こんにちは、重悟(ジュウゴ)です。
今年もツバメの季節がやってきましたね。うちにも今週から1組の夫婦がやってきて、軒下に巣をつくりはじめたところです。
去年のヒナたちの話
ツバメが来るとなぜかドキドキわくわくしますね。
春から初夏への移り変わりを感じさせてくれるからかもしれません。
あるいは巣をつくって、ヒナが産まれて、やがて巣立っていく、そんな命の継承を間近に見ることができるからかもしれません。
産まれたてのヒナが「ピーピーピー」と必死で親を呼んでいる姿はもう、たまらなくかわいいですしね。
そういえば昨年は3匹のヒナが産まれましたが、ぶじに巣立ったのは1匹だけでした。
のこりの2匹は巣の下に落ちてしまったんです。
落ちたヒナのうち、1匹はすでに死んでいました。
もう1匹はなんとか息があったので、巣のなかにそっと戻してやりました。
そいつは途中まで順調に成長したんですが、落ちたときに羽を傷つけたらしく、飛ぶことができませんでした。
兄弟が羽ばたいていくのをみて、自分も飛ぼうとするんですが、また巣から落っこちる。
それから、トコトコと地面を歩いていくんです。
上ではツバメの両親が「ピーピーピー」と不安そうに鳴いています。
ついにそいつは国道まで歩いて出てしまったんで、「あぶない!」と思ってあわてて拾い上げました。
しばらく様子をみていたら、また道路まで歩いていこうとするんで、また拾い上げてもどしてやりました。
そのあとは目を離していたんですが、数時間後に見たらどこかにいなくなっていました。
羽が傷ついていたからどうなったのか。いや、きっと飛びたてたものと信じています。
だから今年やってきた夫婦のうちどちらかは、あの落っこちてトコトコ歩いていたヒナだと思います。
おかえりなさい!1年ぶりによく帰ってきた!
ツバメは短歌やことわざによく詠われる
ところでツバメは短歌やことわざによく出てきます。
わたしの大好きな詩人、斉藤茂吉の歌にはこんなものがあります。
のど赤き 玄鳥(*1)ふたつ 屋梁(*2)にゐて 足乳根(*3)の母は 死にたまふなり
*1「つばくらめ」、ツバメのこと
*2「はり」、家の梁のこと
*3「たらちね」、母にかかる枕詞
短歌の現代語訳なんて無粋ですが、あえて訳すならこんな感じでしょうか。
「のどの赤いツバメが2匹、梁にいる。わたしを育てた母は死んでしまわれる」
情景と現実をストレートに詠っているからこそ、この歌には生命のもつ荘厳さと、無常と、そして茂吉の母親にたいする無骨ながらもおおきな愛情が感じられるように思います。けっして明るい歌ではないですが、好きですね、わたし。
またわたしの尊敬する歴史家、司馬遷の『史記』のなかには、こんなことわざが出てきます。
燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや
(ツバメやスズメなどにどうして大鳥の志を知ることができようか)
これは古代中国の秦王朝末期に、陳勝(ちんしょう)という人が語ったことばです。
陳勝はやがて呉広(ごこう)とともに反乱をおこし、秦王朝がほろびるきっかけをつくります。
世界史で出てきた「陳勝・呉広の乱」のあの陳勝です。
陳勝は一介のやとわれ農民でした。
あるとき彼は丘の上でボーっとして、しきりとため息をついていたので、雇い主が不振におもってどうしたのかと聞きます。
すると陳勝は「やがて2人とも大金持ちになっても、おたがいのことを忘れないでおきましょう」と言います。
何を言い出すんだこいつは、おまえはただのやとわれ農民だ、お金持ちになんかなれるわけないだろう。雇い主がそう言い返すと、陳勝はふたたびため息をつきます。そして上記のことわざを言い放ったのでした。
このことわざの中で、ツバメやスズメは小人物のことを指しています。
たしかに小人物は大人物の考えなんかわからないのですが、今年もツバメがやってきた今になると、ちょっとツバメの肩をもちたくなります。
「そりゃそうかもしれないが、代わりに大鳥もツバメの考えをわからないだろう」などと、陳勝に言い返してやりたくなります。
それで今回のタイトルは、「燕雀」と「鴻鵠」を逆にしたというわけです。
まあとにかく、今年もツバメが無事にやってきました。それでツバメの短歌やことわざをついでに紹介してみました。
それではこのへんで。
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