つでした。
- エリートになるため
- 相手の気持ちを理解するため
- だまされないため
読者の方はどう思われますか。
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